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020.トラブル

 この馬車での移動中にルカは成人になった。野営のときにリヒトが近づいてきて、おめでとうと言ってくれる。


「兄さん、成人、村で迎えられなくてごめん」

「え」


 ルカはべつに成人を村で迎えたいと思ったことなどない。ちなみに山小屋で迎えたいと思ったこともない。それを伝えるとリヒトは「そっか」とさみしそうに笑った。


「でも結構無理矢理だったでしょ。連れてきたの」

 さすがに自覚があったのだろう。ルカもそれを聞いて笑う。

「まあ、たしかにあんなに駄々をこねるとは思わなかったな」

 リヒトは頬を膨らませた。


「でも、もっと一緒にいられると思っていたのに、いきなり王都に行くことになったからな。離れがたかったんだよ」ルカは声を改めて言った。

「……」

「だからお前はそんなこと気にしなくていいよ」

「うん……」

「それに聞いただろ。ヴォルフが権利だけ確保しろって言ったこと」

「あれは笑った」

 焚火の前で横に並び、二人で忍び笑いに肩を揺らす。


「その手袋が成人祝い?」

「ああ」


 ヴォルフからの成人祝いは出立前にもらった。日に弱いルカの手を守る、子山羊の黒い手袋だ。指先は出るタイプで、弦を引き矢を抑える感覚に支障はない。手にぴったりと吸いつくようでいて、通気性が良く蒸れることもない、最上の品だった。

 通行証の指輪はその手袋の上からしている。サイズが変わるとはなんと便利であることか。

 両親にはリヒトの入学準備のほうを優先してほしいとルカから頼んだ。


「お前の成人は冬休み期間になるから、村で過ごせるぞ」

 ルカは三年後を思う。きっとあっという間なのだろう。


「僕は兄さんがいればそれでいいんだ」

「お前が帰るときは私も帰るさ」

「約束だからね」

 リヒトはしっかりと言質を取って破顔した。



 馬車の旅も六日目ともなればみんな結構疲弊している。

 明日には王都に着くというのは本当だろうか。初日の休憩中に御者に見せてもらった地図が雑すぎて、行程もなにもわかったものではない。地図の発行元として「地理調査院」とか書いてあったけれど、いったいなにを調査したのか担当者に問い詰めたい。


「じゃあ次のお話はルカさまね」

 無聊を慰めるために交代で話をしている。この案を出したのはスカーレットで、なんだかんだとみんな自分の持ちネタを話すうちに、仲良くなってきていた。話が短いとか、つまらないとか言う者が一人もいないのも良い。なにを話してもいいし、わからないことを質問しているうちに会話にもなる。お尻は痛いが、馬車のなかの空気は決して悪いものではなかった。


 これまでにスカーレットはファッションの流行や町に現れた誰も騙せなかった詐欺師の話、アレクは実家が林業を営んでいるらしく山の管理をする父のそばで学んだこと、リヒトはせっかく本を持ってきたので、それをみんなに見せながら鉱物の話、ルカは大イノシシに襲われかけた話やアカミミオオカミの話をした。次はなんの話をしよう。


「じゃあ矢毒の作り方について……」

 と話し始めたところで、急に馬車が止まった。慣性の法則によってみんなの体が揃って傾く。

 どうしたのだろうと思いながら体勢を戻していると、御者が小窓を開けてこちらに話しかけてきた。


「この先の様子がおかしい。ちょっと見てくるから、絶対に馬車から降りないでくれ」

「はい」


 御者が馬車を降り剣を携えて離れて行くのを見て、みんな押し黙った。ずっと順調だったので、不意に訪れた緊張感にどうしていいのかわからないのだ。



 ルカも最初は御者の言うことをちゃんと守ろうと思った。でも、いくらなんでも遅すぎだろう。「ちょっと見てくる」の範疇を超えただろう。

 ルカは腰に提げたナイフを確認し、弓を持って矢筒を背負う。


「兄さん、行くの?」

 スカーレットとアレクも不安でいっぱいの目を向けてくる。


「私は本当にすぐに戻る。私を信じられるか」

「信じる」

 即答するリヒトを見て、二人も信じると言った。

 ルカは馬車の内鍵を閉め、小窓もぜったいに開けてはいけないと言い聞かせた。三人は真剣な顔でうなずいた。ルカが車外へ出て、約束通り内鍵の閉まる音がする。ルカは即座に道の先へ目を遣り、〈移動〉していった。



 馬車付近の小石にマーキングはしてある。

 視界に入っていなくても、マーキングさえしてあればすぐに戻れる。


 ルカはこれまで実験で確かめてきたことを反芻しながら、安全を見て小刻みに〈移動〉する。道が少しカーブしている。馬車はもう見えない。

 そして一レグレームほど先で、御者が倒れているのを見つけた。地面に血が流れている。(一レグレーム=一キロメートル)


(なんだ? 盗賊? それとも獣か?)


 不用意に近づいて同じ轍を踏むわけにはいかない。ルカは御者の近くの枝上にマーカーをつけられることを確認した。即座にそこに移る。

 そしてやっとなにが起きていたのかわかった。クマに似た魔獣が出たのだ。


 ルカは魔獣の名前を知らない。ただあれは魔獣でなくてはおかしい。後ろ足二本で立っているが、ルカの身長の倍くらいある。幸いまだこちらには気づいていない。


 御者以外に五人の兵士がいた。王都の兵士の鎧だ。倒れた御者の近くで、二人の兵士がクマ型の魔獣と対峙している。御者はあの鋭い爪にやられたのだ。血だまりのなか俯せになっていて、いま生きているのかわからない。兵士の仲間も三人倒れている。全員生死不明だ。

 御者は異変を察知して降りていったので、おそらく兵士たちのほうが先に会敵していたのだろう。駆けつけた御者は援護するつもりでやられたのだ。


 ルカは木の幹に身を隠し、チャンスを窺った。兵士を助ける義理はないが、御者は一時的とはいえ旅の仲間である。手当てが間に合うかわからないけれど、それを確かめるためにも早く倒さないといけない。

 激しく動いているため的はでかいが当てづらい。無駄撃ちして急所に入らなかったら、逆上させるだけだ。少し走るだけでリヒトたちのいる馬車が見つかってしまう。確実にここで仕留めなければならない。


 弓を引く直前の体勢でしばし待つ。

 兵士たちはなんとか二人がかりでクマモドキの攻撃を分散させている。しかしなかなか攻撃の隙を作れず防戦一方だ。


(でかい図体のせいでリーチが勝っているんだな)


 クマモドキがどちらかに攻撃を入れる際にできる隙を狙うと、そのリーチ差のために兵士は一歩余分に踏みださなければならない。それによってクマモドキの次の一手で射程から逃れられず、確実に殺されてしまう。


(しかも持久戦はクマのほうがぜったいに有利だ)


 クマではなくクマモドキだが、どちらにしろスタミナで人間が勝てるわけがない。

 とうとう若いほうの兵士がクマモドキの一撃で盾ごと倒された。もうおじさんのほうは無視して若いほうにとどめを刺しにいく。クマモドキが大きく腕を振りかぶった。


(一……命中)


 振りかぶった際の一瞬の静止を捉え、矢を放つ。

 それはいつも通り目を貫通した。


(深く行けたな。脳に達しているはずだが……)


 一撃でまったく動かなくなるか、しばらく不作為の運動をするかはどこまで深く傷つけられたかによる。角度にもよるし、魔獣だとさらにわからない。

 しかし大方の運動は押さえたようだ。不意の攻撃によろけたクマモドキに、おじさん兵士の渾身の突きが刺さる。


 ガキン!


(行った!)


 首に入った。命懸けの踏み込みで、その剣が首に刺さったのだ。クマモドキはしばらくのあいだ、いや、一瞬だったのかもしれない、直立で微動だにしないと思うと、その巨体をゆっくりと前方に傾けた。おじさん兵士は慌てて剣を抜こうとしたが抜けず、諦めて手を放しクマモドキから距離を取る。地響きを残して、その巨体は地に沈んだ。

 おじさん兵士は事切れたクマモドキの傍らで膝をつき、肩で息をしている。


「隊長……」


 若い兵士が尻もちをついたまま、震える声で呼びかける。


「隊長……」


 再度呼びかけるが、おじさん兵士は息が上がってなにも返せない。手で少し待てと示し、若い兵士も黙った。

 脅威は去った――と言い切っていいのかわからないが、とりあえずこの木の陰にもマーキングしておいて、一瞬で馬車近くの小石と〈相互移動〉した。

※2022.05.28 誤字修正をしました。

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