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藤倉君のニセ彼女  作者: 村田天
本編
25/32

25.ずっと前から好きだった



 六月の午後。わたしは藤倉瑛太の部屋にいた。

 あの校舎裏で彼に話しかけた時からすれば、信じられないくらいの変化だ。


 学校の制服、スマホ。見たことのあるペンケース。休日に会う時持っている鞄、衣類。そんなものが散らばっている。


 わたしはちょうど一年前。高校一年生の六月に、彼の存在を知った。噂にうとかったので知ったのは少し遅いくらいかもしれない。


 初めて見た時のことは忘れない。

 ベランダで、隣の子達が話していたのだ。

 すごくモテる格好いい人なんだと聞いて、ちょっと侮るような気持ちでそちらに視線を向けた瞬間にわたしの恋は始まった。


 今にして思えば当然なのだけれど、その時も彼はあまり楽しそうな顔はしていなかった。

 だけど、一目見た時になんかいいなって思ってしまった。どんな声でしゃべるんだろうと思って、こっそり近くまで行ってみたりした。今度はどんな顔で笑うんだろうと思ってまた見に行ったりした。そんなことを繰り返すうちに、すっかり嵌ってしまっていた。


 気付いたのが遅かったので、その時はもう普通に話しかけられる状況では無かった。出来るとしたら複数の女の子と一緒になって声をかけたり追いかけたり、そんなことぐらい。でもそれはしなかった。したくなかった。68番目だからこそ、みんなと同じになりたくなかった。


 今は目の前で声が聞けて、自分に対して笑いかけてもらえる。見たことのなかった色んな顔、駄目なところ、弱い部分もたくさん見たはずだったけれど、想いは消えない。


 窓の外はもう暑い。

 もうすぐ夏休み。でもその前に期末テストが控えていた。


 瑛太は普段幼稚で阿呆なのに成績はいい。わたしも特別悪くはないけれど、得意教科にバラつきがある。現国だけは彼より若干良いけれど他は全敗だ。


「瑛太に勉強を教わるのって……何かこう……」


「なんだよ」


 実は賢かった犬が喋り出し、宇宙の法則について抗議を受けてるような感覚があるんだけど……もちろんそんな失礼なことは言ってはならない。喉の奥に言葉を引っ込めた。


「実態を知ると成績いいのが不思議っていうか……」


「……尚」


 しまった充分失礼なことを言ってしまった。

 瑛太は反射的に何か言おうとしたけれど、結局引っ込めてノートに向かった。シャーペンを持つ手が綺麗。それが動いて静かな音を立てるのをじっと見ていた。


「勉強はさ、勉強の仕方があって……単純な頭の良さだけでもないから」


「うーん」


「俺は昔から兄貴のやり方見てたから……なんとなく……尚?」


 瑛太が言ってペンの動きが止まる。

 それではっと気付いて自分のノートに視線を戻す。だいぶぼんやりしてしまっていた。


「それ、スペル間違って書いてる。尚、変なとこで適当だよな」


「え、あ、本当だ」


「あとエルとアールの区別が感覚で掴めてない」


「英語苦手……感覚で分かるの?」


「多少はわかるだろ。ていうか尚、なんでそんなページ開いてんの」


「え、テストの……」


「そこはテスト範囲じゃないけど……」


「え、あ、そうだっけ」


「尚、なんかぼーっとしてない? 大丈夫?」


「暑くなって来たからかな……」


「エアコン入れるか」


 瑛太がリモコンに手を伸ばす。

 わたしは勉強をしながらも、ずっとうわの空だった。


 ずっとここのところ頭にあったこと。

 いつかは言うべきなんじゃないかと思って迷っていたこと。それがずっと頭をぐるぐる回っていた。


 瑛太のお母さんが入って来て、笑顔でお茶とお菓子を置いてくれた。暑くなってきたからか、グラスには冷たい麦茶が入っていた。


 それを飲んで、時計を見た。


 午後三時。昼過ぎに来たけどさっきから全然集中出来てない。しばらくして、瑛太のお母さんがまた扉から顔を覗かせる。


「瑛太、買い物行ってくるからね」


「行ってらっしゃい」


「ちょっと遠い方行くから」


「……なにか安いの?」


「そう、特売日! よくわかったわね!」


「いつものことじゃん……」


 それからしばらく廊下を歩く音がバタバタとしていたけれど、やがて玄関が閉じるガチャンという音と共に、静かになった。


 駄目だ。集中出来ない。


 ここところあった色々な出来事がわたしをぼんやりさせている。そして、焦らせてもいた。


 瑛太の幼馴染の顔が浮かんだ。彼女は怒りで目に涙を浮かべていた。でも結局わたしの気持ちを瑛太に伝えることはまだ、してない。


 それから冴木君。


「そういえば冴木君に言っちゃったの、びっくりした……」


「そこらへんは大丈夫だよ。あいつ好奇心は異常に旺盛だけど、別に噂好きの女じゃあるまいし誰かに言い回ったりもしないよ」


 確かに。冴木君が言いふらしたところで得はそんなに無い。


「瑛太って、結構冴木君のこと信用してるんだね」


「そりゃだって、ずっと裏切るかもって思って生活すんの面倒くせえし。決めた奴はどっかで信用しないと……友達出来ないじゃん」


「そっか。でも……もしそれで裏切られたら……」


「そん時はそん時だ。事情は聞くし、許せなければ切るだけ」


「うん……」


 瑛太が冴木君に秘密をバラしたのは、なんだかんだで彼を気に入っているからなんだろう。


 冴木君の言葉が頭をまわる。


『いつまでこんなこと続けんの』


 いつまでだろう。いつまでだっていい気もする。いつかは勝手に無くなるのだから、限界まで。爆弾が爆発するその時まで。ずっとこのままでいい。


 そう思いながらも胸の中に言いようの無い焦りが積もって行き、パンク寸前になって苦しく暴れる。ずっとこのままでいたい。でも、もう時間は無い。


 気が付いたらわたしは口を開いて言葉を吐き出していた。


「瑛太、謝らなくちゃいけないこと、ある」


「なんだよ」


 ノートから顔をあげないまま、瑛太が答える。さらさらとノートをなぞるペンの音がぴたりと止まりちらりとわたしを見た。


 もう、途中まで吐き出してしまった言葉。けれどなかなか続きは出てこない。喉の奥から重たいかたまりみたいな言葉を探して、引きずり出す。


 やっぱり、どうせバレるなら。それを彼が知るなら、わたしは自分の口からきちんと伝えたい。


「ずっと前から好きだった……」


「は?」


 瑛太が顔を上げて、目を丸くした。




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