19.毒も滴るいい男
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セレスティアル・ガーデンでの日々は驚くほど平穏に過ぎていった。
君は定められた勤務日数を特に何も問題を起こすことなく、無難に勤め上げたのである。
もちろん、小さなトラブルが皆無だったわけではない。
負けが込んだ客がちょっとヤンチャをしたり、神経接続ゲームで脳を少しばかり焼き切って奇声を上げたりといった事は日常茶飯事だ。
だがそれらが深刻な事態に発展することはなかった。
ここは銀河系でも有数の高級カジノであると同時に、最も警備が厳重な場所の一つでもある。
フロアには武装した警備員が常駐しており、その数はちょっとした傭兵団並みだ。
連合政府のお偉いさんや惑星開発事業団の幹部なども訪れているため、不審な行動をしていればすぐにつかまってしまう。
ここで暴動を起こそうなどと考えるのはよほどの馬鹿か、あるいは革命家気取りのロマンチストくらいだろう。ちなみに客がブチ切れて暴れるといった際にその客に過度な武力を行使することは余りない。
大金をスッてしまった敗北者にかけるだけの情けは運営にも存在するのだ。
彼らは丁重に扱われ、専用のカウンセリングルームへ連行され、鎮静剤を投与される──まあせいぜいそんな所だ。
金は奪うが命までは奪わない。
実に人道的と言えるだろう。
下層居住区なら、金も命も、ついでに臓器の一つや二つも奪われるのがオチだ。
◆
そうして最終日。
君はいつものようにバズと組んでカジノを巡回していた。
この窮屈な制服とも今日でおさらばだと思うと少しだけ気分が軽くなる。
「よう、ケージ。今日で最後だな。寂しくなるぜ」
バズが少し感傷的な口調で言った。
この数週間で、君たちはすっかり打ち解け、悪友のような関係になっていた。
バズは本気で残念がっているようだ。
「まあ、縁があったらまた会うさ。その時はガス状生命体の店に連れて行ってくれよ」
「お前、本当に趣味が悪いな」
バズは顔をしかめた。
そんな他愛もない会話をしながらフロアを歩いていた、その時だった。
「やあ、お前がケージかい?」
不意に横から声がかかった。
初対面からいきなり「お前」などと舐めた口を叩かれた君。かつてのギザギザハートの頃の君だったら、ナイフの一本くらいは抜いただろう。
君は足を止め、ゆっくりと声の主を見た。
そこに立っていたのは一人の青年であった。
アースタイプ。
黒髪のボブヘアが妙に艶めかしい。
体格は細身で、高級そうなスーツを着込んでいる。如何にも金がありそうだ。
そして何より印象的だったのはその目だった。
冷たく、鋭い光を宿した瞳。それはまるで、毒を浸したナイフのような──そんな危うさを感じさせる印象の青年だった。
君はこの男を知らない。
だが男は君のことを知っているようだった。
彼の名はローレン・ナイツ。
惑星開拓事業団、惑星C66管理局の幹部職員である。(27.惑星U101⑧等参照)
◆◆◆
時はやや遡る。
ローレン・ナイツはここ最近、延々と続く退屈な日々に辟易としていた。
彼は今、惑星C66の上層居住区にある高級マンションの最上階にいた。
窓の外には摩天楼が広がり、その遥か下には下層居住区の掃き溜めが霞んで見える。
かつて自分がいた場所だ。
だがその光景は彼にとって何の感慨ももたらさなかった。
あるのはただ、退屈だけだ。
──つまらない
彼はそう思いながら、高価なワイングラスを指で弄んだ。
金も地位も名誉も手に入れた。
欲しいものは何でも手に入る。
だがそれでも彼の心は満たされなかった。
何か刺激が欲しい。
だからといって刃や毒、ブラスターの光条が飛び交うような、そんな物騒な刺激は求めてはいない。
そういうのはもう、下層居住区で生まれた彼には懲り懲りなのだ。
ローレンは娼婦の息子だ。
父親はいない。
この銀河系のどこかにはいるのだろうが消息は不明だ。
まあ、おそらくは行きずりの客の一人だろう。
そして娼婦の母親も、ローレンを産んで八年後、性病が悪化して死んだ。
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「シリウス型性感染症」、通称「青い死」。
それは下層居住区の娼婦たちの間で蔓延している、不治の病である。
その原因はシリウス星系からもたらされた未知のウイルスだ。
このウイルスは感染者の体液を通じて広がり、宿主の神経系を徐々に侵食していく。
初期症状は微熱と倦怠感だが進行すると全身の皮膚が青白く変色し、やがて感覚が麻痺していく。
そして最後には呼吸中枢が機能を停止し、静かに死に至る。
その過程で痛みや苦しみはほとんどない。
むしろ、一種の陶酔感を伴うこともあるという。
だからこそ、この病は恐ろしいのだ。
感染者は自分が死に向かっていることに気づかないまま、あるいは気づいていてもそれを受け入れながら、日常を過ごす。
そして、ウイルスをばら撒き続ける。
惑星開拓事業団はこの問題を放置している。
なぜなら、下層居住区の住民は安価な労働力であり、彼らが死んでも代わりはいくらでもいるからだ。
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ローレンの母親の死も、そんなありふれた悲劇の一つだった。
彼女は薄汚れたベッドの上で、まるで眠るように息を引き取った。
まあ、下層居住区の娼婦の末路としてはまあまあスタンダードといった所か。
むしろ、路地裏で野垂れ死にするよりはマシかもしれない。
彼は生まれからして不運だったが幸運も一つあった。
それは面が良かった事だ。
母親譲りの整った顔立ち。
そして、父親譲りかもしれない(不明だが)白い肌としなやかな体躯。
その美貌が彼の人生を大きく変えることになる。
母親が死んだ後、ローレンは天涯孤独の身となった。
8歳の子供が一人で生きていくには下層居住区はあまりにも過酷な環境だ。
だが彼は生き延びた。
自分の体を売ることで。
幼くして彼は男娼として、下層居住区のギャング共に体を売って生活費を稼いでいた。
下層居住区のろくでなしは、基本的に穴さえあいていればOKといった者が多い。ローレンの見目は、そんな野獣共の性欲をそそるのに十分なものだった。
ところで、屑に抱かれる事は彼にとって屈辱的なことだったろうか。
いや、そうでもない。
彼は自分の美貌を一つの武器として認識していた。
そして、その武器を最大限に利用したのだ。
彼はただ体を売るだけではなかった。
客の前では従順で魅力的な少年を演じ、相手の欲望を満たした。
だがその心の中では常に冷めた目で相手を観察していた。
こいつはどんな弱点を持っているのか。
こいつをどう利用すれば、自分に有利になるのか。
彼は客の心理を読み取り、そしてそれを巧みに操った。
彼は天性の詐欺師であり、役者だった。
彼はそうやって少しずつ力をつけ、そしていつかこの掃き溜めから抜け出すことを夢見ていた。
そんな彼に転機が訪れたのは彼が十四歳の時だった。
その日、彼の元に一人の客がやってきた。
それは惑星開拓事業団の幹部職員だった。
名前はアルフレッド・モーズレイ。
六十代の、一見すると温厚そうな老人だ。
だが彼は裏では悪趣味な性癖を持っていることで有名だった。
特に若い少年を好む傾向があった。
彼は下層居住区の娼館を頻繁に訪れ、そして気に入った少年を買い上げては自分の屋敷に連れ帰っていた。
その日も彼は新しい獲物を求めてやってきたのだ。
そして、そこでローレンを見つけた。
モーズレイは一目でローレンに魅了された。
その整った顔立ち。
滑らかな肌。
そして何より、その瞳。
それはまるで深淵のように暗く、そして全てを見透かすような鋭さを持っていた。
彼はローレンの美しさにそしてその奥に隠された闇に惹かれたのだ。
「君、私の養子にならないか?」
モーズレイは言った。
それはローレンにとって、願ってもないチャンスだった。
彼は迷わずその提案を受け入れた。
こうしてローレンは下層居住区の掃き溜めから、上層居住区の豪邸へと居場所を移した。
彼はモーズレイの養子となり、最高の教育を受けた。
彼は驚くべき速さで知識を吸収し、そして上流社会のマナーを身につけた。
だが彼の本性は変わらなかった。
彼はモーズレイのことを愛していたわけではない。
ただ利用していただけだ。
彼はモーズレイの寵愛を受けながら、その裏で彼の秘密を握り、そして少しずつ彼の地位を奪っていった。
彼はモーズレイのコネを使って惑星開拓事業団に入社し、そして異例のスピードで出世していった。
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惑星開拓事業団の人事評価システムはその不透明さと恣意性で悪名高い。
表向きは公平な評価基準が存在するが実際には上層部の意向が全てを左右する。
特に幹部職員の昇進には複雑な派閥争いや裏取引が絡んでくる。
能力がある者が必ずしも出世できるわけではない。
むしろ上司に媚びへつらい、そして時には非合法な手段を使ってライバルを蹴落とす者が評価される傾向にある。
その結果、事業団の組織構造は歪なものとなっている。
無能な者が重要なポストに就き、そして有能な者が冷遇される。
それが事業団の効率性を低下させ、そして多くの問題を引き起こす原因となっているのだ。
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ローレンはその歪みを利用した。
彼はその美貌と話術で多くの人々を魅了し、そして自分の派閥を築き上げていった。
そして数年後、モーズレイは謎の死を遂げた。
表向きは心臓発作とされた。
だがその裏にはローレンの手が回っていた。
彼はモーズレイを毒殺し、そして彼の財産と地位を全て奪ったのだ。
彼はそうやって上流階級に成り上がった。
コネと金、そして冷酷なまでの野心。
それが彼の武器だった。
だが彼が成功すればするほど、彼の心は虚しくなっていった。
彼は全てを手に入れたがその代償として人間らしい感情を失った。
彼は常に孤独だった。
そして、退屈していた。
そんな時だった──彼が君の存在を知ったのは。
下層居住区出身のチンピラ。
だがその経歴は異色だった。
全身をサイバネティクス化しているギャンブラー崩れ。詐欺の前科あり。
よく居る小悪党だ。だがそんな小悪党が数々の困難を乗り越え、生き延びてきた。
ローレンはそんな君に強い興味を抱いた。
こいつはちょっと面白いかもしれない──ローレンはそう思った。




