喪失
『アイオク!の中毒性に注意!
アイオク!で愛を出品する者は、最初の3日間は忘れられなくなるほどの愛を提供してくれる。返金リクエストされないよう、死にものぐるいで愛してくれるのである。
しかし、4日目になると豹変する。もう返金リクエストされることはないので、愛してますとさえ口で言っておけば、何をしてもいいという勢いである。そうして早く返品させ、次の出品がしたいのだ。
罵詈雑言を吐いても、そのあとに愛してますの一言さえ付け足しておけば規約違反にはならない。よっぽど法に触れることでない限り、彼らは何でもしてくる。
しかし、落札者のほうは、最初の3日間の甘い体験が忘れられない。どれだけ酷い仕打ちをされても、またあの時の優しい出品者が戻ってくると期待してやまないのだ。
とはいえそれには限界がある。耐えられなくなり、やがて、あるいはすぐに、落札者は商品を手放すだろう。
そしてまたすぐに次の商品を落札することになる。新しい商品を落札すれば、またあのひたすらに甘い3日間が楽しめる。
落札者は中毒になっているのだ。アイオク!に財産を搾り取られないよう、注意を促したい』
まったくだ……。
俺はそのネットの記事を読み、溜め息を吐いた。
まったくそうだよなぁ……。俺、ハマっちまったかもしれない。
今は架純ちゃんの事が忘れられないけど、そのうち他の誰かで成功するかもしれないとか思ってる。
いつか俺の愛が伝わって、両想いになれて、結婚まで行けるかもとか信じている。
あるいはあの3日間が買えるだけでも大金を支払う価値はあると思っちゃってる。
せっかく貯金した600万円、全部『アイオク!』に注ぎ込んじまいそうな勢いだ。
なんとかしないと……。
そう思っていると、呼び鈴が鳴った。
俺を訪ねて来る人間なんて、宅急便のドライバーさんぐらいだ。
お袋が何か荷物でも送ってくれたのかな? そう思いながら扉を開くと、そこに架純ちゃんが立っていた。
出会った時と同じ白いコートを着て、なんだかばつが悪そうな顔をして、上目遣いに俺を見つめている。
俺はしばらく声も出せずに、ただ表情で『ど……、どうしたの?』と尋ねていた。
「ごめんなさい」
ぺこりと謝った。
「コータさんに会いたくて、来ちゃったんです」
「俺に……?」
「あっ。あたし、架純じゃないです。本名は倉田楓子。27歳はサバ読んでました。ほんとうは29歳です。趣味はほんとうは特になくて、特技は調理師免許持ってます。色んなお店で調理の仕事をしてましたけど、長続きしなくて……。それでアルバイトをしながら、『アイオク!』で一稼ぎしようと始めたんですけど……」
一方的な真の自己紹介を俺はしばらく聞かされていたけど、彼女の言葉がようやく途切れたところで、言った。
「中、入りなよ」
座布団に腰を下ろした彼女は、あの3日間とも4日目以降とも違ってて、まるで家出少女のようにしょぼくれていた。
しかも知り合いの家出少女といった感じで、何か悩みでも打ち明けに来たような彼女に俺はお茶を出すと、ちゃぶ台を挟んで向かいに座った。
すると彼女がすぐに口を開いた。
「あのっ……」
「ん?」
「わたしのこと、許してくれますか?」
俺は笑い飛ばすように、答えた。
「気にしてないよ。あれが『アイオク!』出品者のふつうだってわかってるから……」
「そうじゃなくて……」
「え?」
「コータさんを怒らせてしまったあの一言……」
「ああ……」
ようやく意味がわかった。
一回きり抱いていいと言ったあの一言を、俺に謝りに来てくれたらしい。
「正直、君があんなことを言い出したのはショックだったけど……、俺もしつこかったからね。なんとか脱出したくて……追い詰められてたんでしょ?」
「あれを言われてあたし、気がついたんです」
「何を?」
「コータさん……、わたしが最初に作って来たお料理、とても美味しそうに食べてくれたでしょ?」
「ああ! あの、おからの炒り煮とか……」
見事に俺好みだった味と献立を思い起こしながら、言った。
「あれ、めっちゃ美味しかった。ほんとに」
彼女がくすっと笑った。
「あの幸せそうな顔を見てね……あたし、心から笑っちゃったの。あぁ、この人、ほんとうに美味しいって思いながら、あたしの地味なお料理を食べてくれてるって」
「ああいうの、好きなんだ」
「あたしとしては、予防線を張ったつもりだったんですよ」
「予防線?」
「ハンバーグとか、肉じゃがとか……あんまり男の人が好きそうなお料理を出すと後が面倒臭そうだから、地味な献立でがっかりさせておこうと……」
「あっ。なるほど」
合点がいった。
「4日目以降の伏線だったんだね、あれは?」
「ところがコータさん……気に入っちゃって」
架純ちゃん……じゃなくて楓子ちゃんがまたくすっと笑う。
「たまたま好みに合っちゃったんだ?」
「地味なお料理をあんなに美味しそうに食べてくれるひと、初めてだったんですよ」
あははは、と俺は笑った。頭を掻きながら。
「気づいちゃったんです、あたし」
楓子ちゃんも照れたように頬を指でポリポリと掻く。
「コータさんのこと……いいなって思ってたことに」
「まじで!?」
「あんなことになっちゃいましたけど……」
ぺこりと頭を下げたまま、言った。
「あたし……、コータさんの愛が欲しいんです。あ……、愛してくれますか?」
言える。
今なら言える。
もう規約なんかないんだ。
「愛してる」
俺は堂々と、それを口にした。
「俺も君の、ほんとうの愛が欲しい」




