第116話 ここから、ここから
「……これくらいー?」
ファイから100mほど離れた場所で、ムアが手を振る。
「もうちょっと奥……、もうちょっと右、もうちょっと左……」
ファイの指示は、決して大きな声ではない。だというのに、鋭敏な聴覚でムアは聞き取っているのだろう。的確にファイの指示を聞き分ける。
これからファイが全力で魔法を一度だけ使って、ムアがそれを受ける。立っていられればムアの勝ち。膝をつかせたり殺すことができたりすればファイの勝ちという決まりだ。
もちろん、ファイの魔法の威力を知っているユアは全力で無謀な妹を止めていた。が、ムアは、
『ユア、バカなの? ムアならできるに決まってるでしょっ!』
と、姉を一蹴。なおも食い下がるユアのことは「ムアのこと、信じてないの?」という殺し文句で押し切ったのだった。
「ここー?」
「うん、その辺り。それなら、ユアも暴竜たちも巻き込まない」
「了解ー! じゃあムアは半獣化して待ってるねー。ザコのおねーさん、せいぜい頑張れー♪」
やがてムアの立ち位置が決まる。あとはファイが魔法を撃ち込むだけなのだが、
「……ごほっ、けほっ、けほ」
ファイは喉奥に溜まった血を吐き出す。
(良かった……)
内心、ホッと息を吐くファイの身体が、少しよろける。先ほどファイは、ムアの全力の蹴りを腹部に食らってしまった。骨は間違いなく折れており、内臓も傷ついてしまっているかもしれない
もはや立っていることもやっとの状態なのだが、どうにかこうにか威厳回復の好機を創り出すことができた。全てはニナのために。彼女に使われる優秀な道具であることを示すために、ファイは最後の力を振り絞る。
ここは第11層だ。最深部とは違い、ファイの力の源である魔素も十分にある。ファイはウルンとそん色ない魔法を使える状態だ。
(1回、くらいなら……)
脂汗を大量にかきながらも重い腕を懸命に掲げ、集中力を高めていくファイ。と、彼女の服の裾を控えめに引く存在がある。
「あ、あの……」
そう言って震えながらファイを見上げるのはユアだ。
「お、お願いです、ファイちゃん様……。ムアを、ムアを殺さないで……っ」
極度の人見知りかつ特殊能力のせいで、面と向かっての会話が苦手な彼女。こうしてファイと至近距離で見つめ合うことは、ユアにとって恐ろしく勇気のいる行動だっただろう。へにゃんと垂れる耳と尻尾。目端に浮かんでいる透明な涙が、ユアの勇気の証だ。
だが、無理を押してこうしてファイに懇願しに来たのは、ひとえに、大切な妹を思うが故だろう。
「む、ムア。悪気はないんです。ただちょっとバカなだけで、純粋で……。ユアが弱いから、ユアを守るために頑張ってくれてるだけ、なんです……。だ、だから……」
ボロボロのファイの服の裾をぎゅっと握りしめ、ムアは決して“敵”ではないのだと弁明する。だがユアは気付いていない。彼女が縋りついているファイの脇腹辺りは、先ほどムアによる蹴りを受けた場所だ。そのため、彼女が軽くファイを揺するたびに、ファイは気を失いそうになる。
このままではいろいろとまずいと判断したファイ。もはや体面を繕うことも忘れ、無理やりに作った笑顔でユアの頭を撫でる。
「だ、大丈夫……だよ、ユア。さっき、ムアは暴竜の息吹を避けてた、でしょ?」
先ほどファイにトドメを刺そうとしたムアだったが、直前に暴竜が放った光球を避けたのだ。それはつまり、ファイが真正面から受け止められる光球をムアは脅威だとみなしたということになる。その時点で、ファイはムアの身体の強度を把握した。
「多分、きっと……恐らく? うまく手加減できる、はず」
「あ、安心できる要素がどこにもありません……!? ……そ、その、ユア達のこと、怒ってないんですか?」
まだ会話を続けるのかと思わず表情を硬くするファイだが、尋ねられたら答えてしまう性分だ。
「けほっ……。ユア。何度も言ってる。私に怒る、は、無い。それに……ね?」
余裕が無いためあまり力加減ができないファイは、ユアの桃色の髪をがさつに撫でる。
「ユアも、ムアも。ニナのために働く仲間、だから。私が殺されることはあっても、殺すことは無い。今からそれを証明する、ね」
ユアから視線を外し、会話は終わりだと示すファイ。何せもう痛みを堪えるのも限界だ。これ以上時間をかけてしまうと、本当に死んでしまう。死ぬなというニナからの命令を果たしつつ、ニナに相応しいと少しでも証明するための一世一代の魔法のお披露目だ。
「はぁ、はぁ……。それ、じゃあ。いくね、ムア?」
「頑張れ頑張れおねーさん! せいぜい無駄な抵抗して見せてよね。ま、どうせ無理だろうけどー♪」
手足の先だけを獣化させて準備万端の様子のムアに、コクリと頷いたファイ。
「ユアも、牙豹も。ついでに暴竜も。絶対にそこから動かないで、ね?」
「ぅえ? あ、はい……」
『フグルァー……』『ヴォ!』
牙豹はこいつらさっきから何をやってるんだと暇そうにあくびをしながら。暴竜は元気よく鼻を鳴らす。三者三様の返事が返ってきたことを確認したファイ。「ん」と短く返事をし、改めて右腕を眼前に持って来ると、
「〈ガルトプロシア〉」
詠唱とともに指を鳴らす。
その瞬間、実験場一帯を覆い隠すように、黄金色の小さな芽が芽吹いた。小さな小さなその芽はしかし、時間を追うごとに大気中の魔素を吸い込んでどんどんと成長していく。まるで花の成長過程を早送り再生しているような奇妙で美しい光景に、その場にいる誰もが時を忘れる。
数秒とせずに背丈が20㎝ほどまで成長した芽。今度は先端に小さな蕾ができ始める。その間も茎や葉から魔素を吸収し続けた魔法の花が、ついに、一斉に咲き乱れる。
数えきれないほどの花弁が重なる、黄金色の花だ。
ファイの瞳と同じ色をした花たちが、実験場を覆い尽くす。さながら、黄金色花畑と言ったころだろう。
そのまましばらく美しい花を咲かせていた魔法の花だが、次第にしおれ、枯れていく。ほんの十数秒の間に一生を終えた魔法の花たち。
最後に茎の上に残ったのは、黄金色に輝くフワフワの球体だった。
「……えっと――」
「しーっ。ここから、ここから。ユアは耳を塞いで、絶対に、動かないで」
ふと、茎が揺れたかと思うと、球体は極小の綿毛となって一斉に舞い上がった。数千、数万、数億。もはや数えきれない綿毛が、実験場の全てを覆い隠す。
綿毛の先端で光るのは、次代に想いをつなぐための小さな種だ。だがその種には、これまで魔法の花がため込んだ大量の魔素が含まれている。
種は魔法の使用者であるファイの意思に従って、ただ1人の標的であるムアへと向かっていく。上下左右。全方向を綿毛に囲まれてしまったムア。もう彼女に、逃げ場はない。
「あ、コレ、やば――」
本能的に何かを察したのだろうか。ムアの呟きが聞こえた瞬間、キラキラと種が最期の輝きを放ち、種たちが一斉に爆ぜた。
ファイの視界すべてが真っ白に染まる。数億にも迫るだろう種が連鎖的に爆発を引き起こし、実験場の大部分を焼き尽くす。
(けど、狙い通り……)
遠く離れたファイ達が死んでしまうほどの爆発の余波が押し寄せることは無い。
「きゃぅ~……!」
ファイの腕の中。大きな三角形の耳を押さえて、爆発をやり過ごしていたユア。だが、爆発が収まるや否や、
「どこが! 手加減をする! なんですか~!」
ポカポカとファイの脇腹を叩いてくる。どう見ても大規模かつ高火力の魔法だ。当然、ムアもただでは済まないとムアは思ったらしい。目端に光る涙の粒を大きくしながら、気丈にも、ファイを睨みつけてくる。
だが魔法を使った本人であるファイに焦りはない。
「う゛ぅ……。ゆ、ユア。落ち着いて。ムアを見て?」
「ぐすっ、えぐっ……。ムアを?」
ファイとユアが揃って顔をあげた頃。爆発によって舞い上がった砂煙が晴れて現れたのは、
「きゅぅ~……」
座り込むようにして目を回す、ムアの姿だ。身体の至る所から煙を上げており、特徴的な水色の髪や黒毛の尻尾はボサボサになってしまっている。しかし、火傷を始めとする外傷は見られない。ただ単に気絶しているだけなのだ。
「ムア! 良かった! 見てくださいファイちゃん様! ムア、生きてます!」
先ほどの悲壮感から一転、尻尾をブンブンと振りながら妹の無事を喜ぶユア。そのまま喜び余って、ちょうどいい位置にあったのだろうファイの脇腹に抱き着いてくる。
「というより、そうですよね。もしファイちゃん様が嘘をついてたら、天才で可愛いユアが目を見た時点で分かりますもんね。……ですけど、なんでなんですか?」
ムアとファイとを順に見ながら、なぜムアは無事なのか。手傷を負わせない程度の爆発で、どうやってムアを戦闘不能に追い込んだのか聞いてくるユア。妹が無事と分かった時点で好奇心が前面に出てくる辺り、ユアの研究者としての側面がよく見て取れる。
左右で色の違う瞳を輝かせ、尻尾を左右に振りながら聞いてくるユアに、ファイとしても答えてあげたい。
しかし、度重なるユアの脇腹への追い打ちが、瀕死だったファイにトドメを刺してしまっていた。
「げほっ……」
「ファイちゃん様!?」
血を吐きながら頽れるファイ。気合と根性、そして道具としての有用性を示したい一心でどうにか持ちこたえてきたが、もはやここまでだった。
それでも、遠くなっていく意識の中、ファイの瞳は目を回すムアへと向けられている。今回の勝負。ファイの魔法を受けて“立っていられたら”ユアの勝ちだった。そして、今、ユアはぺたんと地面に座って目を回している。つまり――。
「……私の勝ち、だね、ムア? きゅぅ……」
自身の勝ちを見届けて、ファイの意識は落ちていく。
「あぁ、そんな! 死んでしまったんですね、ファイちゃん様。可哀想に……。……ということで、ユアがきっちりと隅々まで。ファイちゃん様のお身体を使わせてもらいます!」
いい素材を手に入れた。そう言いたげなユアの弾む声を最後に、ファイの意識は途絶えるのだった。




