結婚式まで残り8日②
馬車に揺られながらイレーナはルカにバレないようにチラリと視線を向ける。
……とその瞬間、バッチリと目が合ってしまった。
思わずビクリと身体が浮き、その勢いで後頭部を天井にゴンっとぶつける。
ジンジンと響く鈍痛に悶えながら、ゆっくりと座ろうとすれば、突然馬車が揺れて体勢を崩し、今度は窓に頭をぶつけた。再び襲い掛かる痛みに更に悶えていると、視界の片隅にプルプルと小刻みに震えているルカの姿が目に入った。
「申し訳こざいません。あまりにもその…」
そう言って顔を逸らし震えている……どうやら笑いを必死に堪えているらしいルカを見てイレーナは強ばっていた身体から一気に力が抜けた。
そして
「……凄く畏まってたから逆に緊張しちゃってたけど……その様子だと相変わらずみたいだね。ルカくん」
イレーナがそう言えばルカは顔を上げた。
そして目尻に溜めた涙を拭いながら言った。
「それはこっちの台詞だよ、イレーナさん」
そう言って微笑み、手を差し出すルカ。
イレーナはその笑みをみてホッと安堵すると共にその手をとった。
「学園を卒業してからだから2年ぶりだね。元気にしてた?」
「うん、ぼちぼち。イレーナさんは? 」
「最初は結構大変だったけど……今はもう慣れちゃったかな。けど驚いたよ。ルカくんがまさかパーツル伯爵家に仕えてるなんて」
イレーナとルカは同じ学び舎で過ごした所謂学友である。
王都にある学園……王国立ハビュレッタ学園は名門の中の名門校である。
身分など関係ない。ただ勉学、運動、芸術などの面に優れた者達のみが通う事が許される学園である。
在籍する生徒のほとんどが貴族の者たちばかりなのに対し、ごく稀に平民の者も居る。ルカもその1人であった。
「成績優秀なのは勿論知ってはいたけど、ルカくんの成績なら宮廷にだって仕える事が出来る筈だから宮廷に就職してるとばかり…」
「買い被りすぎ。別に俺はそこまで優秀な生徒じゃなかったって。それよりも俺の方が驚いたよ。まさかイレーナさんが体調不良で退学だなんて」
体調不良
その言葉にやはり周囲にはそう伝えられているのか、とイレーナは思った。
だからこそ、両親が描いたそのシナリオ通りにイレーナは演じる事にした。
「その件についてはごめんなさい。急に体調が悪くなって。ここでの療養生活も突然決まったことだったから」
セシルとの婚約が破棄された後、イレーナは両親へとその事実を告げた。
すると両親は憤怒すると同時にイレーナから子爵家の恥だと言い、身分を取り上げた。
「お前のような出来損ないは私たちの子どもでは無い!」
そう吐き捨て、頬に走った鈍い痛み。
いずれ婚約破棄された事は周囲に広がる。そうなれば、婚約者に見捨てられた哀れな令嬢として周囲が嘲笑う。そんな未来を予期した両親は、体調不良を理由にイレーナを学園から退学させたのだ。
貴族という立場。お上品に優雅に……周囲の人々が求める利口な子を演じることを強いられてきた。
ただでさえ出来の良い兄や姉と比べられ肩身が狭い人生。周囲がイレーナへと求める人物像を必死に演じた。
けれど、唯一演じた自分を見て違和感を覚え、そしてその違和感の正体を暴くと同時に「ありのまま」のイレーナを求めてくれた人物がいた。
……そう。それがルカだった。
「そっか…。今はもう大丈夫なの?」
「うん。心配してくれてありがとう」
イレーナがそう言い微笑めば、ルカは「なら良かった」と微笑んだ。
この話題は偽りで塗れている。
数少ない友人に偽りを紡ぎ続けるのはあまりにも心苦しく、イレーナは話題を変える。
「えっと……王都に向かう前に私の家に寄ってもいいかな? 一応準備はしてたの」
とは言っても滞在分の着替え等は持ち合わせていなかった。
無論、結婚式用のドレスや髪飾り、靴等も持ち合わせているはずも無く…。
そしてそれを言い訳に結婚式の出席断ろう。という算段だったのだが…。
「着替えとかドレスとかに関しては心配しなくていいよ。全部用意してあるから」
「そ、そっか…あ、ありがたいなぁ…」
呆気なく打ち砕かれた希望…。
イレーナはガクりと項垂れた。




