22裏
頭の中で、真の言葉が響いていた。
『ユウ、ありがとう』
『ユウがいてくれて、本当に幸せだ』
食事の後、突然真が言ったあの言葉。
それが今、私の心に突き刺さっている。
「……」
ふと、そういえば、似たような事を言われたことがあるなと思った。
あれは確か五月の終わり、クッキーを作ったときだ。
真はあの時も幸せだと言った。私がいて幸せだと。
あの時、私はどう思ったんだったっけ?
……そうだ、確か、こう思ったんだ。
“真がずっと能天気に笑っていたから、私もそれにつられてほんのちょっとだけ、楽しかったかもしれない”って。
……それで、今、同じことを言われた私はどう思っているんだろう?
「……ぅ」
胸が熱くて仕方ない。
次から次へと暖かいものが胸の奥から湧き上がってきた。
思わず胸を抑える。
『ユウがいてくれて、本当に幸せだ』
頭の中で真の言葉が響き続ける。
そして、その度に体が落ち着かなくなる。
何かしなくてはならない、ここで座ったままではいられないと。
……だって、だって、そんなの――
『ユウがいてくれて、本当に幸せだ。
……これからも、こうして一緒に旅行したりしたい』
――そんなの、私だって一緒に決まってるじゃないか。
「……っ」
この四ヶ月、本当に楽しかった。
毎日が幸せで、辛い事なんてほとんどなくて、ただただ暖かかった。
朝起きて、ご飯を作って、それを美味しそうに食べてくれるのが嬉しかった。
昼は一人で家に居るのが少し寂しくて、でも頑張って家事をしたらお礼を言ってくれた。
夕方には家に帰ってきて、二人で他愛のないことを話しながら晩御飯を食べた。
夜には一緒にのんびりして、映画を見たり、並んで本を読んだりした。
そんな、なんてことのない日々が嬉しくて、本当に幸せで、大切だった。
「……」
ずっとこんな日が続けばいいって思う。
これから先、真と一緒に色んなことをしたい。旅行にだって一緒に行きたい。
異世界にいたときは朝が来るのが怖かったのに、今は次の日が来るのが待ち遠しくて仕方ないのだから。
「…………はあ」
吐いた息が熱い。まるで熱でもあるみたいだ
胸が苦しくて、でも、それが嫌じゃなかった。
……行かなくちゃいけない。
ここで座っているわけにはいかないと思った。
今すぐにでも真のところに行って、伝えたいことがあるから。
顔を上げてベランダを見る。
そこでは今、真が温泉に入っているはずだった。
……手を伸ばし、用意してあった荷物を掴んだ。
立ち上がってベランダへと向かう。
頭のどこかで、冷静な私が止めたほうがいいと言っている。
でも、胸からこみ上げてくる感情に抗えそうになかった。
私はベランダへと続く扉の前に立ち、自らの服に手をかけた。
◆
ベランダの扉を開き、中に入る。
頼りなく感じるバスタオルを手で押さえながら、中央の枡に向かって歩いた。
恥ずかしくて俯きそうになるのを押さえ、顔を上げる。
真は私に背を向けるようにして温泉に入っていた。
「ユウ?どうしたの?」
背中越しに真が声をかけてきた。
震えそうになる足を抑えながら、口を開く。
「……うん。私も温泉に入ろうと思って」
そう言うと、真は一瞬硬直したかと思うとこちらを振り向き、そしてすぐにまた向こう側を向いた。
……こんな姿を少しとはいえ、見られた。
その事実に、恥ずかしくてへたり込みそうになる。
「……その、私も入るね」
でも、止まるわけにはいかない。
止まるくらいなら最初からこんな事はしない。
手桶で体にお湯をかけ、湯船の中に足を入れる。
そして、真に近づいた。
「真」
「ユ、ユウ?ちょっと待って、一体何が……」
待ってほしいといわれても、そういうわけにはいかない。
一歩でも止まったらまた動ける自信がなかった。
「……あのね、真に伝えたいことがあるの」
「つ、伝えたい事?」
真のすぐそばで背中を向けて座り込む。
背中が真に触れた。
「真、私も一緒だよ」
「な、なにが?……あの、ユウちょっと離れて……」
真が慌てているようだけど、気にしている余裕はない。
私には言葉が震えないようにするだけで精一杯だ。
「……幸せなの」
「え?」
真に、伝える。一言一言を丁寧に。
ずっとずっと思っていたから、だからこそ間違えたくなかった。
「私ね、ずっと幸せだったよ。真と一緒に暮らすようになってから、ずっと」
「……そうなんだ」
言葉にすると、それまでよりさらに、胸から暖かい気持ちがあふれてくる。
それは私をこの風呂の中に追いやった元凶だった。
「嬉しいよ」
立ち上がりかけていた真が座りなおし、お互いに背を向けた状態になった。
真の言葉が耳の近くで聞こえる。
「ありがとう」
「うん……私もありがとう」
顔を上げると綺麗な夜空が広がっていた。
夜空一杯に星が広がっていてただ綺麗だな、と思う。
「……はあ」
……私は元男だ。
男として生まれて、六年前までは男として生きていた。
男と恋愛する事なんて出来ないと思っていたし、抵抗がある。
だから、今までは否定してきた。
真を好きになるなんてありえないと。
そんなのは間違いだと。
でも……。
背中に触れている真の背中から熱が伝わってくる。
優しくて暖かい温もりが。
「……くふふ」
……暖かいなあ。
ただ嬉しくて、目の前が滲んでくる。
……こんなに幸せなのに、もう嘘はつけないよ。
「くふふふふふ……」
認めよう。
元男だとか、もうそんなことは関係ない。
……私は、真のことが好きなのだ。
これで三章は終了です。
次は間章9月10月に入ります
内容は短編になる予定です。




