第112話 証明、しないと!
縦に長く伸びる階段をいくつか経由してたどり着いた、第11層。いつものようにユアの研究室の扉を開こうとして、ファイはすんでのところで自制する。
(部屋に入る時は、扉を叩く)
前回ニナに教えられたことを思い出し、控えめに三度、扉を叩く。そのまま待つこと少し。控えめに扉が開くと、
「ど、どうぞ……」
侍女服姿のユアが顔を覗かせ、ファイを中へと招き入れる。そして、半ば押し付けるように通話用の青色ピュレを押し付けると、自身は寝台の上で布団を被るのだった。
「……ユア。来た、よ?」
『ふんっ。よく来てくれましたね、ファイちゃん様。例の魔獣はこの奥に居るんですが、実は相談があるんです』
「なに?」
ピュレを手に瞬きをするファイに、ユアから相談事が持ち掛けられる。それは――。
『暴走している魔獣は、特異な進化をしてくれた子なんです。なので従えて、ニナ様に献上しようと思っています』
“献上”の意味が分からず問い返したファイに、ユアは「贈り物です」と端的に答える。
なんでも、先日のサラの“遡上”――その魔物が本来いるべき階層よりも上に行ってしまうこと――によって、エナリアの表側に居る主要な魔獣たちが減ってしまっているらしい。そのため、いま暴走している魔獣を調教して、エナリアの戦力として加えようとユアはファイに提案する。
「なるほど。でも……」
調教についてもユアから詳しく聞いたファイ。曰く、魔獣に“敵わない”と思わせて、自分の言うことを聞かせるのだという。その代表的な方法こそ、暴力。相手を死なない程度に痛めつけることで、言うことを聞かせるのだそうだ。
相手を甚振るような行為に抵抗を覚えてしまう程度には、ファイは“心”を持ってしまっている。
「ユアの力は、ダメ?」
ユアは相手の目を見ることで心を読むことができるという。また、あるていどは魔獣と意思疎通をすることができるようで、かなり強い魔獣までをも支配下に置いている。その力をもってすれば、暴走する魔獣を止められるのではないか。
そう考えたファイだが、
『できる、と言いたいところですが、今回の魔獣は無理そうですね。全然、ユアの言うことを聞いてくれません』
ユアによって軽く一蹴される。そもそも言うことを聞かせることができないから、ファイがこうして派遣されているわけだった。
それは同時に、ユアが言うことを聞かせられないほどの魔獣が暴れているということでもある。
(まえ戦った時。ユア、橙色等級の魔獣だったら調教? できてた。つまり……)
相手は黒飛竜――赤色等級――以上の魔獣ということなのではないか。もしそうだとするなら、果たして本当に自分1人で対処できるのだろうか。少し冷静になったファイのこめかみに、ひんやりとした汗が伝う。
ファイは、ニナに死んではならないという命令を受けている。しかも、もし調教をするのだとすれば、今回は手加減をしながら戦うことも強いられる。果たして格上かも知れない相手に対して、そんな芸当ができるのだろうか。
「……ユア。ちょっとニナに相談させて欲し――」
『怖いんですか?』
ピュレから聞こえてきたユアの声が、ファイの言葉を遮った。
「……なんて?」
『ぷぷっ! もしかしてファイちゃん様、怖いんですか~? ユアのツヨツヨ魔獣に負けるのが』
嘲りの色を隠そうともせず、ファイのことを挑発するユア。
「……そんなことない、ユア。私は道具。心は無いから、怖い、もない」
『ほんとです? 無理しなくてもいいんですよ、ザコのファイお姉さん。ユアの魔獣、強いですもんね?』
あえて、だろう。敬称としての「様」を取り除き、ユアはさらにファイのことを煽りたてる。
「……違う、よ。私はザコじゃない」
『口で言うの簡単ですよね? ニナ様に示さなくてもいいんですか? ファイお姉さん1人でも、自分で考えて、行動して、ユアのツヨツヨの魔獣相手でも調教できるんですよって。えっと、なんて言いましたっけ……』
しばらく適切な言葉を探していたらしいユアだが、「思い出しました!」と嬉しそうな声をあげる。そしてピュレを通して、ファイの的確に“弱点”を突いてくるのだった。
『優秀な道具、ですよって。証明しなくて良いんですか?』
「――っ!」
ユアの言葉に、微かに目を見開いたファイ。
(……そう。ニナのために。自分で考えて行動できるのが、優秀な道具。“考える”ができる私の、唯一の強み)
心があってしまうし、失敗も多いファイ。多くの面で、尊敬する“道具”という概念には遠く及ばないことは分かっている。それでも、自ら考えて行動し、判断できる。その点においては、普通の“道具”にはできないことだという自負はある。
自分で考えられない道具は、遠隔撮影機を買って来ることはできないし、泣いている主人を慰めることもできない。それらができていると思っているからこそ、ファイは最低限、自分は“道具”なのだと胸を張ることができている。
(……ユアの言う通り。なんでもニナに聞く、は、良くない)
危うくただの“指示待ち人間”に成り下がってしまうところだったと、細い眉を立たせるファイ。
「分かった。魔獣を“ちょうきょう”して、ニナに“けんじょう”する」
『くふっ! さすがチョロいです!』
「うん? ユア、何か言った?」
小声で発されたユアの言葉が聞き取れず、ファイが思わず聞き返す。
『何でもありません~! でもぉ~、本当にできるんですか~? もしファイお姉さんに何かあったら、ニナ様に怒られるのはユアなんですが?』
「大丈夫。だって私には、ニナから借りてる剣がある、から」
そう言ってファイが右手で触れたのは、腰に差している1振りの剣だ。ニナ達との模擬戦でも使った、耐久力に優れた剣でもある。この剣であれば、ファイが全力で振っても壊れないことは確認済みだった。
『じゃあじゃあ、今から録音するので宣誓してください。ファイさんが優秀な道具として、自分の判断で、1人で。魔獣を倒しに行ったんですって』
ユアの言っている言葉の意図が分からず、一瞬、眉根を寄せるファイ。しかし、頭の良いユアの言動の全てを、無知な自分が理解できるはずもないというのがファイの認識だ。そのため、とりあえず言われたことに従う。
「分かった。えっと、私が1人で魔獣を倒しに行く」
『ユアはちゃんと止めましたよね? 大丈夫ですかって、何度も聞きましたよね?』
「うん、聞いてくれた。けど、ニナのためだから。私は行く、よ?」
『はい、言質いただき、です! ……それじゃあさっさと魔獣を倒しに行ってください~』
最後の部分は興味ないと言わんばかりに言ったユア。布団から突き出ている彼女の右手が、研究室の奥にある広大な実験場を指し示している。
淡泊で雑なユアの対応にむしろ目を輝かせたファイ。
「任せて。すぐにちょうきょうしてくる」
『ユアは足手まといになってもいけないので、通路からファイお姉さんを観察……見守りますね。適当に頑張ってください~』
「分かった(ふんすっ)」
ユアからの応援を背に、ファイは事件場へ続く重厚な鉄扉を開いたのだった。
ファイがユアの実験場に足を踏み入れるのは、これで2回目だ。黄土色の平坦な地面が印象的な半球状の空間。広さは直径500mを優に超え、天井も300m近くあるように見える。
前回は熱烈なユアの歓迎を受けたその場所には本来、多種多様な魔獣たちが暮らしているはずだった。
しかし、現在。ファイの視界の中に納まる魔獣は4体しかいない。そのうちの3体は、ファイも見覚えのある者たちだ。
まず2体、上空で黒い翼を広げて旋回しているのは黒飛竜たちだ。地上での騒動を気にかけた様子もなく、気ままにはるか上空を飛んでいる。そして、もう1体。前回ユアが騎獣としていた青白い毛並みの巨大な猫――牙豹だ。
(だったら……)
心の中で呟きながら、ファイは牙豹とにらみ合うもう1体の魔獣――今回の討伐対象へと目を向けた。
暴竜。そう呼ばれる恐竜の魔物がいる。大きな頭に見合う、大きなあご。上下合わせて100に迫る数を誇る鋭い牙は、噛みついた獲物を離さない。体長は10mもあり、その巨体を支える2本の足は太くたくましい。一方で必要のない前足は退化してしまっており、お腹の一部としてちょこんと添えられているだけだ。
深みのある赤茶色の毛でおおわれた、大型の肉食恐竜。それこそが暴竜。またの名を、ヴォルフスだった。
今回はその暴竜の変異体であるらしい。身体の大きさは通常種と変わらないが、毛の色は黒く変色しており、牙豹の毛と美しい対比を映している。顔は厳つさを増しており、牙豹を見つめる目は血走ってしまっていた。
黒い暴竜の拍動に合わせて脈打つ表皮の血管。鋭い牙が並ぶ巨大な口から漏れる、滝のようなよだれ。正気を失った瞳も相まって、ファイには暴竜がひどく苦しんでいるように見えた。
と、牙豹と見つめ合っていた暴竜がエナリアの天井を仰ぎ見て鼻を鳴らす。そして、ゆっくりと。身体の向きをファイの方へと変えて、自身の獲物が変わったことを分かりやすく示した。
当然だ。暴竜は魔獣――ガルンの生物――であり、本能的に進化を求める。それはつまり、多量の魔素を有する存在を率先して狙うということでもある。そしてファイは、ウルン人の中でも有数の魔素供給器官をもつご馳走だ。
『ブォォォーーー……!』
よだれをまき散らしながら、地鳴りのような声で鳴いた暴竜。ファイの方に向けて大きく口を開いたかと思うと、開口一番。
一条の光線をファイに向けて放ったのだった。




