第25話 ほっと一息の晩酌を
寝落ちしてしまっている殿下を見つけた。
何も掛けずに寝ている姿を見て、風邪を引いてしまいそうだなと思った私は、王城の使用人さんから毛布をもらった。
殿下に毛布だけかけて立ち去ろうと思って、忍び足で近づく。
しかし、毛布をかけようとしたところで、突然、殿下は目を開けて、私の腕を掴んだ。
「誰だ?」
「あ、すみません。起こしてしまいましたか?」
「ああ、なんだ。君か……」
殿下は私の姿を見て、ホッとしたように力を抜いた。
「すみません。毛布をかけようと思っただけなんですけど……余計なお世話でしたね」
「いや、心配してくれたんだろう? ありがたいことだ」
「殿下は、ここで何をされていたんですか?」
「執務室では集中できなくなってきたから、人の目があるここで、少し作業をしていたんだ。まあ、寝落ちしてしまったから場所を変えた意味はなかったんだがな」
殿下の手元には沢山の資料が置いてあった。殿下の目元は隈が残っているし、多分徹夜で作業していたんじゃないかな。
「少し休まれた方がいいんじゃないですか?」
「いや、休むつもりはない。このまま……」
その時、殿下のお腹が「くぅ〜」と控えめに鳴った。殿下はすぐに顔を赤らめて、頭を抱えた。
「お腹が空いてるなら、何か食べた方がいいですよ!」
「しかし……」
「私、何か持ってきますね!」
「いや、ちょっと待て……」
殿下の制止も聞かず、私は厨房へと戻って行った。しかし、すぐに殿下にお出し出来るものが何も見当たらない。
仕方がないので、先ほど晩酌用に作った「とあるおつまみ」を持って、殿下のいる部屋へと戻って行った。
「すみません。持ってきました!」
私は殿下に持ってきた食べ物を見せた。殿下は不可解そうに眉を顰めた。
「タコぶつです!」
「……?」
また作業の合間に皆で食べれるかなと思って、「コンビニお手軽おつまみ、パート二」として作ってみたものだ。
今回、沢山の魚料理を作るに当たって、王城に色々な魚が届けられた。
その中にタコが混じっているのを見て、たこぶつを作ってみようと思ったのだ。どうやらこの世界にはタコを食べる文化はないらしく、私がタコを捌き始めたのを見て、料理人さん達は顔を青ざめさせていたけど……。
殿下も初めて見る食べ物らしく、首を傾げている。
「それはどんな食べ物なんだ?」
「タコをお酢と醤油と砂糖で混ぜた、おつまみになります! 見た目は不思議かもしれませんが、美味しくて癖になるんですよ、これが!」
私が必死で説明すると、一瞬、殿下はポカン……とした。が、すぐに彼は体を震わせて、笑い始めてしまった。
「す、すみません。何か食べた方がいいなって思ったのに、これしか無くて……」
私が恐縮すると、殿下は首を横に振った。
「いや、すまない。そんなに必死になってくれるのが、可愛……嬉しいなと思っただけだ」
「そうですか?」
「ああ、君の厚意はありがたい。それに、食事は取った方が効率的だし、休養も必要だよな」
「はい。そうですよ」
「そういえば、君とアベラルドは度々晩酌をしているのだったな?」
「はい。それがどうしたのですか?」
「私とも一杯飲まないか? 友好の証に」
前世の願いが「誰かと一緒に飲みたい」だった私にとって、「友好の証に一緒に飲む」という言葉には弱い。私は喜びながら、「飲みましょう!」と頷いた。
⭐︎⭐︎⭐︎
厨房からビールとグラスを取ってきて、さっそく日本酒をグラスに注いだ。
そして、私達はグラスを軽くぶつけ合った。
「それでは、乾杯です」
「乾杯」
さっそく、たこぶつをつまみにして、ちびちび日本酒を飲み始めた。
タコは身が引き締まっていて、コリコリしている。この噛みごたえとさっぱりした味わいで永遠に食べられそう……っ。
私がおつまみを楽しんでいる一方で、殿下は無言で食べ続けていた。感想が欲しくなってきた私は、殿下に直接聞いてみることにした。
「……おつまみは、いかがですか?」
「ん? ああ、美味しいぞ」
「……殿下って、あんまり料理の感想を言わないですよね」
国王夫妻は提供する予定の料理を味見した時は、味の感想・評価を伝えてくれた。だけど、それは仕事の一環としての言葉だ。
必要ない時は、あまり料理の感想を言ってくれないのだ。
私の言葉に、殿下は頷いた。
「確かにそうかもな。だが、君の作ったものは全部覚えているぞ」
「え?」
「最初に食べたお寿司は衝撃的だったし、自作の酒も新しい美味さを体感さてもらった。皆で食べた、さきいかなども面白かったし、他にもリゾットやドリア、春巻き、ぶり大根など……色々食べさせてもらったが、全部美味しいと思っていたぞ」
まさかお出しした料理一つ一つを覚えていてもらえてるとは思わなくて、びっくりした。そして、そう言ってもらえるのは、作った甲斐があったというものだ。
「視察の食事も覚えてらっしゃるし、殿下は仕事に真摯に向き合ってらっしゃいますよね」
「これからの国政を担うのは、私だからな。何事にも責任を持って、取り組みたいと思っている」
「すごい立派ですね」
「そんなことない。私も、時々不安になるんだ。私の行動は本当に正しいのか、と」
殿下はぐいっと一口お酒を煽った。
「私の行動一つでこの国の命運が決まってしまう。国民全員の生活や人生が変わってしまう。そう考えると、少しも間違えられないだろう?」
「……」
「普段は自信があるように見せかけているが、私の本質は臆病なんだ」
そこで、殿下は自嘲気味に笑った。
「いつだって不安でたまらないから、僕は懸命に仕事に取り組んでるだけなんだろうな……」
日本酒を飲みながら、憂いを帯びた表情で、殿下はぼやく。
しかし、私は今の言葉で気になったことがあって……。
「……僕?」
「え? あ……」
普段は「私」と言っている殿下が、今、「僕」という一人称を使ったのだ。それに違和感を覚えて指摘すると、殿下は動きを止めた。
そして、途端に顔を真っ赤にさせてしまった。
「いや、違う……っ」
殿下は顔に手を当てて、ものすごく慌てていた。
「幼い頃の一人称で、気を抜いていたというか……っ。いつもはこんなじゃないからな⁈」
珍しく焦っている殿下を見て、新鮮な気持ちだ。
「殿下の素を見れて、嬉しいですよ」
「いや、忘れてくれ……」
そう言って、殿下は顔を両手で覆って項垂れてしまった。相当恥ずかしかったらしい。
意外な一面を見せてくれた殿下を見て、クスクスと笑ってしまう。殿下は恨みがましそうにこちらを見ているけれど、いつも殿下の方が笑っていることの方が多いから、ちょっとした仕返しだ。
そして、一頻り笑った後、話を戻すために、私は口を開いた。
「殿下の抱えているものは、私には計り知れません」
その重圧やプレッシャーは、とても理解出来るものじゃない。きっと私の想像する何倍もの苦労がそこにあるのだろう。
「だけど、殿下は抱えすぎな気がします。もっと周りを頼ってもいいんじゃないですか」
「……」
「もちろん、私もお力添えしますよ」
私がそう言うと、殿下は嬉しそうに、しかしどこか切なそうに目を細めた。
そして、しばらく葛藤した様子を見せてから、そっと口を開いた。
「それなら一つお願いしていいか?」
「はい。何ですか?」
「私のことは名前で呼んでくれ。アリシアと同じように」
まさか、そんなお願いをされるとは思わなくて、びっくりした。
だけど、アリシア様のことも名前で呼び始めたし……、殿下のことを名前で呼ぶのも仲良くなれたようで嬉しいと思った。
「分かりました。レオナルド様」
そう言って笑うと、ふいと殿下が目を逸らしてしまった。そして、ポツリと呟いた。
「……まさか、アベラルドに執心していたアリシアの気持ちがわかる日が来るとはな」
「? どういうことですか?」
私が聞き返すと、レオナルド様は困ったように笑って、言った。
「いや、何でもない。ただ諦めきれなくなってしまう気持ちもあるんだと知っただけだ」




