第106話 ニナの原点、なのかも?
「……そうだ。ニナ。あの中央にある箱、は、なに?」
話がひと段落ついたところで、改めて真っ暗な第16層の最奥部――階層主の部屋を見回したファイ。すると、光り輝く血の円環に囲われた部分。直径100mほどの広場の中央にある台座に、不思議な形をした箱が立てかけられていることに気付く。
長方形の箱の大きさは2mほどだろうか。幅は広い所で50㎝、狭いところで30㎝ほどだろう。ふたが開かないようにしているのだろうか。箱には何重も鎖が巻き付けられていた。
「中央と言うと……恐らくですがサラさんの棺のことですわね?」
ファイと違って夜目が利かないニナ。目を細めてファイの視線を追い、ファイが示した物を明かしてくれる。
「サラ? ひつぎ?」
「はい! えぇっと、そうですわね。何からお話ししましょうか……」
小さな手を顎に当てて、考え始めるニナ。と、その時だ
「お~い! 誰か居るんですか~?」
うめき声しか聞こえなかった風の膜の向こう側から、ファイの聞き覚えのある声が聞こえてきた。だが無数に押し寄せてくる不死者たちのせいで、姿が見えない。
試しにファイが風の範囲を広げ、周囲の不死者たちをせん滅してみると、
「イタ、イタタタ……ッ!」
激しい風に黒髪と侍女服を揺らすルゥが姿を見せた。遮るものがなくなって、お互いの姿を視認できるようになったファイとルゥ。ルゥも特別夜目が利くわけではないが、ファイ達は光る血のすぐそばにいる。おかげで、ルゥの方からも視認できたようだった。
「ま、待って、ファイちゃん! 服! 服がダメになっちゃう!」
「あっ、ごめん」
ルゥが身を守るようなそぶりを見せたため、すぐにファイは風を止める。おかげで、不死者たちの中でルゥが全裸になるという事態は免れたのだった。
「ふぅ、危ない危ない……。珍しいね、ファイちゃん。こんなところで。何してる、の……」
言いながら歩いて来たルゥだったが、ファイの隣にいるニナを見て青い瞳を大きく見開く。
「おー……。ニナちゃんとファイちゃんがここに居るってことは……」
「はい。この階層、そしてわたくしの過去について、お話させていただきましたわ」
「そうなんだ。……頑張ったんだね、ニナちゃん! ギュっしてあげる~!」
そう言うと、ニナにぎゅっと抱き付いたルゥ。だが、ニナはすぐにルゥをやんわりと押しのける。
「……っとと。……ニナちゃん?」
まさか拒否されるとは思っていなかったらしいルゥはたたらを踏んで、ニナのことを不思議そうに見ていた。
「はわっ!? も、申し訳ありません、ルゥさん。ですが、わたくしなら大丈夫ですわ。わたくしもいつまでも子供じゃないのです!」
自分なら1人で立てる。そう幼馴染に対して胸を張ってみせるニナ。その無理のない強がりは、ファイにとっては微笑ましく映る。一方で、
「…………」
ルゥは呆然とした顔でニナを見つめるばかりだ。いや、よく見れば、口元が微かに動いている。ただ、口から漏れる声はわずかで、ファイには聞き取ることができない。
「ルゥ? どうかした?」
ファイがそう声をかけると、感情が見えない顔をこちらに向けてくるルゥ。普段の溌剌とした彼女とは違う、触れれば飲み込まれてしまいそうな闇が、ルゥの瞳に広がっている。それはあの日、通信士の仕事をするファイに差し入れをしに来た彼女が、
『ニナちゃんを、取らないでね?』
そう言った時と同じように見える。さらには「この子のせい?」とこちらを見て言うルゥの声が聞こえた気がして、ファイはブルリと身体を震わせた。
しかし、次の瞬間にはルゥの顔には笑みが浮かんでいる。
「ううん、なんでもないよ、ファイちゃん! ちょっとびっくりしちゃっただけ~!」
そう言ってファイに微笑みかけてくるルゥ。だが、気のせいだろうか。彼女の目だけは、笑っていないような気がした。
「それで、えっと。ルゥさんはサラさんへのお注射ですか?」
「うん、そう。この前お姉ちゃん、出歩いたんでしょ? だから念のためにと思って」
ニナからの問いかけに頷いたルゥは、背中に皮膜のついた翼を出現させる。そのままフヨフヨと宙を漂いながら谷を飛び越えると、円環の中心にある陸地へと降り立った。
「ちょうどいい機会ですわ。ファイさん、わたくし達も参りましょう」
「え、うん」
ほとんど助走することもなく、軽々と5mの谷を跳躍するファイとニナ。危なげなく着地した2人は、先を行くルゥの後を追う。
「ねぇ、ニナ。ルゥのお姉ちゃん……サラは、どこ?」
気づけば谷の向こうで再び形を成し始めている不死者たちを見ながら、最後の従業員――サラ・ティ・レア・レッセナムを探す。そんなファイの隣にピッタリと並んだニナが「あそこですわ」と指さしたのは、先ほどニナが棺と表現した、不思議な形をした箱だった。
「あの箱の中に、サラさんがいらっしゃいます。彼女こそこの第16層の階層主であり、そして――」
立ち止まって振り返ったニナは、円環の向こう側からこちらを恨めしそうに見ている不死者たちを振り返って、言った。
「――彼ら不死者たちを生み出している元凶なのですわ」
ニナとルゥが協力して棺の鎖を解いていく様子を、膝を抱えて座る“待て”の姿勢で眺めるファイ。
サラ・ティ・レア・レッセナム。レッセナム家の次女に当たる人物で、正真正銘、ルゥと血のつながった姉妹らしい。ただし彼女は、レッセナム家全員が持つ“治癒”の能力を進化で発現させることができなかった。その代わりにサラが手にした能力こそが、近くにある血を操る力だったそうだ。
その分かりやすい例こそが不死者たち。
一度に10体程度であれば、橙色等級以上の強さを持つ不死者を生み出して操ることができる。今、円環の外でファイ達を眺めている弱い不死者であれば、もはや数えるほどができないほどの数を生み出すことができるという。
しかも、その能力に限界はないとニナは語った。サラが生きていて、その場に新鮮な血と肉がある限り、サラはいつまでも戦うことができるらしい。
距離に比例して操ることができる不死者たちは弱くなるという制限こそあるようだが、無尽蔵に敵が湧いてくるのだ。ファイでも簡単に、サラの能力の厄介さは想像できてしまった。
「もちろん、お姉ちゃんの能力は尋常じゃなく強いんだけど。いくつか弱みというか制限があるんだよ」
重い鎖を「よいしょっ」と地面に下ろしたルゥが、無敵にも思えるサラの能力について補足する。
「制限?」
「そそ。1つが、見ての通り。お姉ちゃんの意識と意思に関係なく、弱い不死者たちが生まれちゃうこと。つまり、完全に自分の能力を制御できてるわけじゃないの」
医療に携わるレッセナム家には、「輸血」なる血の入った袋がたくさんあったらしい。治療に使うための血なのだそうだが、サラは意図せずその血を次から次へと不死者に変えて使い物にならなくしてしまったそうだ。
ではなぜレッセナム家が“厄介者”であるサラを殺さなかったのかと言えば、殺すにはあまりにも惜しい力を持っていたからに違いないとルゥは語る。それもそのはずで、たった1人で数百、数千の軍隊を生み出すことができるのだ。
治療に特化しており非戦闘員が揃うレッセナム家において、サラは間違いなく貴重な戦力だっただろう。
「一応、お姉ちゃん血を操る操血能力は距離が離れると効力も薄くなるの。それがもう1つの制限なんだけど……」
そのため、レッセナム家はサラを屋敷の離れに隔離して、いざという時の戦力としてのみ、サラを育てていた。
「おかげであの日……ニナちゃんがわたしを解放してくれた日にも、お姉ちゃんだけは生き残ることができたの」
だが、もちろん、その時にもサラの力は発現していた。屋敷に居た人々が流した血は不死者へと姿を変え、今もここにある。サラの血の奴隷として、この場に縛り付けられている。
恐らく“不死のエナリア”から離れた場所にあったのだろうレッセナム家のお屋敷。そこで流れた血がここにある理由こそ、サラの能力によるものらしかった。
「有事に備えてお姉ちゃんを生かしておいて、結局は“使う”前にニナちゃんに殺されて、お姉ちゃんに従わされてる……。お父さん達もザマぁないねって感じ」
皮肉たっぷりに笑ったルゥは、「それに」と妖艶な笑みを浮かべる。
「あの日に流れた血……ニナちゃんがわたしを想ってくれる愛の証を、お姉ちゃんはこうしてここにとどめてくれてる……。はぁ~……お姉ちゃんありがとって感じっ!」
一方、ファイが抱いた感情は逆だ。サラがいるせいで、ニナの犯した罪の証――血――がこの場にとどまってしまっている。サラがいるせいで、ニナは今もこうして自身の汚れをありありと見せつけられてしまっている。そんなふうに思う。
(けど……)
ようやく鎖を解き終えたらしい。広いおでこに光る汗をぬぐうニナを眺めるファイ。
ニナは、自分の汚れをキレイにしようとは思っていないように見える。これからもずっと自分がしてしまったことと向き合いながら、それでも懸命に前を向こうとしている。
その点、この場所はニナが自分の汚れと向き合うための場所でもあるのだろう。自分が何をして、何を思って、“不死のエナリア”を作ろうと思うに至ったのかを確認する場所――原点なのではないだろうか。
「お待たせいたしましたわ、ファイさん! サラさんとご挨拶、ですわよ!」
もはや屈託なく笑って汚れを受け止めることができる。“強い”ニナの姿に目を細めたファイは、勧められるがまま立ち上がり、棺の前へと歩を進めた。




