【閑話】ある伯爵子息の恋物語2
「いいかげん婚約者くらい定めなさい」
そう言われるようになったのは俺が二十歳を過ぎた頃だった。
いつまで経ってもクレアを忘れられない俺は特定の恋人も作らなかったため、ついに親が動き出したのだ。
ルゴシュ家の名前で開かれたお茶会は婚約者のいない令嬢達が何人も集められる。
その中には勿論クレアもいた。
何度も何度も機会はあった。
「クレア子爵令嬢に婚約打診を送ってほしい」
ただそう言えば良かっただけのはずだ。
何度も開かれたお茶会なのだから、クレアのテーブルまで行って「久しぶり」と声をかけに行けば良かったはずだ。
そんな簡単なことが臆病な俺にはできなかった。
あの時見せびらかしたハンカチのように、令嬢達と話す自分をただ彼女に見せつけている。
胸が痛むだけのお茶会はただ回数だけが重ねられた。
親の“そろそろ決めろ”という視線だけは、積み重ねられた回数に応じて冷たく厳しくなっていく。
「この方なんてどうかしら?セレスティナ侯爵令嬢。彼女、侯爵家の御令嬢なのに少しも気取った所がなくてとてもお優しいのよ。男爵家や子爵家のご令嬢とも親交が深くて、あの内向的なクレア様とも親交がおありなのですって」
母親はそう言って、とんでもない人物を俺に勧めてきた。
「今回のお茶会もね?クレア様と同じテーブルに座らせてほしいと彼女からご提案いただいたの。クレア様はあまり親交が深いご令嬢がいらっしゃらないから、いつも気を使ってしまうでしょう?こんな所にまで気を使ってくださるなんてセレスティナ様はお若いのに本当に素晴らしい方だわ」
「侯爵令嬢なんて……そんな気を使う相手は嫌ですよ」
ため息をつけて返すと母親は俺を冷たい目で睨んだ。
そんな目で見られても困る。
そもそもベオグラード家のご令嬢が俺なんか相手にするはずがないだろ。
そうしてまた開かれた変わり映えのない茶会に、今回とんでもないゲストが参加することになった。
この国の最高位の権力者の一人とも言えるアークレイ・カランセベシュ公爵である。
父親と母親は完全に顔色をなくし、何か失礼があってはいけないとお茶会に大幅な変更を加えていく。
お茶や菓子の種類を増やし、庭園には再び庭師を入れ、テーブルクロスまで変更させた。
公爵閣下がこんな伯爵家のお茶会に何しにくるんだよ!
こっちの迷惑も考えろ!!
その一言である。
そうして開かれたお茶会は俺を恐怖のどん底に陥れた。
アークレイ公爵の狙いはクレアだったのだ。
彼は母が庭の散策を会場のゲストに提案すると、真っ先にクレアのテーブルへと足を運び、セレスティナ様を呼び出してクレアを紹介させた。
落ち着け。
大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせる。
このお茶会が終わったら、彼よりも早くクレアに婚約打診を送ればいい。
セレスティナ様に紹介をさせたということは、彼がクレアと話すことは今日が初めてのはずだ。
ならば、まだ少し時間の猶予はあるはずだと自分に言い聞かせた。
「ネイト様、聞いておられますか?」
「え?……ああ、すまない何の話だった?」
令嬢達の話など頭に入ってくるはずもなかった。
視線はどうしてもクレアのいるテーブルに向いてしまう。
その時だった。
セレスティナ様の溢したお茶がクレアのドレスを汚した。
セレスティナ様は真っ青になって立ち上がり、クレアを連れて退席する。
なんでお前が一緒に行くんだ!!アークレイ公爵!!!
気が気じゃない。
クレアが一瞬で遠くに行ってしまう気がした。
「すまない。クレア嬢の様子を少し見てくる」
そう言って令嬢達に断りクレアが連れて行かれた方に足を向けると同時に貴族達のどよめきが起こった。
――クレアがアークレイ公爵にエスコートされている。
あの短い時間に何があったのかと言いたくなるほどに、クレアは上位貴族のように美しい装いに変身していた。
まさか……アークレイ公爵はクレアに贈り物としてドレスや髪飾りを持参しこのお茶会に参加したのだろうか。
彼は公爵という地位にいる貴族の中でも傑出した頭脳と手腕を持つとして知られている。
どのようなトラブルも、彼が介入するとたちまちにその問題は解決されてしまうのだ。
その彼の頭脳と早期の解決に導く手腕は、たった一度のお茶会で全てクレアに向けられた。
「クレア!!!」
思わず彼女の名前を叫んでしまう。
すると、アークレイ公爵は“邪魔をするな”とでもいうように凍てつくような鋭い視線を俺に向けた。
たかが伯爵子息風情が。
そんな彼の心の声が聞こえる気がする。
この凍てつく視線は、俺とルゴシュ家を潰せる。
その恐怖に諦めようとしたその時、彼の隣にいるクレアと目が合った。
クレアの灰色の瞳はまるで助けを求めるように俺に向けられている。
やっぱり……嫌だ。
クレアを……彼に渡したくない。
「アークレイ公爵……私は……クレア様と話さねばならぬ事があるのです」
身分差を弁えろ。
そう言われると思った。
それなのに、彼は俺の言葉を聞いて安堵したようにクレアから一歩足を引いて俺に道を譲る。
……何故だ?
彼の行動が理解できない。
クレアを望んでいたのではなかったのだろうか。
ただこのチャンスを逃せば、もう二度とクレアと自分は交わらない。
それだけは分かった。
「クレア」
そう言って彼女に手を差し出した。
君に話したいことも、伝えたい事も沢山あるんだ。
その思いを受け取るように、彼女は微笑みを浮かべて俺の手を握った。




