第119話 絶対にまた来る、はずよ
白髪ファイが港町フィリスにお使いで現れるという“事件”から日付のナルンが1色進んだ――1月経った――頃。
黒紫のナルン、赤の1のフォルン(12月1日)。まだまだ暑さの残るアグネスト王国の王都アークストにある王城でのこと。白金色の髪を1つにまとめるアミスことアミスティ・アークスト・イア・アグネストは、自室で部下の報告に耳を傾けていた。
「――以上。1月間行なった“不死のエナリア”周辺調査ですが、誘拐犯ニナの拠点と思われる施設は見つかりませんでした」
報告にピクリと細い眉を動かすアミス。
「……ありがとうございました。下がってください」
「はっ!」
アミスの言葉に、報告を済ませた部下の男性が退室する。扉が閉まり、彼の姿が見えなくなったところで――。
「はぁ~~~……」
それはもう深くて長い溜息を吐く。続いて目を向けたのは、自身の背後に控えていたフーカだった。
「ですって、フーカ?」
「は、はい、アミス様ぁ……。こうなると、いよいよファイさんと誘拐犯のいる場所がエナリアの中、ということになりますねぇ」
「そうよね……。そうなのよねぇ……」
フーカの推測に頷いたアミスは、ぺたんと机に突っ伏して弱った声を漏らす。
ここひと月ほど、アミスとフーカの進言を受けて改めてファイの捜索が行なわれていた。王城内のアミスの発言力自体は低いため、駆り出された人員は雀の涙ほど。それでも、フィリスや“不死のエナリア”周辺をしらみつぶしに調べるには十分な期間と人員だった。
だが、結果は空振り。ファイがフィリスに居ると分かった時点で強化した検問などに引っかかったという話も聞いていない。そうなると、範囲内で唯一、調べていない場所――エナリアの中が怪しいとなってくる。
(犯罪者がエナリアの中に逃げ込む、なんて。別に珍しくはないけれど……)
エナリアは広く、死角となる場所も多い。手配された犯罪者が逃げ込むことは往々にしてあることだ。だが、大抵は内部の魔物に殺されるか、捜索の依頼を受けた探索者によって発見・捕獲されることが多い。
独自の植生と生態系を持つエナリアへの知識が無ければ食料確保も難しく、一時的に逃れるならまだしも長期間滞在するのは難しいそれがエナリアという過酷な場所だ。探索者に見つかった犯罪者が、むしろ助けに来てくれて感謝するというのもよく聞く話だ。
誘拐犯ニナは、そんなエナリアに30日以上もファイを匿っているということになる。
(ニナさん……。元探索者、なのかしら……)
窓から差し込むフォルンの光を背に、手元の資料を見遣るアミス。そこに書かれているのは、エナリアの入り口を見張ってもらっている『探索者協会』――探索者を管理する国際組織――の人々による報告だ。
「ファイちゃんの“お使い”以降、わざわざ協会にお金を払ってまで入り口を監視してもらっているけれど……」
「は、はいぃ。エナリアに入った人と出てきた人。誤差はありません」
もし本当に誘拐犯ニナがエナリア内に逃げ込んだのだとすれば、まだエナリアの中にいるということになる。
「監視用撮影機を買っていたということは、犯人は同じ場所にとどまっているということでもあるわよね?」
「そ、そうですねぇ。恐らく拠点を持っていて、ファイさんを監視するために買わせたんだと思いますぅ」
「じゃあやっぱり、エナリアの中にニナさんの拠点があると見て言いかしら」
だが、もしニナの拠点があるのだとすれば、前回の光輪での探索の際に見つかりそうなものだ。アミス達も決して隅々まで捜索したわけではない――むしろ“攻略”に重きを置いていたために道中の探索はおざなりだった――が、それでも、人の気配くらいは感じられそうなもの。
しかし実際は、不人気のエナリアということもあって全くと言って良いほど人気が無かった。
「た、探索者協会にも、“不死のエナリア”の探索依頼は出しています。実際、受けてくれた駆け出しの探索者もそれなりに居ましたぁ」
翅から燐光を回せるフーカが、アミスに該当する資料を示して見せる。
広大なエナリアを隅々まで探索するには、かなりの人員が求められる。そこでアミス達は比較的安全な1層から4層までの探索を、『光輪』名義で探索者協会を経由して依頼している。王女名義で依頼を出した場合、他国に白髪の行方を悟られてしまう可能性があるからだ。
報酬も弾んでおり、数十人の探索者が“不死のエナリア”の上層付近を探索してくれたという。しかし、こちらもこれと言った成果は見られなかったらしい。つまりニナとファイは第5層以下、中層以下に拠点を構えているようだった。
ならば同様に探索者を募れば良いじゃないかという話だが、そう簡単にはいかない。
“不死のエナリア”の特性上、中層から魔獣が一気に多くなり、グッと危険度が増す。ガルン人という脅威こそ居ないものの、“不死のエナリア”は暫定的に赤色等級のエナリアだ。出現する魔物はみな強力で、しかも異様なほどに変異種が多い。
そんなエナリアの中層以下に進むためには、緑色等級以上の実績と実力が必要になる。探索者全体で見たとき、該当するのはちょうど半分の5割ほど。半分以上の探索者が、入る許可さえ貰えない。
しかも“不死のエナリア”の第5層からは、俗に大樹林の階層と呼ばれる動植物群系をしている。100mを超える木々が乱立し、視界も効かない。場所によっては木々が密集して薄暗く、隠れ潜むのにうってつけの環境だ。
(ニナさんは茶髪って話よね。ということは、この大樹林の階層に隠れている可能性が高いと思うけれど、直径100㎞はある森と外壁の通路を隅々までってなると……)
一体どれくらいの人員を割いて、どれくらいの期間捜索をすれば良いのか。ざっと見て回るくらいならアミスが駆け回ることで1週間もかからない。だが、敵は隠れ潜んでいる可能性が高い。慎重な探索が求められることを思うと、アミスとしてはやはり気が重い。
(それなら長期攻略の準備をする? だけど、それだと私は同行できないし……)
長期攻略とは、エナリア内に拠点を築いて攻略を行なう方法だ。いちいちウルンに帰還する必要が無いぶん、より長く、深く、エナリアの探索を行なうことができるという利点がある。
10層以上あるエナリア攻略では一般的な攻略方法で、数か月、数年単位での攻略が可能だ。人気のあるエナリアであれば、エナリアの中に小さな町ができることも珍しくなかった。
だが、王女であるアミスティは長期間、エナリアに居続けることができない。間違いなく、公務に差し障るからだ。もちろん自分抜きの組合員だけで長期攻略を行なってもらってもいいのだが、
(みんなだけワクワクするのは、ずるい!)
自分の知らないところで、自分の知り合いが“未知”を掘り返している。そう思うだけでアミスは嫉妬に狂いそうになる。というのは半分冗談で、自分だけ安全な場所にいるというのは気が引けるという側面の方が大きかった。
また、長期攻略には1つ大きな危険が伴う。エナリアの崩壊だ。
エナリアの中核を成すエナリアの「核」を破壊すると、エナリアは崩壊を始める。数日かけて崩壊することもあれば、数分で崩壊することもある。そしてエナリアの入り口が閉じてしまったが最後。内部に残された生き物は、ウルンにもガルンにも帰って来られなくなる。時空のはざまをさまようことになるのだ。
過去には、ガルン人が意図的に引き起こしたとされるエナリアの崩壊によって数千人という犠牲者が出た事例もあった。長期的にエナリアに滞在するのは、かなりの危険を伴う行為でもあるのだ。
だからこそ、アミスは焦っていたりする。もし誘拐犯ニナが本当にエナリアにファイをかくまっているのだとして、エナリアの崩壊などが起きようものなら。
(ファイちゃんが白髪だなんて関係なく、死んでしまう……)
まさに最悪の事態が待ち受けていた。
「……こうなってくると、あれね。もう一度ファイちゃんがフィリスに来てくれることに賭けるのもありかしら」
資料から顔を上げたアミス。「んーっ」と椅子の上で背伸びをしながら、聞いただけでは何とも頼りない案を口にする。が、何も根拠がないわけではない。
「そ、そうですねぇ。誘拐犯さんも、ファイさんが買った撮影機がエナリアでは使えないことを知れば、またお使いに出す可能性もありますぅ」
フーカがそう言ったように、先日ファイが買った安い撮影機は、エナリアに充満するエナの影響下では動かない代物だ。エナリアで撮影機を使用する場合、大気中のエナの影響を遮断する特別な加工が施された高級な機材が必要になる。
もし誘拐犯の目的がファイの監視用機材なのだとして、なおかつ、エナリア内に潜伏しているのだとしたら――。
(絶対にまた、撮影機を買いに来る! ……はずよ)
仮定に仮定を重ねた、希望的観測。だが現状、ファイを無事に保護するためにはその可能性に縋る方がまだマシ。そう思えるほど、ファイの捜索は行き詰まってしまっていた。
「となると、問題はファイちゃんが現れたとき、よね」
「は、はいぃ……。ファイさんを力づくで確保するにしても、相手は“白髪”さんですぅ……。洗脳されているなら、抵抗は必至。かなりの戦力が必要ですねぇ……」
白髪がその気になれば魔法1つで村1つが消し飛ぶ。それは白髪の最低基準だ。他国には、敵国の首都を滅ぼせると豪語する白髪もいる。その真偽はともかく「それだけの力があってもおかしくない」と思わせてしまうのが白髪という存在だ。
ファイの意思に反して彼女を押さえ込もうとする場合、ほぼ間違いなく犠牲者が出る。そして、その犠牲者たちの筆頭は自分ではならない。そう考えてしまうのが王女アミスティだ。
「……フーカ。1つ、頼みがあるのだけど――」




