第108話 もう1人、居るみたい
“何か”があっても、ニナとファイが居る。ということで、ファイも協力しながらサラを拘束する全ての枷を解いてあげる。ルゥの麻痺毒が効いているため、サラが自分の意思で身体を動かすことはできない。しかし、彼女の身体をファイ達が動かすことができるようにはなった。
さらにこの場には、何もない場所から水を作り出すことができるファイがいる。そのため――。
「よいしょ、っと」
ルゥが手慣れた様子でサラの服を脱がし始めた。
「ルゥ? 何してる、の?」
内心でギョッとしたファイがどうにか無表情を保ちながら聞いてみると、
「うん? お姉ちゃんの身体、拭いてあげるの」
そんな答えが返って来る。ファイがさらに理由を尋ねてみれば、身体を拭いてあげないと皮膚の病気になってしまうことがあるらしい。
「初めてファイちゃんが担ぎ込まれた時も、もうちょっと時間が経ってたら同じことをしてたと思うよ。ってことでファイちゃん、ここにお水お願いしてもいい?」
「え、あ、うん。……〈ユリュ〉」
ルゥが差し出してきた手ぬぐいを、ファイが水の魔法で濡らす。
「ありがとっ! ほんと、魔法って便利だよね~」
などと言いながら手ぬぐいを絞ったルゥは早速、上下の下着姿だけになったサラの身体を拭き始めた。
と、その光景を眺めることしかできないファイの目と、ルゥに身体を拭かれるサラの赤い瞳が交差する。サラの瞳になんだか「あなたは誰?」と聞かれている気がして、ファイは自分が自己紹介をまだできていなことを思い出した。
「初めまして、サラ。私はファイ。えっと……ファイ・タキーシャ・アグネスト?」
自身の名前を確認するためにニナの方を確認したファイ。それに対してニナが大きく頷いて合っていることを示してくれたため、サラへの自己紹介に戻る。
「ウルン人。あとは……」
こちらを見つめるサラの赤い瞳に何を伝えれば良いのか。迷うファイを助けてくれたのは、ルゥだ。
「ファイちゃん。好きな物は?」
「好きな物? えっと、ニナ……は物じゃないから、甘い物。特にお砂糖……って、ルゥ。私は道具。好き、は、無い」
「――って感じの、ちょっと変わっためんどくさい子だよ、お姉ちゃん。仲良くしてあげてね」
雑にまとめたルゥの言葉に、「むぅ」と微かに頬を膨らませるファイ。なお、好きな物を答えたファイの言葉に「はぅぁ!?」と声にならない悲鳴を上げてニナが悶絶したのは言うまでも無いだろう。
「で、お姉ちゃんの方ね。名前はサラ・ティ・レア・レッセナム。レッセナム家の3番目の子。ガルンで3の意味の『サー』って音から名前を取ってたはず」
4を意味する「ルー」の音から名前を付けられたルゥも含め、レッセナム家が子供をどのように思っていたのかがなんとなく察せられそうなものだ。
「好きな物は、えっと……」
身体を拭く手を止めて、姉の顔を覗き込むルゥ。しばらく姉妹仲良く見つめ合っていたが、不意に、ルゥの頭の頂点にぴょこんと立っている髪の束がピンと立った気がした。
「えっ、わたし!? もう、お姉ちゃんってば~……!」
などと照れたように言っている。
「ありがとうなんだけど、他に! 食べ物とか好きなこととか。……うん、うん。なるほど」
話が終わったらしいことを確認して、ファイは改めて聞いてみる。
「ルゥ。サラの好き、は、なに?」
「見た目にも楽しいし食べるのも美味しいから、好きな物は果物。好きなことは絵を描いたり、本を読んだりすることだって」
「……そうなの?」
ルゥを疑うわけではないが、やはりサラ本人に確認せずにはいられないファイ。自分もルゥのように彼女の目を見れば何か分かるかもと思ったが、
「……♪」
ニコニコ楽しそうなサラの顔や目からは、何も感じ取ることができなかった。
「よしっ! 自己紹介もできたところで、ジャンジャンお姉ちゃんをキレイにして行くよ~!」
「ふふっ! ファイさんはサラさんの足を拭いてあげてくださいませ」
ニナが、たしなみとして常に持っているらしい手ぬぐいをファイに渡してくれる。
「分かった」
そうして、ルゥがサラの上半身を、ファイが下半身を丁寧に拭いていく。他方ニナはと言えば、拘束具の留め金や鎖が傷んでいないかどうかの確認をし始めた。
なんでも先日の光輪による“不死のエナリア”攻略の際、拘束具が劣化していたことでサラが棺から出てしまったらしい。結果として第16層に居るべきサラが上層に移動する『魔物の遡上』と呼ばれる現象が発生していたそうだ。
それこそが通信室に飛び込んで来たニナの「大変ですわ」が示す内容であること。また、ニナが言う“あの方”がサラであることを、この時になってようやくファイは知る。また、ミーシャと共に確認した上層へ向かうリーゼの目的がサラの確保であったことも、同時に知ることになるのだった。
(サラの身体、キレイ……)
病的なほどに白い身体は、陶器のように滑らかだ。ファイと同じで閉じ込められて育ったらしいが、食べ物はきちんと与えてもらっていたのだろう。妹のルゥに負けず劣らず凹凸のある体つきをしており、美しい曲線を描いている。
定期的にお風呂に入っているわけではないはずなのに、サラからは花のようないい香りがするのも印象的だ。少し運動すれば汗をかいて汗臭くなってしまうファイからすれば、羨ましい――ファイ本人は決して認めない“感情”だが――限りだ。
こうしてサラが健康的・衛生的な状態を保つことができているのは、棺に収まるようになってからもきちんと栄養や体調の管理をしてもらっているからに違いなかった。
だからこそ、手首や足首に残っている拘束具が擦れた痕が痛々しくファイには映る。
「……ルゥ。サラの怪我は治せない?」
ついつい聞かずにはいられないファイ。ルゥの治療薬は量さえあれば致命傷すらも完治させてしまう。ならば、この程度の傷、治療できるはず。そんなファイの言葉に微かに微笑んで見せたルゥ。
「お姉ちゃんのこと心配してくれてありがとね、ファイちゃん。でも、わたしの傷薬でも治せる傷と治せない傷があるの」
ルゥが言うには、傷薬はその人の身体の中にある設計図を基にして傷を治すらしい。しかし、傷を負ってからあるていど時間が経ってしまうと、身体が「自分の身体はこうなんだ」と傷ついた状態を“普通”だと認識し、設計図を書き換えてしまうのだという。
「わたし達は傷の定着って呼ぶんだけど。そうなっちゃうと、どうしてももとには戻らないの」
「……そっか」
つまり、サラのこの傷痕は治すことができないらしい。
ならばこれ以上傷痕を増やさないためにも拘束を解いてはどうか。そう思わなくもないファイだが、サラは、迷惑をかけないために自ら望んで拘束具を着けていると聞いた。
一方で、先日の光輪による攻略の折。アミス達を最終的に撃退したのはリーゼだと聞いたが、追い詰めたのはサラだったらしい。つまりサラは、自ら上層に向かってアミス達と戦闘をしに行ったということになる。
(戦いたいのに、動きたくない……? サラの想いと行動は、チグハグ。ちょっと、変……?)
自分のことを棚に上げ、サラの在り方に首をかしげるファイだった。
「えぇっと……。予定していた時機ではありませんでしたが、こうしてサラさんにもご挨拶ができました。これでファイさんは皆さんと一度以上はお会いした形になるのでしょうか?」
留め具にゆるみなどが無いことを確認し終えたらしいニナが、ファイのすぐ隣までやって来る。彼女が言う「皆さん」が従業員だろうことは分かるため、ファイは面と向かって挨拶した人々の名前を列挙する。
「えっと。ニナ、ルゥ、ミーシャ、リーゼ、ユア。それから、サラ。うん、6人……ううん、待って」
ファイは確かに記憶している。過労だったニナがよだれを垂らして寝落ちする前のこと。ここで働いている人の数を聞いたファイに対して、ニナはこう叫んだ。
『管理者たるわたくしを除くと、ろ、6名……ですわっ!』
と。つまりニナを頭数に入れてはいけない。
「ルゥ、ミーシャ、リーゼ、ユア、それから、サラ……。1人足りない?」
「あら? えぇっと……。あっ」
ファイが列挙した中に居ない人物を、すぐに思い出したらしいニナ。ファイに向き直ると、
「ムアさんがまだ、ですわね!」
実はまだ面識がない従業員の名前を教えてくれる。
「そっか、ムア。確かにまだ、会ったこと無い」
「そうですわよね……。ムアさんは“表側”で遊んでいらっしゃることがほとんどなので……」
ニナのもとで働くようになってこれまで、多くの時間をエナリアの裏側で過ごしてきたファイ。サラやムアのように表側で仕事をしている人々とは接点を持ちづらい環境にあった。
だが、こうしてムア以外の全員と顔を合わせることができた以上、ムアとも会うべきなのではないだろうか。そんな思いがファイの中に湧き上がる。
ましてやムアも獣人族だ。間違いなく、ファイの未知のモフモフが待っている。
「……ニナ。ムアは、どこ?」
無表情ながらきらりと瞳を輝かせて、ニナに尋ねるファイ。しかし、ニナは苦笑するばかりだ。
「基本的にムアさんには表側の魔獣全ての管理を任せているので、今どこにと申し上げることは……」
「そっか……」
まだ見ぬモフモフの“お預け”を食らって、肩を落とすファイ。だが、この後。散歩を終えた次の仕事の際、ファイは思わぬ形で最後の従業員――ムア・エシュラムと出会うことになる。
さらに、もう1つ。実は先のニナの「6人」という発言は、管理職の人数を訪ねた時のものだ。そこにミーシャは含まれない。つまり、このエナリアにはもう1人、名前も存在も忘れられている管理職のガルン人の少女が居るはずなのだが――。
「ムアのお仕事はなに?」
「エナリアの表側の魔獣さんの管理、ですわね。裏をユアさん。表をムアさんにそれぞれ担当して頂いております」
「姉妹揃って自由人だからなぁ~。特にムアちゃんとは、狙って会うのは難しいかも」
「……♪」
――そう話すファイ達が、彼女の存在を思い出すことは無かった。




