59 家族と話します
後宮は男人禁制の花の園であり、妃嬪の家族であっても訪れることはできない。妃嬪は事情があれば、届けを出して生家に会いに行くことは可能だが、上の妃嬪になるほど難しい状況にある。そのため、後宮の門から少し行ったところに小さな邸があり、妃嬪と家族が面談できるようになっていた。
その一室で、鈴花は父と兄に会っていたのである。開けられた窓からは院子が見え、桜が数輪花をつけているのがわかった。春を告げる鳥が枝を飛び移り、空も澄んでいて晴れやかな天気だ。
だが、外の和やかさとは一転して、室内は冬の吹雪のごとく。微笑を浮かべたまま向かいに座る父親と兄を見つめる鈴花と、一切動じずに呑気に茶を飲む父親。そして、兄は鈴花と視線を合わせることなく、無心で点心を口に入れていた。
「さて、説明してもらうわよ」
いつもは少し甘えが入った可愛い声で話す鈴花も、今日ばかりは冷え冷えとした怒気をはらんだ声音になっている。父親は目だけを隣の凉雅に向け、説明するように促した。凉雅はまだ腫れが残る顔を引きつらせ、痛みに眉を顰めてから溜息を零す。
「あらすじは陛下から聞いたんだよね?」
「えぇ。陛下は昔玄家で身代わりの修行を受けていて、お父様たちの一計に手を貸した。先の皇位争いの真相を暴くために、朱家と蒼家も協力したってことでしょう?」
「そう。それで最初に言っておくと、今回鈴花に何も伝えなかったのは、そのほうが行動が自然になって策が見破られずにすむからだ」
「理屈は分かるけど……」
春明に全ての情報を明らかにしていないのと同じだ。だが頭では理解しても、心では同じ玄家の一員として策に関わりたかったと思う。恨みがましい視線を父親に向けていたら、父親は茶杯を机に置いて黒い瞳に鈴花を映した。
「お前はまだ策を理解した上で、自然に振舞うのは苦手だからな。どこかでぼろを出しかねない。それに、これは確認試験でもあった」
だから、文に合格の文字があったのだろう。鈴花は腹の立つ文を思い出して、自棄気味に干し杏子を口の中に放り込んだ。妃嬪の上品さを殴り捨て、おてんば娘に戻っている。
「私だって国のために頑張りたかったのに。全部掌の上だったんでしょうよ。思う通りに進んで愉快だったかしら」
拗ねた表情を見せる鈴花に対し、凉雅はごめんごめんと自分の干し杏子も鈴花の皿に乗せた。
「こっちも、色々と計画が狂って鈴花を策に入れ込む余裕がなくなったんだよ」
どういうことだと鈴花が目で問えば、凉雅は頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「襲撃があった時、僕も陛下も無傷で逃げたんだ。そのまま僕は朝廷で情報集め、陛下は玄家に身を隠すことにしてたんだよ。……けど、敵は思ったより慎重で、陛下の遺体が見つからないから動かなかったんだ」
それを聞きながら、鈴花はそう言えば襲撃から数日は目だった動きがなかったことを思い出す。
(こっちはやきもきしてたのに……)
聞けば聞くほど自分も最初から参加したかったと思うのだ。
「それで、俺が身代わりとして珀家に捕まることになって、陛下は状況をかく乱するために鈴花に身代わりとして仕立てられるよう仕向けた」
「なるほどね……陛下の方は分かったわ。それにしても、珀家に捕まるだなんて危険な橋を渡ったのね。襤褸雑巾みたいになったじゃない」
凉雅の容体は左足を骨折、肋骨も数本折れているらしい。栄養状態も悪く、しばらく安静を言い渡されていた。いつもの影の薄さも、生々しく傷跡の残る顔では半減している。凉雅は折れた足に視線を落とすと、鼻で笑った。
「これは僕が自分で折ったんだよ」
「え?」
「襲撃から三日が経っているのに、健康体で草むらに転がっていたらおかしいだろう? ちゃんとくっつきやすいように折ったから、一か月もすれば走れるようになるよ」
まるで折れた武器を修理するかのように、淡々と凉雅は話す。鈴花はそこまでできる兄を尊敬するとともに、相変わらず無茶をすると呆れた。兄は自分の功績をあまり話す人ではないが、今回も着実に仕事をこなしたのだろう。
「そう……ゆっくり休んでね。それで、真相は暴けそうなの?」
「まだ右丞相の口から語られてはいないけど、僕たちの読みは間違っていないと思うよ。珀家は皇位争いの段階でこの国を乗っ取ろうとしていたんだ。ただ、他に共犯者がいるのかとか、公子たちの殺害方法とかはまだ分からない」
それは恐ろしい物語であり、鈴花は顎に手を当てて思考を巡らす。もし事実なら、右丞相の罪はさらに重くなる。一族郎党処断される可能性もあるだろう。鈴花は緋牡丹の赤を思い出し、胸に嫌なものが広がる。
(可哀想だけれど……仕方がないわよね)
彼女自身が策に加担していたわけではなくとも、後宮を乱し、父親を止められなかったのに変わりはない。鈴花の表情には一抹の悲しさが潜んでいて、凉雅は微笑を浮かべる。
「鈴花は相変わらず優しいね」
和やかな声音の凉雅に、どういうことよと鈴花が問い返そうとした時、父親が口を開いた。
「鈴花、顛末は今の通りだ。今回お前は自分で考え行動した。これからも、皇貴妃として十分やっていけるだろう」
「お父様……。私を皇貴妃にしたのも、策のうちですか?」
そう鈴花が猜疑心のこもった瞳を向けると、父親は苦笑いを浮かべた。
「疑り深いな……。それは陛下の意思だ。我々はあくまで闇の存在。表の後宮に口を出したりはせん」
「……わかりました。玄家の娘として恥じないよう努めますわ」
そしてしばらく後宮のことや家のこと、今後について話し、鈴花は後宮へと戻った。父親はこれまで通り器用貧乏らしく、様々な事業を展開させ、兄は影を薄くして朝廷で働くそうだ。
鈴花は輿に揺られて景雲宮へ戻り、院子を通って自室へと戻る。その時、ふと庭の枝垂桜に目をやれば満開が間近だった。花が付いた枝が風に揺れ、春の日差しを受けている。
(もう、春なのね。忙しくなるわ)
建国祭が目前に迫り、鈴花は皇貴妃として参加するため礼節を確認したり、儀礼の段取りを覚えたりとすることが詰まっている。休みがもらえたのは半日だけで、午後からはさっそく儀礼用の衣装選びが待っていた。
(翔月陛下……)
枝垂桜の向こうに見えた少年が、国を背負って立っている。
(私だって、頑張らなくちゃ)
鈴花は枝垂桜から視線を外し、前へと進んでいくのである。




