第113話 身体は頑丈、だから
ご馳走であるファイの登場をいち早く察したのだろう。ファイの方を見た黒毛の暴竜が大きく口を開き、口内に眩い光が集まり始める。『息吹』と呼ばれる、光と熱をはらんだ光線を使用しようとしているのだ。
常人が食らえば当然、ほぼ即死。ファイでも大やけどを負い、最悪の場合はやはり死ぬ。かと言って剣や魔法で迎え撃つにはあまりにも分が悪い賭けを強いられる。
(避けるのが、基本)
幸いにもファイが知る息吹の攻撃はニナの突進よりも遅い。見てからギリギリ避けられる程度だろう。あとは時機を見計らって、回避。攻撃後は無防備を晒すことになるだろう暴竜に、先制の攻撃を加える。その予定だったのだが――。
「う~ん……。よいしょっ!」
「――っ!?」
もうそろそろ戦闘が始まる頃だと思ったらしいユアがファイの背後――自室へと続く頑丈な鉄扉から姿を見せた。
(ユア!?)
もしファイが暴竜の息吹を避けてしまった場合、ユアに直撃することになる。ニナやリーゼならともかく、ユアの戦闘力など上層の魔獣に毛が生えた程度だ。間違いなく死ぬ。そして、もちろんファイには“弱い”ユアを見捨てる選択肢などない。
「……っ! 〈ヒシュカ・エステマ〉!」
「ふぇ?」
ファイがそう言った瞬間には、もう、暴竜の口から光線が放たれていた。刹那の間に出来上がる氷の壁。前回はリーゼの灼熱の息吹すらも受け止めた氷の盾だが、今回は一帯を凍らせる〈ファウメジア〉を使っていない。一から氷が作られることになるため、わずかだが致命的な時間の無駄が発生する。
当然、今回出来上がった氷の壁は比べ物にならないほど脆弱で、薄い。しかも暴竜が放った息吹は、広範囲を焼き尽くすリーゼの物とは違う。狙った対象だけを焼き殺す、一点集中型の息吹だ。当然、みるみるうちに氷の壁は溶け、光線がファイとユアに迫る。
「ユア、部屋に戻って! 危ない!」
差し迫る危機に、ファイの声も熱を帯びる。だが、相手はピュレを持っていない時の気弱なユアだ。「きゃぅ」と悲鳴を漏らしたかと思えば、耳を両手で押さえ、尻尾を股の下に通してお腹の方に持ってきてうずくまる。ミーシャも見せる、獣人族の“恐怖”の態度だ。
「お、怒らないでくださいぃ……。ユアは、悪いことしてません……っ! ニナ様と魔獣の研究のために頑張っただけです、ごめんなさいぃ~!」
プルプルと震えるユアに、先ほどのファイの忠告は届いていないらしい。
もはや氷の壁が突破されるのは確定事項。となると、あとは時間の問題だ。
(どう、しよう……! どうすれば……!?)
小さくなって震えるユアを守るにはどうすれば良いのか。わずかな時間で懸命に考えた末、ファイはユアを氷漬けにして守ることに決める。同時に一か八か自分が肉の盾になれば、直撃は防げるだろうか。自分とユアが無事かどうかは賭けになるが、仕方ない。
集中力を高め、ユアを包む氷の盾を創り出す、直前で。
『ブォー……!?』
不意に暴竜の悲鳴が聞こえたかと思えば、息吹が止まった。何が起きたのかとファイが氷の向こうを見てみれば、牙豹だ。主人の危機を察知したらしい彼女が、隙だらけの暴竜の横っ腹に自慢の長い牙を突き立てていた。
(さすが牙豹! 主人は守らないと、ね!)
前回の出会いで、自分と同じく“主人”に仕える者――ファイはニナ、牙豹はユア――として、牙豹となんとなく分かり合えた気がしたファイ。牙豹が毛並みを堪能させてくれたこともあって、もはやファイにとって牙豹は友人だ。
そんな頼れる友人の活躍に心の中で感謝しつつ、ファイは魔法を解除する。
「ユア、そこで隠れて見てて。牙豹と一緒に、暴竜にえいってしてくる、から」
牙豹が頑張っている姿を見ていてあげて欲しい。そんな思いを込めて努めて優しい声でユアに言い残したファイ。
「えっ、きゃぅぅぅ!?」
踏み込みの余波で舞い上がる土と風の中。困惑しているユアを置いて、ファイは変異した黒毛の暴竜に向けて一気に駆け出す。彼我の距離数十メルドを3秒とかからずに走破すると、牙豹に気を取られる暴竜の左太もも辺りに向けて剣を振るった。
並みの武器では歯が立たないほど硬い、暴竜の羽毛と肌。ウルンでは防具の素材として高値で取引されている。だが、ファイが横に凪いだ剣は羽毛と肌を裂く二度の抵抗ののち、暴竜の筋繊維を深々と切り裂く。
実験場に響く、暴竜の叫び。痛みに悶えるその隙をついて、ファイは駆け抜けざまにさらに一閃。反対の足の脛辺りにも剣戟を見舞う。だがその時は表皮に近い部分にあった骨に剣が当たったところで剣が止まってしまう。
それに伴って足を止めざるを得ないファイを襲う、暴竜の蹴り。痛みで暴れているだけなのだろうが、鋭い爪と圧倒的な質量を持つ蹴りを食らえばファイも少なからず手傷を負ってしまう。
「……っ!」
ここは一度、深々と刺さってしまった剣を手放し、退避することにしたファイ。ぴょんと跳び退った彼女が元居た場所を、暴竜の巨大な足が踏み抜いたのだった。
そのまま暴竜から1歩2歩と距離を取ったファイは、よろよろと後退る暴竜の全身を見遣る。
向かって正面。右側の足の脛にはファイの剣が刺さっており、太もも辺りには牙豹の鋭い牙によって抉られた2つ穴が見て取れる。さらに反対側には先ほどファイが初撃で見舞った剣の傷が付いているに違いない。最初の交戦としては上々の立ち上がりだろう。
暴竜の黒い肌を伝ういくつもの血の筋。荒く息を吐く暴竜はもう既に、満身創痍に見える。
(もしこのままなら、血がたくさんでて魔獣は動けなくなる、はず)
問題は今回の目的が暴竜の討伐ではないことだろう。ここから魔獣を倒すための方法は無数に思い浮かぶファイだが、程よく手加減をする方法にはあまり心当たりがない。
火あぶりにすれば良いのか、氷漬けにすれば良いのか。風で切り刻むこともできるし、水で溺れさせることもできる。土で押しつぶすことだって可能だ。だが、それであの暴竜はファイ達の言うことを聞いてくれるようになるのだろうか。
出血のおかげで、血走っていたはずの暴竜の目に理性の色が戻っているようにも見える。だが、戦闘の意思が消えている様子はない。冷静に“敵”であるファイと牙豹の動きを観察し、殺意をみなぎらせている。
そうして自分を敵視する相手に、自分の言うことを聞かせるにはどうすればいいのだろうか。ファイは考える。
ユアが言っていたように、相手をはるかに凌駕して屈服させる方法が一般的なのだろう。魔獣も多くはガルンの生物であり、力関係には非常に敏感だ。“コイツには敵わない”と思った時点で、大抵の魔獣は言うことを聞いてくれるようになるのだという。
実際、ファイもその方法でこの暴竜を手懐けようと思っていた。徹底的に相手を痛めつけ、自身の力を誇示し、平伏させる。魔獣たちが住むガルンらしい、王道の調教方法と言えるだろう。
だが、満身創痍の状態になってもなお、敵意むき出して戦おうとしている暴竜。その姿を見たとき、ファイはこう思ってしまう。
――誇り高い、と。
常に戦闘に身を置いてきて、戦闘にこそ自身の価値を見出してきたファイ。彼女にとって、ボロボロになっても諦めず戦おうとする暴竜は、まさに理想だ。
だからこそ、分かってしまう。どれだけ痛めつけようとも、目の前の暴竜は死ぬその時まで抗うのだろう。自分は負けていない。負けるわけにはいかない。そう思いながら、最期まで生きようとするのだろう。
そんな相手に、王道の調教など効かないのではないか。だとするなら、どうすれば暴竜に自分の言うことを聞かせることができるのか。
考えたファイは、かつての自分がそうしてもらったように、暴竜に向かって歩を進める。すると案の定、暴竜は警戒を露わにしながら後退りをしてファイを睨みつけてきた。
なおも歩みを止めないファイに一転、暴竜が攻勢に出る。身を翻したかと思うと、リーゼの尻尾によく似た太くて長い尻尾を全力でファイに叩きつけてきた。対するファイは自慢の身体能力で迎え撃つ、のではなく、腕を眼前で交差させて全力の防御姿勢を取った。
当然、質量と勢いを持った暴竜の尻尾がファイを的確にとらえる。
「……ぁぐ!」
常人であればよくて全身を複雑骨折。最悪、上半身と下半身がサヨナラをする威力の攻撃を受けたのだ。吹き飛ばされたファイの身体は何度も地面を跳ねて、無様にころころと転がることになる。
だが、やはり白髪たる彼女の身体は頑丈だ。手傷を負って威力が下がっていたこともあって、軽く腕の骨にヒビが入る程度で済んでしまう。
『……!? グルァ――』
危機と判断したらしいファイの相方――牙豹が暴竜に向けて駆け出そうとするが、
「待って!」
当人であるファイが待ったをかけたことで、動きを止めた。
「大丈夫。私は、道具。“痛い”は、ない」
『……???』
ファイの言動に尻尾と表情で不可解を示す牙豹に構わず、ファイはまたしても暴竜に向けて歩き始める。
「そう。私は、大丈夫。身体だけは頑丈、だから」
かつて黒狼の組長に言ってもらった褒め言葉をつぶやきながら、しっかりと地面を踏みしめるファイ。その顔は青く、額や頬には脂汗が滲んでいる。骨にヒビが入って痛くない訳が無い。それでも道具になるためには、ファイは“痛み”を克服しなければならないのだ。
「痛くない……。痛くない、から――」
ファイがそう自分に言い聞かせて顔を上げた瞬間、眩い光がファイの視界を覆い隠す。
「……ぁ」
次に瞬間、暴竜が吐き出した小さな光の玉がファイを襲い、爆発した。




