大人しくするのも限界なので、身代わりを立てて抜け出します
少し長いですが、ラストです。
秋が深まり過ごしやすくなった鳳蓮国。皇帝翔月の即位より五年が経ち、后妃玄鈴花との間には二子に恵まれ、長子は東宮として将来を期待されていた。公主は玉のような可愛さであり、皇帝はたいそう可愛がっていると民の間で評判となっている。また、側妃である中級妃との間にも一子に恵まれ、こちらの公主も翔月は同じように可愛がっていた。国は安定し、この五年に目立った乱はない。平和な時間が流れていた。
そんな中、后妃の住まいである天架宮に鈴花の絶叫が響く。
「あ~! もう無理! 限界! 翔月もそうじゃない!?」
「同感だ。もう我慢できない」
子どもを産み女性として艶がでてきた鈴花だが、今は気高く聡明な后妃としての仮面を脱ぎ捨てて、卓子をダンっと叩いた。その向かいに座っている翔月も大人び、皇帝としての貫禄が出ているが、苦い顔になっている。
「私、頑張ったわよね。皇貴妃に選ばれて、朝廷でも後宮でも役目を果たして景陽を産んで、跡継ぎは確保したわ」
あの国を揺るがす事件の後、妃嬪が減り中皇貴妃になった鈴花には相当の重圧があった。第一子が男子だった時は心の底から安堵したが、まだ暗に保険としての男子を求められるので、鬱憤がたまっているのだ。
「その上可愛い公主まで。本当に感謝しているから、もう一人男の子を欲しそうにしている郭昭に殺気を向けるなよ……。一応玄家の裏の顔を知っているとはいえ」
「だって、景陽の教育係しながら、もう一人男君が増えたら誰に教育係を頼みましょうかなんて言ってるのよ。気が早いというかもはや失礼!」
「俺もあいつが子ども好きだったとは知らなかった」
鈴花はぐっと拳を握って、翔月の顔をじっと見る。その目は必死に思いを訴えていた。
「景陽は四歳、妹の風蘭も三歳。ここまでしっかり面倒を見たわ」
「そうだな。そして二人は今日、玄家の邸に遊びに行って夜まで帰ってこない」
「玄家だから警備も万全よ。何も心配はないわ」
二人は同時に戸口に控えていた春明と凉雅に顔を向けた。春明はずっと鈴花の侍女として仕えており、凉雅は宦官でもないのに後宮に呼び出されていた。一応外聞もあるので宦官の恰好になっており、影が薄いのでもはや風景の一部のようになっている。凉雅は表向き宮仕えをしているが、今でも翔月から裏の仕事を頼まれていた。
その隠密二人は、先ほどからの話を聞いて呆れ顔になっている。この先の展開が読めているのだろう。聞きたくないと顔に書いているが、翔月と鈴花はそれを無視して口を開く。
「春明、一生のお願い! 今日一日身代わりになって!」
「凉雅、仕事で疲れているだろう。幸い俺は今日休みだから、俺になってゆっくり骨を休めろ」
春明と凉雅は顔を見合わせ、大きなため息をついた。二人からすればよく持ったほうだったが、やはりという感じだ。皇帝、后妃という立場になれば簡単に後宮からは出られない。市井に行く機会は何度かあったが、どれも厳重な警護がついていた。子どもが生まれればなおさらで、春明も凉雅も何度二人の好物を市井に買いに行ったか分からなかった。
そして今日は子供二人がおらず、翔月は仕事を全て昨日片づけていた。鈴花も女官たちを休みにして身の回りの人を少なくしている。そうなればこの展開は読めるというもの。
「鈴花様、もう一生のお願いは尽きておりますので、市井のおいしい点心で手を打ちましょう」
「翔月様も、止めても無駄だと思うので、おいしいお酒をお願いします」
隠密二人はしかたがないと、主人におつかいを頼むのだった。普通は身の危険があると止めるべきだが、玄家の訓練を受けた翔月と鈴花なので心配はいらない。それにいつ何時でも、玄家の精鋭が離れて護衛しているので問題なかった。
そうして春明は鈴花へ、凉雅は翔月の身代わりとなって後宮に残り、侍女と宦官の姿になった鈴花と翔月は意気揚々と市井に繰り出すのだった。
「あ~、外の空気はきもち~!」
「肩の力が抜けるな。あと一週間は外でぼんやりしたい」
「ほんとにね、それくらいのご褒美は欲しいわ」
二人は市井の雑踏の中を歩いていく。後宮を出たところにある小さな邸で、町に溶け込める服に着替えていた。鈴花は隣を歩く翔月をまじまじと見て、思わず言葉を零す。
「久しぶりに宵を見たわ」
「へへへ、悪くないだろ?」
そばかすこそないが、上を着崩して髪も半分下ろしている。意地悪な笑顔を浮かべれば、少し懐かしい宵の顔だ。ここ五年は皇帝翔月に徹していたので、浮ついた宵の面は酒に酔った時くらいにしかでていなかった。にいっと笑う翔月を見て、鈴花は複雑そうに薄く笑う。
「景陽を見ていると、宵っぽいところがあるのよね」
「……あぁ、小鈴にべたべたしているところか」
男親としては面白くないのか、翔月は景陽と張り合うところが少しある。その度に鈴花は呆れるのだが、今回はそれではない。
「ううん。この間、将来はたくさん妃嬪を迎えてみんな幸せにするんだって言ってたのよ。女の子の匂いが好きなんだって……先が思いやらわれるわ」
「小鈴から離れるなら好きにすればいい」
後宮の役割としては、妃嬪をたくさん迎えるのは決して間違っていない。翔月の代は后妃の鈴花と側妃として残った中級妃の二人だけだが、特例だ。鈴花が皇貴妃に選ばれた後、残った妃嬪は希望があるものは実家に帰らせ、降嫁も許した。
鈴花と親交のあった翠陽泉と黄潤は名残惜しそうにしていたが、それぞれ嫁ぎ先が決まり後宮を後にしたのだ。陽妃は人柄がよく将来が有望な良家の文官へ、潤妃は本人が商家を強く希望したので業績を伸ばしてきている家へと嫁いだ。よく文のやりとりをし、後宮に招いて飲茶をすることもある。
そして最後まで残ったのが大人しい中級妃で、後宮で皇帝陛下と皇貴妃様のお手伝いがしたいと言ったのだ。女官になりたいと申し出たのだが、鈴花が妃嬪としてとどまることを勧めたのだ。正直、妃嬪が自分一人だと負担が増えるからだった。
その結果、翔月の代は歴代最小の後宮であり、郭昭は「皆が幸せなのが一番ですが、少々寂しいですね」と人のいない宮に目をやって眉尻を下げるのだ。
(まぁ、あと数年すれば玄家の訓練を受けるでしょうし、今は純粋なままでいいわね)
鈴花はまだ幼くきらきらした目を向けてくる息子を思い出して、頬を緩める。可愛らしく、これからの成長が楽しみだ。
「あっと言う間に大きくなるんだろうな」
「でしょうね。あら、ここのお店変わったのね」
そんな話をしながら歩いていた鈴花は、ふと目に入った店の趣が変わっていることに気づいた。店が入れ替わることはよくあるが、変わった店なので目を引いたのだ。
「胡服を取り入れた服を売っているのね。そういえば、最近こういうのが流行りだって春明が言ってたわね」
「ん? 耀衣堂……あぁ」
看板に目をやった翔月が顔色を曇らせ声を低くしたので、鈴花はおやと思い顔を翔月に向ける。彼がこういう反応をするのは珍しいからだ。
「知ってるの?」
「う~ん、まぁ」
翔月は歯切れが悪く答え、横目で鈴花の顔を盗み見た。鈴花はますます不思議で首を傾げる。
「気を悪くしないでほしんだけど、珀玉耀が関わっている店なんだ」
珀家は取り潰されたので厳密には珀ではないのだが、翔月はその方が分かりやすいだろうとその名を口にした。今思い出しても苦々しい思いになる名だ。鈴花は思いもよらない名が出て、足を止め店に視線を向ける。
「えっと……国外追放になったのよね」
珀家の当主は処刑され、珀妃とその母を除く一族が処断された。鈴花は人づてに、母方の生家に身を寄せていると聞いていた。
「あぁ。その後、向こうの商家に嫁いだらしい。そこで思わぬ才能を開花させたというか、服飾に携わるようになったらしい」
「……たしかに、派手だったけど似合ってものね」
印象は派手の一言に尽きるが、よくその柄や小物を思い出せばなかなか悪くなかったようにも思う。
「胡国でもそれなりに成功し、こちらでも商品を扱うようになったそうだ」
「へぇ、詳しいのね」
鈴花は珀妃のその後について一切聞いたことがなかった。それに翔月はそれほど服飾に興味があるほうではなかったはずだ。どういうことだと目で問いかければ、その圧力に翔月は後ろめたそうに口を開く。
「いや……終わったことを話題にするのもどうかって思って、小鈴には言わなかったんだ。それに、俺が知ってたのは朝議で議題にあがったからで、俺がどうこうしたわけじゃない」
鳳蓮国で新たに店を出す際は府第に届け出が必要になる。常ならば皇帝のところまで上ることはないが、珀玉耀が関係しているとあって上奏されたのだ。
「それに、もともとは店の一角分くらいを仕入れるはずだったが、話を聞きつけて商品を見た黄家の当主が割って入って来てさ……。品もよく必ず流行り、胡国に恩も売れるからと話に噛んで店ごと出したんだ」
黄家が仕入れと販売を一括するため、向こうの人員が来ることはない。珀妃やそれに関わるものが入国しないよう、厳密な取り決めの後店は開かれたのである。
「へぇ……別に教えてくれてもよかったのに」
知ったからどうということもないが、その名を聞きたくないほど憎んでいるわけでもない。
「そうか。いや、嫌な思いをさせるかと思って」
鈴花は翔月の気遣いを嬉しく思い、その手を取る。
「せっかくだから、見てみましょ。よく見たらああいう服を着ている人も多いし、後宮でも流行らせましょう」
胡国の服は鳳蓮国のものと違い、襦と裙に分かれておらず上から被って着るようだ。腰のところを飾り帯で締め、鳳蓮国風の装いになっている。色遣いや紋様も少し違い、目を楽しませてくれていた。
「まぁ、それも悪くないな。これが終わったら、おいしいもの食べよう。あと、身代わりへの貢物も買わないといけないし」
「そうね。あ、この服かわいい」
鈴花は店に入り、色とりどりの服を物色しながら楽しそうに声を弾ませる。
「好きなのを選べばいい。小鈴ならなんでも似合う」
そんなことを言われては、鈴花も少し赤面してしまう。宵の女たらしが出てきたようだ。
その後、鈴花は自分と春明の服を買い、翔月がおすすめする点心を食べた。鳥や猫の形を模した小さな包子で、食べるのが惜しいくらい可愛らしかった。
そしてお土産を買い、露店の串焼きも食べて日が暮れる前には後宮へ戻った。お土産を渡せば子どもたちが帰って来る前に急いで服を着替え、送り届けられた子どもたちを笑顔で迎える。娘の風蘭は馬車の中で寝てしまったらしく、翔月が房室へと抱きかかえていった。
「おかえりなさい、景陽。楽しかった?」
「ただいま戻りました母上。おもしろかったですよ」
鈴花はゆっくり話を聞こうと、長榻に腰掛ける。景陽はよじ登るように隣に座り、ふと何かに気づいたように鼻をひくひく動かした。
「母上もおかえりなさい」
「……え?」
何のことかと首を傾げる鈴花に対し、景陽は長榻の上で立ち上がって鈴花の髪の匂いを嗅いだ。
「母上の髪から串焼きの香りがしますし、春明からは母上の襦裙の残り香がしましたから、お外へ行かれたのでしょう?」
「え、景陽、分かるの?」
「はい。今日おじい様も驚かれていましたが、僕は生まれつき鼻がいいそうです」
鈴花は目を丸くし、誇らしそうな顔をする息子の顔を見つめた。そう言えば、遠くからでもご飯が何か当てられたり、中級妃と遊びでやった香当ても正解していたりしたことを思い出す。子どもだから感覚が鋭いのかと思っていたが、一種の才能だったようだ。
(そんな、隠密として生きるわけでもないのに……あぁでも、匂いのある毒なら分かるから役にたつかも)
これは翔月に相談ねと思いながら鈴花は景陽の頭を撫でた。撫でられて嬉しそうにしている様子を見るとまだまだ子どもなので安心する。早くから次期皇帝として育てられたせいか、妙に大人びた発言をするのだ。
とそこに、風蘭を運んだ翔月が戻って来た。撫でられている景陽を見て、おもしろくなさそうに目を細める。
「景陽、小鈴の隣は余の場所だ」
「父上……さっきまで母上と一緒だったんでしょ。少しくらいお譲りください」
二人の視線がぶつかり、火花が散った気がした。景陽が鈴花にぴったり体をくっつければ、翔月も鈴花の隣に荒々しく腰を下ろした。大人げない父親とませた息子に挟まれた鈴花は苦笑いを浮かべる。
「お前は余が政務を行っている間も、小鈴と一緒にいられるだろうが」
「僕が生まれる前に母上といた時間と比べれば、わずかかと思いますが」
「小鈴とゆっくり過ごす間もなくお前が生まれたんだが?」
「僕の母上への愛が勝ったんですね」
景陽は本当に頭が回る。鈴花は四歳児ってすごいわねと思いながら、二人の可愛い言い争いを眺めるのだった。鈴花から見れば、景陽は鈴花を通して翔月とじゃれているように思えるので止めも窘めもしないのだ。
そして目を覚ました風蘭が「私も入れて~!」と突撃するまであと数分。今日も後宮には穏やかで幸せな時間が流れるのだった。
番外編のリクエストありがとうございました! これで全部消化できたと思います。
取りこぼしあれば教えてください。楽しい中華が書けて満足です。
しばらくは短編を書いて遊んでおりますので、また機会があれば覗いてくださいませ。
では、長くお読みくださりありがとうございました(*´ω`*)




