結婚式まであと8日③
「ここが私の家。えっと……さすがに作業着じゃ行けないから着替えてくるね」
村から少し離れた場所にある家に着くなり、イレーナはルカにそう告げると慌ただしく馬車から降りた。
さすがに農業の作業着で王都に行く訳には行かない。
イレーナは「ただいまー」と告げると、急いで作業着を脱ぎ、タライの中に入れる。洗うのは帰ってからでいいだろう。
外出用のワンピースの持ち合わせも生憎無い。その為、1番解れも無く、綺麗な少しのフリルがあしらわれた紺色のワンピースを身に着ける事にした。
支度が済んだら部屋の片隅に置かれたトランクを手に取る。
「行ってきます」
そして今度はそう告げる。
この屋敷に住むのはイレーナだけで、他には誰も居ない。
けれど「ただいま」「行ってきます」をイレーナはいつも欠かさず言葉にしている。
理由は……イレーナ自身もよく分かっていない。
外へと出ればルカの姿がそこにはあった。
どうやらわざわざ馬車から降りてイレーナが出てくるのを待っていたらしい。
「用意終わったよ」
「もう終わったのか? 別にそんなに急がなくても良かったんだぞ。怪我でもしたら大変だし」
「そ、そこまでおっちょこちょいじゃないよ……」
少しムッと頬を膨らませるイレーナ。
学生時代からの事だが、ルカは何だかイレーナをまるで妹の様に扱っている様な節がある。
妹……。
私、やっぱり子どもっぽいのかな?
イレーナはふとそう思った。
そんなイレーナの様子を横目でルカは窺った後、呟く。
「一人暮らしをしてるってのはセシル様から聞いてたけど……随分大きなお屋敷だな。1人じゃ随分持て余してるんじゃないか?」
「仰る通り。無駄に部屋の数も多くて…。何より最初に来た時なんてもうボロボロ。しかも汚れも酷くて…」
「そうなのか? そうは見えないくらい綺麗だが……」
「村の人達が手伝ってくれたの。そしたら気づいたらこーんなに綺麗な姿になってて……。本当に……皆には感謝してもしきれないよ」
ボロボロだった屋敷がみるみるうちに姿を変えていき、今では見違える程の変貌ぶりを見せた。
今では我が子の様に愛おしく思っている。
だからこそ1週間、この家に戻って来れないのだと思うと胸が締め付けられた。
勿論、この村を離れること。村の人たちと会えないことも、イレーナの胸をキュッと締め付けた。
「イレーナさんは、この村が。この村の人たちが、ここでの暮らしが……大好きなんだな」
ルカの言葉にイレーナは強く頷いた。
子爵家にいた頃は、毎日息苦しくて仕方なかった。息を潜めて、自分を押し殺し続けた。
そうする事で何とか自分の居場所を保ち続けてきた。
……まぁ、婚約破棄をキッカケにそんな努力も水の泡。そもそも無駄であったのだと思い知らされたのだが……。
「そうなればパパっと挨拶なんて終わらせて帰ってこないとな」
「挨拶なんて…って。簡単に言うけど、まだ何を話すかも決めてないのに…」
手紙が届いて以来、ずっと挨拶の内容を考えてはいた。けれど、どうしても言葉が何も出て来なかったのだ。
おめでとう。
それだけ伝えればいいと分かっていても、どうしてもそこから続く言葉達を紡ぐ事が出来なくて…。
そうしてズルズルと悩み続けた結果、結局1週間前になっても完成しなかった。
「あと1週間もある。そう焦らなくて大丈夫」
「1週間しかの間違いじゃ…」
「物は言いようだって。それに俺に出来ることがあれば手伝うからさ」
その言葉に思わずイレーナは瞳を輝かせた。
薬学が1番得意だと話してはいたものの、全ての科目で好成績を残していた筈だ。
そんなルカの力を借りれば、滞っていた挨拶文も直ぐに完成するのでは?
「助かるよ、ルカくん!」
突如現れた希望の光にイレーナは歓喜を覚えた。
中々良い挨拶が浮かばず、ヘレンに相談に乗って貰っていたが、ロマンの欠片もない……何なら結婚式には相応しくない言葉を羅列し、終いには「不幸になれ! イレーナに謝れ!!」とイレーナ側に立ち、祝いの言葉では無く、殴り込みの様なものになっていた。
「……イレーナさん。挨拶が書けなかった理由ってもしかして」
「ん? 何か言った?」
「……んー、いや。何でもない。そろそろ行こうか」
ルカは首を振ると、ニコリと微笑み馬車へと向かった。
イレーナはそんな後ろ姿を見つめながら、首を傾げるのだった。




