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【新装版】 畢罪の花 ~ひつざいのはな~  作者: 八刀皿 日音
五章 そして、万花は楽園に還りゆく

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第3節 生か、死か Ⅰ


 ――赤く染まった陽の光は、刻一刻と、地平線の彼方に終息していく。



 天咲茎(ストーク)の最上部。


 周囲がぐるりと特殊ガラスで覆われているため、空にそのまま浮かんでいるかのようで――。

 しかし造りそのものはこじんまりとした、質素で素朴な屋内庭園。



 そこは、春咲姫(フローラ)自身が整え、世話をし、作り上げた……。

 彼女のための、彼女らしい小さな庭。



 その中央、備え付けの白い椅子に腰掛ける一際(ひときわ)可憐な花は――さながら、玉座につく王だった。


 ――庭都(ガーデン)という箱庭の中、永遠に咲くことを許された花たちの……王。




「何を見ているんだい?」



 西の空――。

 沈みゆく太陽を眺めていると思っていた春咲姫の視線が、僅かにそこからずれていることに気付き……。

 ただ一人、傍らに控えるウェスペルスは、何気なくそう尋ねた。



「……うん。あなたを」



 春咲姫の返事に、改めて少女の視線を追い……ウェスペルスは意味を理解する。



 その視線の先。

 昼と夜の境界で、一段と明るく空に輝くのは……『宵の明星』だった。



 知識として知ってはいながら……しかし却って、自らの名の由来になっているがゆえに、これまで特に意識して見ることもしなかった星――。



「あなたは、自分には相応しくない名だ、って言ってきたけど……」


「……ああ」


「やっぱりわたしは……あなたより似合う人はいないと思うな」


「……そうかな」


 小さく首を傾げるウェスペルスに、春咲姫はこくりとうなずく。



「太陽と月、昼と夜の間――。

 そんな風に、大きな何かと何かの間で、揺れて迷う……。

 そんなわたしの足下の道を、照らし続けてくれた……あなただから」



「……オリビア、君はいつも僕を買い被るね。

 だけど……ありがとう」



 微かに苦笑しつつも、ウェスペルスは素直に礼を言う。


 どんな形であれ、この少女の役に立っていたというのなら……彼にとって、それ以上の喜びはないのだから。



「もうそろそろ……かな」


 春咲姫は、唯一階下へと通じる螺旋階段の方に、視線を移す。



「……そうだね。

 碩賢(メイガス)の計算による、ノアの回復具合からすれば……もうこちらに向かっている頃か」



 ……答えながら、ウェスペルスは千年前の嵐の夜を思い出す。


 あの時とは、様々な事柄が異なっているものの――。

 結局、その本質においては……これはあの日の焼き直しなのだろう、と。



 カインと再び相見(あいまみ)える――。

 それは望外の喜びであると同時に、悲しみでもある。


 彼にとって、そして何より……春咲姫にとって。




「――オリビア、僕は……」



 もう一度、しかも目の前で、父親を殺す――。


 実際に、甦った死者が人と同じように死ぬのかどうかまでは未知数だが……それでも、血に染めることに変わりはないのだ。


 彼自身はすでに、何があろうとも……と、覚悟を決めた身だ。


 だが、春咲姫は果たして大丈夫なのか……。

 今一度、意志を確認しようとすると――。



「ウェスペルス」


 それを遮るように――少女は、心持ち大きい声で彼を呼んだ。




「……パパとはもう、千年も前にお別れを済ませてあるんだよ。

 だから、わたしのことなら気にしないで。

 それに――。

 これから起こることから目を背けずにいるのは……義務なんだと思うから」




「……分かった。もう聞かないよ」



 少女の中にもまた覚悟があることを、ウェスペルスは改めて思い知る。


 今日が、あの嵐の夜の焼き直しなのだとしても――。

 臨み来るカインの決意は、きっとあのときの比ではないだろう。


 ――自分を殺すことにすら躊躇いが見えた、あのときとは。




 ……だけど、それでも――負けるわけにはいかない。




 ウェスペルスは、そっと拳を握り締める。


 かつて、カインの心臓を刺し貫いた……その拳を。




「ねえ、ウェスペルス」



 秘めやかに決意を固めるウェスペルスに、春咲姫は声をかける。


 彼は、ともすれば激戦の予感に高ぶりそうになる精神を抑え……努めて冷静に応じた。



「なんだい?」



「あの日の約束、ずっと守ってくれて……ありがとう」



「どうしたの、突然?」



「うん……。

 そういえば、ちゃんとお礼言ったことなかったな、って思って」



 少女の言う約束が何を意味するかなど、ウェスペルスには考えるまでもない。


 そしてそれを守ることは、彼にとって生きる意味そのものであり、礼を言われるようなことではないのだが……。

 先と同じく、彼はそれを素直に受け取ることにした。



「……どういたしまして。

 でも……まだだよ。これで終わりじゃない。

 僕らの約束は、これからも、ずっと続いていくんだから――」



「――うん。そうだね……」



 ウェスペルスの一言に、ゆっくりと、力強くうなずく春咲姫。


 その凛々しくも小さな姿に、彼は……。

 西の空に輝く、自らと同じ名を持つ星に目を向け――その決意を願いと掛けた。




 今こそ、人が真の落日を迎えぬよう……。


 夜明けまでを照らす、明星となれるように――と。










     *     *     *




「……さて、いよいよ――と、言ったところじゃが」



 碩賢の執務室は採光用の窓がないため、時間を確認するには時計を見るしかない。


 それゆえ身に付いた習性として、半ば無意識に、近くのモニターの隅に浮かぶ数字を一瞥した碩賢は……。

 小さなテーブルを挟んで向かい側に座る客に、そう声をかけた。



 天咲茎全体が、緊張と興奮に包まれている中――。


 そんなこととはまるで無縁だとばかりに、落ち着き払ってコーヒーを啜っていたグレンは「そうですか」と応じ、カップを置く。



「しかし、大した肝っ玉よな……お前さんは」



「まあ……生きるだの死ぬだのといった状況には、さすがに慣れてますんでね」


 言って、グレンは首と肩を回しつつ立ち上がる。



「こう言っては何じゃが……。

 もしものときを考えて、ルイーザに連絡の一つもしたのか?」



「――娘に任せましたよ。

 今さら俺なんかが変に気遣うような連絡入れたりしたら……それこそ、気味悪がられるだけでしょう?」


 そんなことを言いながら、グレンはさも楽しげに快活に笑った。



「それに、春咲姫の嬢ちゃんも抗う意志を固めた以上、大人しく死ぬ気はさらさらありませんしね」



「……そうか。まあ、そうじゃな」


 グレンに釣られるように、碩賢も頬を緩める。



「しかし……永朽花(アスフォデル)、ですか。

 ――春咲姫も戦うと決めた以上……俺たち庭都の住民のことを差し置いても、やはり根底にあるのは『死にたい』より、『生きたい』という想いのはずだ。

 なのにどうして、永朽花は――カインは、世に現れたんですかね」



「……さて、な」


 碩賢は、小さく首を傾げた。



「ワシとて、千年を生きて様々な知識を得、様々な研究をしてきたが……。

 所詮は人間、森羅万象すべてを把握したなどとは到底言えんのだ。

 永朽花の出現――そこに、我々の理解を超えた、何らかの超常的な作用がある可能性とて、否定はできん。

 ただ――」



「ただ……何です?」



 グレンが促すと……。

 碩賢は、言葉を噛み潰そうとするかのように、何度か唇だけを動かして――ようやく、それを形にした。




「――もしかすると、じゃ。

 死を願うのは――その意志があるのは。

 あの子個人、そして、不凋花(アマランス)自身だけでなく……。


 我ら、今を生きる――生きているつもりの人類、そのものなのかも知れぬな」




「……人類の?」



「人としての個の意識も本能も、基本的には死を忌避し生を渇望する。

 じゃが……個体では及びもつかぬ、種としての、深層的な総意はどうなのだろうな?


 あるいはそれが、歴史の閉塞を悟り、終幕を自覚しているのなら……。


 それこそが真に、審判者たるカインと双子を、世に遣わした根源なのではないか――。

 ……そんな風にも思うのじゃよ」



「人類そのものが……ですか」


 そう繰り返して……。

 碩賢も意外なほどにあっさり、ふむ、と納得するグレン。



「……意外じゃな。

 これから戦いに赴く人間に何を――と、渋面を作ると思ったが」



「いえ……もしも碩賢のおっしゃる通りなら……ですよ?

 万一のときには誰も、春咲姫一人のせいだと、責任を押し付けることができないわけじゃないですか?

 ――それはいいことだ、と思いましてね」



 軽々しい調子ながら……しかし真剣でもあるグレンが述べた意見。


 それに、碩賢も髭をさするように顎に手を遣りつつ、うなずいた。



「……なるほど。そうきたか」



「もちろん、あくまで万が一の話です。

 そうならないよう気張って、やるだけのことはやりますよ」


 言って、グレンはふと、カップにコーヒーが残っていることに気付いたのだろう。

 ぐいと一息に飲み干した。



「もてなしが、繊細さの欠片もない大雑把な茶ですまんかったな。

 サラにでも頼めれば良かったのじゃが」



「なに、これぐらい適当で大味な方がいいんですよ。

 サラなんて細かいことばっかりで、男の茶の味ってモンが分かってない。

 ……まったく、誰に似たんだか」


 どこか子供染みた仕草で肩を竦めて、グレンはカップを置く。




「――ご馳走様でした。

 それじゃ、一仕事してきますよ」



「……うむ。気を付けてな」




 今日という日が特別な日であることは、お互い充分承知の上で。


 しかし何ら特別でない、普段通りの挨拶を交わし――。




 そうして、二人は別れた。







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