第109話 プニプニ、フワフワ
サラに別れを告げて“裏側”へと引き返したファイ達は、お風呂場へとやって来ていた。第16層の性質上、仕方のないこととはいえ、ファイ達の全身には血の匂いがこびりついている。それどころか、不死者たちを倒す際に否応なく服にも返り血が付く。
色々と歩き回って汗もかき泥も付着したということで、着替えがてら風呂に入ろうということらしかった。
「そう言えば。ウルンの人は眠る前か朝起きてすぐにお風呂に入るんだって。フーカが言ってた」
侍女服を脱ぎながらウルンで得た知識を披露するファイ。
「変なのー。好きな時に入ればいいのに」
とは、ルゥの言だ。ファイとはまた違う作りの侍女服を脱げば、現れるのは肉付きの良い身体とくねくね揺れる細くて艶のある黒い尻尾。先端が膨らんで「♡」のようになっているのが特徴だ。
ミーシャの細長い尻尾。リーゼの鱗に覆われた硬くて太い尻尾。ユアのフサフサの尻尾。持ち主の感情を如実に表す身体的特徴は、ファイの密かな楽しみだ。
(そう言えばサラ。尻尾、無かった……?)
治癒能力を持たないからだろうか。それとも、単にファイが見落としただけか。サラの尻尾を確認していなかったことを思い出すファイ。そうなると、どうしてもウズウズしてしまう。
「ルゥさん。ウルンにはフォルンとナルンが入れ替わる『1日』という単位があるのですわ。その切り替えとして入浴なさっているのではないでしょうか?」
ファイに負けじと書物で仕入れたらしいウルンの知識をひけらかしながら、ニナもウルン人の入浴文化について言及する。侍女服と違って着脱しやすい服を着ていた彼女。一足先に着替えを済ませ、今は淡い黄色の湯浴み着を着ていた。
「ふんふん。わたし達がお仕事の区切りでお風呂に入るのと似たようなものなのかもね」
「そう、かも? あと、ウルン人は夜……フォルンが出てない時にみんな一斉に寝るんだって」
「そうなのですか? はて、なぜでしょうか……?」
「ほら。みんなで寝ちゃえばお互いに誰も襲えないからじゃない? で起きてから戦う、とか」
ウルンとガルンの文化の違いについて話しながら、入浴の準備を進める3人。と、ファイが下着を脱いで全裸になった時だった。
「……ファイちゃん。止まって」
ルゥに言われて、条件反射的に全身を硬直させるファイ。
「ど、どうしたの、ルゥ?」
パチパチと瞬きをしながらルゥを見てみれば、彼女はファイの身体を凝視している。もっと言えば、胸のやや下と腰辺りを見ていた。
「下着痕ついてる……。ファイちゃん。そこでグルって回って見て」
何が何やらファイには分からないがとりあえず、ルゥに言われるがままその場で身体を一周させる。
「る、ルゥさん? うらやま……ではなく。どうしてこのようなことを?」
ファイの代わりに質問してくれたのはニナだ。ファイの全裸を凝視しないように手で目を隠しているようだが、どう見ても指には隙間が空いている。果たしてニナのその行動にどんな意味があるのか。それについてもファイには分からないが、ともかく。
「……うん、やっぱり。この前、お出かけ用の服を着せてる時にも思ったけど、アレだ――」
ファイの全身を観察し終えたらしいルゥが納得の声を漏らす。そして、ファイの主に腰回りを指さすと、声高に宣言した。
「――ファイちゃん、太ったね!」
「なぁっ!?」
驚愕の声を上げたのはファイ――ではなくニナだ。一方で当事者であるファイは「ふとった?」と全裸のまま首をかしげる。
「そう、太った。プニプニになった。お肉が増えた。色んな言い方があるけど単純に言うと、体重が増えた」
「体重が増えた……。太った……。お肉が付い、た……?」
改めて自身の全身を見回してみる。が、自分自身の変化だからだろうか。パッと見では分からない。だが、試しにお腹のあたりのお肉をつまんでみると――
プニッ。
――わずかに指先で掴める程度に脂肪がついている。
「…………。…………。……っ!?!?!?」
その瞬間、どうしようもないほどの羞恥心がファイの中に湧き上がり、彼女の顔を赤く染めた。というのも、太った、体重が増えた、というのは道具として自身の状態を管理できていないことを示しているからだ。しかも困ったことに、ファイには心当たりがある。
(だって、ここのご飯、美味しい、から……っ!)
例えばミーシャに見守られながら作る料理や、ルゥやリーゼが作り置きしてくれているご飯。あるいはニナが食べさせてくれるお菓子など。どれもこれもがファイにとっては未知の味で、幸せの味だ。しかもニナに「お腹いっぱい食べてくださいませっ」と言われているため、きちんとお腹がいっぱいになる量を頬張ってきた。
そうして暴食と呼ばれる生活を過ごしてきた結果、ファイの身体には分かりやすい変化が訪れていたのだった。
「こ、これは、違う……の! ご飯、が、ご飯で……、お菓子が……、だから……っ!」
アワアワと手足をばたつかせたかと思えば、最終的には太ってしまった己の醜い身体を抱いて「見ないで……!」とその場でうずくまるファイ。その目端には羞恥のあまりに漏れ出てしまった光る雫がある。
いつになく感情を露わにしてしまう彼女を、きょとんとした顔で見てくるルゥとニナ。だが、すぐに何かに気付いたように「あっ」と声を漏らしたのはルゥだった。
「ち、違うのファイちゃん! 良いこと、良いことだから! むしろわたし達がそうなるようにしたの! ね、ニナちゃん!」
「そ、そうですわ、ファイさん! たくさん食べて太るように“指示”をしたのはわたくしです。ファイさんはそれに従っただけ……えっと、優秀な道具さん、ですわっ!」
慌てて駆け寄って来た2人による慰めの言葉に、ゆっくりと顔をあげるファイ。
「……私、は、大丈夫? ちゃんと道具、できてる?」
「もちろんですわ! むしろファイさんはもっとプニプニになるべきなのです。ほら、わたくしなんてこの通り」
ファイの手を自身のお腹に持っていき、湯浴み着の上からつまませるニナ。だがそこに余計なお肉など無く――。
「……プニプニじゃ、ない(ガクリ)」
「ああ! 逆効果でしたわぁ!」
「もう、あっちこっち動き回ってるニナちゃんが太ってるわけないじゃん! わたしとしてはむしろニナちゃんにこそご飯食べて欲しいのに!」
「そうだったのですか!? どうしましょう、どうしましょう……ルゥさん!?」
助けを求めるニナの声に、
「うっ……。わたしが蒔いた種だもんね。……しゃーない!」
ルゥが文字通り身を斬る覚悟を決めたらしい。今度は彼女が、ファイに自身のお腹の肉を摘まませる。そこには確かに、疑いようのない余計な肉がついていて――。
「……私よりプニプニ」
「誰がデブじゃいっ! ……ま、まぁ確かに? 標準よりは若干、ほんのちょびっとだけ体重は重いけど……って、なに言わせるの!」
「ルゥさんが勝手に言っただけですわぁっ!?」
「プニプニ、プニプニ……」
幼馴染2人が言い合っている間も、ルゥのフワフワもちもちのお腹の感触を確かめるファイ。なるほど、確かにコレと比べるなら、自分はまだまだだと密かに安心する。
「……おい、ファイちゃん。失礼なこと考えてないよね?」
「そんなことない。ルゥは、私よりプニプニ。そう思っただけ、だよ?」
「この子……っ!? 人の厚意をなんだと……。そんな無礼な奴には、こうだ~!」
「わっ」
ファイを押し倒してきたかと思うと、全身をまさぐり始めるルゥ。ニナにもいつもそうしているからだろうか。ルゥの手つきは慣れており、どことなくいやらしい。
「この際、ファイちゃんにあ~んなことやこ~んなこと、教えてやるっ!」
「はわっ!? ルゥさん! 羨ましいですわ! わたくしも混ぜてくださいませっ! ……ではなく! わたくしのファイさんを汚さないでくださいませ~!」
ニナのかなり本気の介入によってルゥの蛮行は止められ、ファイは事なきを得るのだった。
「……まぁ、とにかく」
立ち上がってファイに手を貸すルゥが、呆れたようにファイを見る。
「ファイちゃんもニナちゃんも。もうちょっとお肉を着けてって話。ニナちゃんはあと2㎏くらい。ファイちゃんも3㎏くらい。適正な体重ってものがあるんだから」
従業員や住民の身体を管理する者としての立場からそう言って、尻尾を揺らすルゥ。しかし、彼女の手を借りながら立ち上がったファイとニナの視線はルゥのふくよかなお腹へと向けられる。
「「適正体重……?(じぃー……)」」
「わ、分かった! わたしも羽の移動が楽だからって横着しないようにするから! ……だから2人もたぁっくさんご飯食べて、健康な身体を心がけてね」
恥ずかしそうにそっぽを向くルゥの言葉に、「分かった」「はいっ」とそれぞれ頷くファイとニナ。
「なら良し! 別にわたしも角とか胸が重いだけで、太ってるってわけじゃないはずなんだけどなぁ……」
「ふふっ! ルゥさんの柔らかなお身体、わたくしは大好きですわよ?」
「私もそう思う。ルゥはそのままでいい……かも?」
ファイもルゥの“抱かれ心地”の良さを知っている。彼女に抱きしめられると、なぜだか安心してしまうのだ。もちろんニナも同じだろう。だが、他意なく、ありのままの気持ちを言ったつもりの言葉も、密かに体重の増加を気にしているらしいルゥには逆効果になるようだ。
「2人とも嫌味か? 嫌味だな? 見ててよ、絶対にお腹のお肉減らすから。……そのためにも、まずは間食のお菓子作りをやめないと――」
「「それはダメ(ですわっ)!」」
図らずも、ファイとニナの叫びが重なったのだった。




