第4節 地に還る者、還ったはずの者 Ⅱ
「……おや、珍しいのぅ。
そんなに急いでどうしたんじゃ?」
自らの執務室を出たところで、ばったりと出会ったウェスペルスの様子に――。
碩賢は、見た目はいかにも子供らしく、首を傾げて尋ねる。
ウェスペルスはよほど何かを思い詰めていたのか、彼には珍しく一瞬驚いた様子を見せたが……。
すぐさま普段の落ち着きを取り戻し、朝の挨拶がてら一礼して、答える。
「――『霊廟』へ、行ってみようと思いまして」
碩賢は、その言葉に目に見えて眉をひそめた。
「……それはまた、お前さんらしくないの。何かあったのか?」
「グレンが……後れを取ったそうです。
先刻、連絡が入りました」
ウェスペルスの静かな報告に、碩賢はその大きな瞳をいっぱいに見開く。
「……何と、あのグレンがか?
ありえんとは言わんが、信じがたいことじゃな……」
「ご存じのように、グレンには僕から一通りのことは話してありますが、カインとの直接の面識はありません。
――ですから、万が一を考えて……」
「霊廟へ確認へ行くと?
安息の場所をみだりに騒がすのは感心できんが……」
ため息混じりに首を振る碩賢。
それを真っ直ぐ見下ろしながら、「しかし」とウェスペルスはなおも食い下がった。
「……『永朽花』……。
碩賢は、自らその存在について、言及していらっしゃいましたよね?」
「あれが――そうじゃと言うのか?
そもそも、永朽花自体が、理論上のものでしか……」
「――あ! ウェスペルス、こんな所にいたのね」
二人の口論に、唐突に遠間から、少女の澄んだ声が割って入った。
水を差された形に、お互い口をつぐんだ二人は、声のする方を見やると――。
お付きの女官サラを従えた春咲姫が、小走りに近付いてくるところだった。
「――それに、先生も。
あ……もしかしてわたし、お邪魔でしたか?」
碩賢の存在にも気付いた春咲姫は、口元に手を当て、目を瞬かせながら交互に二人を見比べる。
それに対し当の二人は、示し合わせたように同時に、首を横に振った。
「朝の挨拶をしていただけだよ。
――それで? 僕に何か用があるのかい?」
「……あ、うん、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど……大丈夫かな」
……一瞬、答えを躊躇うウェスペルス。
その背中を、小さな手でバシバシと叩いて――碩賢は快活に笑った。
「いいともいいとも、コキ使ってやれ。
どうもこやつ、少し弛んでおるようだからのぅ」
ウェスペルスは一瞬、困ったような視線を碩賢に向けたが……。
すぐに、それとは分からないほど小さく息を吐いて、春咲姫に笑顔でうなずいて見せた。
「えっと、ホントに大丈夫? 何か用事があったんじゃ……」
「いや――いいんだ。大したことじゃないから」
渋る少女にもう一度念を押すと、ウェスペルスはちらりと一度碩賢を振り返ってから……春咲姫たちを促して、ともに廊下を歩き去っていく。
残された碩賢は、その後ろ姿を目で追いながらしばらく黙考していたが……。
やがてきびすを返して、真剣な面差しで、出てきたばかりの執務室に戻っていった。
* * *
――ヨシュアの襲来以降、中央部へと戻る列車の旅は、何の障害もない平穏なものだった。
ただ、その間カインたち三人の間に、会話らしい会話はまるでなかった。
初めて目の当たりにした、自分たちと同じ『人』の死について、兄妹がそれぞれに考え、思いを巡らすのを――カインはただ黙って見守っていたからだ。
明るい雰囲気でないのはもちろんのことながら、しかし重苦しいだけでもない、清廉とした空気の中の静謐な時間。
線路に揺れる列車のリズムですら、どこかしら柔らかく響く。
そんな時間に終わりを告げたのは――。
列車の進行方向を見やっていた、カインの一言だった。
「……そろそろ、駅に着くぞ」
一見すると、まるで人の言葉など聞こえそうもないほど、物思いに沈んでいるように見えた兄妹だったが……。
その声への反応はむしろ早く、うなずいて応えるや、すっくと立ち上がった。
その表情からは、いまだ彼らが、感情と思考を整理し切れていないことが窺える。
しかしそれでも、当初あったはずの怯えはいくらか和らいでいた。
恐れは消えなくても、それを受け止めることができたからなのか――。
「すぐにでも動けるように、準備しておけ」
余計なことは言わず、それだけを二人に告げると……。
カインは何をする気なのか、周囲に積まれてある貨物の一つ、小さな木箱を開けて中に手を入れる。
そして、その中に詰められていたのだろう小さな白い花を一輪、取り出した。
「それ……弔いに?」
そうだ――と、カインは、穏やかな表情で横たわるヨシュアの亡骸に近付き、彼が胸の前で組ませたその手の中に、そっと、白い花を差し入れる。
そして、わずかな間、頭を垂れていた。
――別れを告げるように。
そうしろ、と言われたわけではない。
だが兄妹も自然に、カインに倣い――。
そっと、静かに、祈りを捧げていた。




