29裏
なんて、愚かだったのだろうと、自分の事をそう思う。
『――ユウが最近悩んでいるようだったから、買ってきたんだ』
『ユウが何に悩んでるのか、僕にはわからない。でも、力になりたいと思ってる』
今日の夕方、突然真が買ってきたケーキ。
それについて質問して、返ってきた答えがそれだった。
最初、私はそれを聞いて混乱した。
いや、混乱したというより、衝撃を受けたという方が正しいかもしれない。
だって、私にそんなことをしてもらう権利なんてない。
私は真を洗脳した加害者で、真は被害者なのだから。
……いや、真は私が洗脳していることなんて知らないのだから、そんな加害者だの被害者だのは関係なかったのだろう。
今の少し冷静になった私ならそれがわかる。
でも、夕方のあの時の私には、それを理解するだけの余裕がなくて、罪悪感で胸が痛くて仕方なかった。
だから、聞いた。
なぜ、そんなことを、力になりたいなんて言うのかと。
そうしたら、真は言った。
『僕はユウのことを大切だと思ってるから、力になりたいんだ』
と。なんでもないことのように、あっさりと。
そして、こう続けた。
『何か僕に出来る事があったら、何でも言ってほしい』
と。
……私は、それを聞いて、自分で、自分のことが嫌いになりそうだった。
だって、そうだろう。
真は私のことを大切にしてくれているのに、この十日間、私は洗脳魔法の状態を詳しく調べる事もしなかった。
このまま放っておいたら真に被害があるかもしれないと思っていたのにも関わらず、私は、真に嫌われたくないなんて、勝手な理由で逃げ続けていたのだ。
そして、気が付いた。
私は結局、自分のことしか考えてなかったという事を。
……なんて自分勝手な人間なのだろうか。
心から、最低だと思う。
……だから、その事に気が付けたから、私は決めた。
今晩、真の部屋に忍び込んで、そして調べようと。そう、覚悟が出来た。
◆
扉を開け、中に入る。
時刻は深夜二時。真もとっくにベッドの中に入っていて、目の前で寝息を立てていた。
足音を立てずに近づき、隣に立つ。
見下ろすと、真の穏やかな寝顔が見えた。
「……くふふ」
久しぶりに口から笑い声が出る。
真の油断しきった顔を見ていると、愛おしい気持ちがあふれてくる。
……もしかしたら、真の寝顔を見るのはこれが最後かもしれない。
洗脳魔法を解くことになって、真に許してもらう事ができなかったら、私はもうこの家に居ることは出来ないだろうから。
「……っ」
それを思うと、寂しくて、悲しくて、逃げ出したくなる。
……でも、それだけは出来なかった。
私は、覚悟を決めてここに立っているのだから。
「……やろう」
手を伸ばし、真の頭にかざす。
掌から出た赤い光が真の額に繋がった。
真の中の洗脳魔法に接続し、中のチェックを始めた。
少しづつ、術式の外側から異常を確認していく。
洗脳魔法の術式というのは大きく分けて三つに分かれている。
一番外側の第二層、真ん中にある第一層、そして中心の核だ。
このうち、問題があった時に取り返しがつかないのが中心の核で、それ以外ならメンテナンスでどうにかなる。
―第二層、異常なし―
一番外側の確認が終わった。
どうやら第二層には問題がなかったらしい。
……と、なると後は第一層と核だ。
第一層であって欲しい。それなら何とかなるから。
祈るようにしながら確認作業を続ける。
……そして、私の体感では永遠とも思えるような時間が過ぎて、その時がきた。
荒くなる息を必死で整えながら、調査結果を見る。
―第一層―
左から少しづつ、視線を動かしていく。一度に見る勇気はなかった。
そして、その場所に視線がたどり着く。
―異常なし―
「あ」
足から力が抜けた。
体が床に落ちて、大きな音を立てる。
「あ、あ」
目の前が歪んで見えた。
第一層でもないということは、問題があるのは核だ。
それはつまり、洗脳魔法を解除しなければならないということで――
そして、ちょうどその時、追い討ちをかけるように核の検査が終わった。
目の前に検査結果が表示される。
私は顔を逸らす力もなく、ただ呆然とそれを見ることしか出来なかった。
―核、異常なし―
「……………………は?」
異常なし?
目を擦ってもう一度見ても結果は変わらない。
「ええ……」
どん底に落とされたかと思ったら一転、わけのわからないことになって混乱する。
異常なし?全部?どうなってるの?
……もしかして検査ミス?
もう一度検査術式を使って、確認を始める。
でも、現れた結果は同じだった。
―第二層、異常なし―
―第一層、異常なし―
―核、異常なし―
「どういうことなの……」
本当にわけがわからない。
じゃあ一体何が問題で様子がおかしくなっていたんだろう。
何か手がかりがないかと、洗脳魔法に残されている過去の情報を見ていく。
すると、一つ明らかにおかしい項目があった。
「発動回数?」
洗脳の回数が異常に多い。
見ると、今日だけで五十回以上発動している。
本来、洗脳魔法というのはそう頻繁に発動するものじゃない。
そもそも、洗脳魔法というのはかけられた人が『考えてはいけない事』を考えた時にそれを修正する魔法だ。
例えば『イチゴ』を『みかん』だと思い込む洗脳をかけられた人がいたとしよう。
その人はイチゴを見て、『これはイチゴだ』と思うたびに、洗脳魔法によって『これはみかんだ』と脳内で修正されるのである。
だから、そもそも『考えてはいけない事』を考えない限り洗脳は発動しないし、その回数は普通そこまで多くない。
イチゴ農家のような特殊な職の人以外、一日にイチゴの事を十回も二十回も考える人なんてあまりいないということだ。
「……でも、結局これが異常の原因なら、そんなに問題ないよね……?」
きっと、様子がおかしいと私が思ったのも、頻繁に洗脳が発動しているのに違和感を覚えたからなのだろう。
真の脳内で洗脳が連続で発動していたから異常が起きていると勘違いしたのだ。
「洗脳魔法は最初にかけるとき以外は負担が大きい魔法じゃないし……」
イメージは脳に刻まれた刺青だ。
最初に刻む時は負担が大きいし、連続で刻んだりすると脳がぐちゃぐちゃになるけど、ただ刻まれているだけならあまり問題は起こらない。
……しかし、だとすると、何の問題もなかったことになる。
それはつまり、洗脳を解く必要もないということだ。
「これからも真のそばにいられるってことだよね?」
そうやって口に出すと実感が湧いてくる。
胸から喜びの感情がわきあがってきた。
「真……真……」
手を伸ばし、真の頬に触れる。
起こしてしまうかもしれないと思ったが、今はそんなことどうでもいい。
ただただ嬉しくて、幸せだった。
本当に不安だったから、喜びも一入と言うやつだ。
「……ぐすっ」
布団から出ている真の手を掴み、胸に抱き寄せる。
私は、しばらくその手に縋り付いていた。
◆
それから少しの時間が立って、私は少し冷静になっていた。
そして、横で騒いでいたのに目を覚まさない真の横顔を見ながら、ふと思う。
「……そういえば、なんであんなに洗脳が発動してたんだろう」
そんなことが、少し気になった。
「……確認しておいた方がいいかな」
負担はあまりないとはいえ、洗脳なんて発動しないに越した事はない。
なんで発動したのかを知っておいたほうがいいだろう。
魔法内に保存されている過去のログを表示する。
目の前にその時の状況が映された。
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「なんで?なんでそんな、力になりたいだなんて、私、私は、そんなことを……」
顔を伏せて、ユウが言う。
その声は少し震えていた。
……しかし、なんで、か。
それは簡単な事だ。考えるまでもない。
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これは夕方のケーキの時の記憶だろうか。
私の言葉が表示されていた。
あの時の情けない状態を思い出すので、少し気恥ずかしい。
でも、こうして見ていると、見てはいけないものを見ている気がする。
真に申し訳ないので、確認が済んだらもう二度とこれは見ないようにしよう。
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「それは、大切だからだよ」
「……大切?」
「そう。僕はユウのことを大切だと思ってるから、力になりたいんだ」
「……」
ユウは僕の大切な【『好きな人』→『親友』】だ。
だから、笑っていて欲しいと思う。
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「…………え?」
目の前で表示されていたログが終了し、閉じる。
ガツンと、殴られたような衝撃が頭を走った気がした。
先程まで見ていたものが理解できない。したくない。
理解する事を脳が拒否していた。
「…………え?」
これはつまり、その、真が私のことを好きでいてくれて、それが……。
「……それって、そんなの」
ついさっきまで洗脳に問題がなくて、救われた気がしていたはずなのに。
もう一度、地獄に叩き落された気がした。




