53 皇帝は不敵に笑います
意味ありげな表情で、翔月が視線を向けたのは無論右丞相。そして口角を上げると挑発的な笑みを見せる。
「先ほどの言葉をそのまま返してやろう。その偽物、実にいい出来だった。一朝一夕では作れまい。皇位争いで公子たちが片付いたら、ご落胤だとでも称して連れて来るつもりだったのではないか? だが、忘れ去られていた余がいたから、今回消そうとしたのではないか?」
一つ一つ、退路を断つように言葉を置いていく。
「あの襲撃の後、周辺で怪我をして動けずにいたこいつを捕らえてみれば、皇帝だと名乗った。笑いが止まらなかったか? これで、皇帝をすり替えられると」
断片的だった事実が線となり、一つの物語へと織りなされていく。右丞相は顔を真っ赤にし、目を忙しなく四方に動かしていた。まだ認めないようで、「ですが」となおも言い募る。
「それは全て空想! 証拠などありませぬ!」
「ほう。だが、この男を使用人だと嘯いたのはなぜだ? 皇帝だと思って幽閉していたのに、逃げだしたと思ったからだろう」
「それは、勘違いでございます。実際に我が邸には気を病んだ使用人がおり、離れで療養させておりますから。顔が腫れて分からず、卑怯な玄家が我が家に捕らわれていたなどと触れ込んだためでございます」
右丞相は成り行きを見守っている太師に、百官たちに切々と訴える。この場において、数を見方につけるのが最も有効であることをよく理解していた。だが、珀家が追い詰められているのは確かであり、珀妃は蒼白な顔で縋るような瞳を翔月に向けている。
(確かに、決定的な証拠がないのよね……。拉致できれば、自白させられるけど)
相手が右丞相とあっては、さすがにいろいろと問題がある。どうするのかと思っていると、翔月は凉雅に視線を向けて何かを促した。すると、凉雅は懐から何かを取り出して、器用に片足で歩き太師へ手渡す。彼はしばらく手の中にあるものを見ていたが、指でつまむと皆にも見えるように高く挙げた。
それは遠目で見ると金属の小さな筒で、鈴花は用途が分からず首を傾げる。周りも似たような反応で、ただ一人右丞相だけが脂汗を浮かべていた。
「後宮を襲ったのも、余を襲ったのも、山間の部族だった。青や緑の目をした、胡国の流れを組む部族だ。他の部族からの情報によると、彼らは特殊な笛を用いて連絡を取るらしい」
「……なるほど。ということは、これは笛ですな」
太師がその筒を指で回せば、穴が開いており吹けば音がなる作りになっていた。確認が終わったため、凉雅がその笛を受け取る。
「そうだ。そしてこの笛は常人には聞き取れない、高音を発生させると共に、もう一つ役割がある」
翔月の言葉が終わると同時に、凉雅は笛の底を回す。すると底が取れ、中には丸薬が入っていた。
「余を襲撃した時は逃げかえったが、玄妃を襲った時はその場で自害した。……それが、部族たちが持ち歩いている毒薬だ。他殺と、自害用に二つ持ち歩くらしい。そして部族が命を懸けて仕える者もまた、この笛と毒薬を持ち歩かなければならないそうだ」
そこで言葉を一度切ると、翔月は立ち上がり檀を降りて右丞相へと歩み寄る。
「部族では依頼の失敗は死であり、また依頼者であっても部族に不利益を与えると判断すれば消される。……さて、あの笛は珀家の、当主の部屋から出てきたものなのだが、丸薬は一つ。もう一つはどこにあるのかな?」
水面に石が投げうたれたように、ざわめきが皇帝と右丞相を中心にして広がっていく。右丞相は怒りに目を吊り上げ睨みつけていたが、一瞬視線が左にそれた。確認した先を翔月は見逃さず、音もなく間合いを詰めて左手を捻り上げた。
右丞相の低い悲鳴が上がり、袍の袖がまくれ上がる。すると、太い腕には腕輪が嵌っており、丸い飾りがついていた。
「離せ!」
右丞相が空いている手で皇帝の手を払おうとするよりも前に、翔月は腕輪を抜き取って一歩引いた。鼻の先を右丞相の手が薙ぎ払われていく。翔月は不敵な笑みを浮かべ、装飾の白い珠に爪を立てた。
「こういう、金属の部分が厚い装飾品は、絶好の隠し場所だからな……ほら、あった」
白い珠が嵌っているように見えたが簡単にはずれ、中の空洞から丸薬が転がりでてきた。
「ち、違う! これは行商人から買ったものだ! 私は知らんぞ!」
追い詰められてもまだ否定を繰り返す右丞相。朱家の末子が静かに近づき、懐から手巾を取り出して広げ、証拠品を受け取った。それらは太師へと手渡され、毒薬の鑑定へと回される。
「そ、その丸薬だって、今お前が仕込んだんだろ! 玄家の手先、この詐欺師が!」
「往生際の悪い……。そうそう、これは後宮を襲撃したことの抗議をしに、山間の部族を訪ねた勅使からの報告なのだが……部族は忽然と姿を消していたそうだ。どういうことか、わかるよなぁ?」
「なっ……」
目元を細め、幼子を諭すような優しい声で翔月は話す。そして再び近づき、動けずにいる右丞相の耳元で囁いた。ごく小さな声で、鈴花からは辛うじて口元が動いていることだけが見える。
(……何を言っているの?)
翔月が離れた時には、真っ赤だった右丞相の顔は青くなっており、話の内容がさらに気になってしまった。足の力が抜けたのかその場に崩れ落ちた右丞相には目もくれず、翔月は事態を周辺で見守っていた武官へと顔を向ける。
「右丞相の嫌疑は、部族と共謀して皇帝を襲撃し、後宮に忍び込んで妃嬪と余を亡き者にしようとしたこと。そして、公子たちによる皇位争いへの関与だ。なに、時間はたっぷりある。安全な牢の中で、ゆっくり話すんだな」
皇帝の指示で武官は右丞相を取り巻き、拘束する。同時に珀家についていた官吏たちも拘束されていく。項垂れる者、喚く者、逃げようとする者。場が混沌とする中、右丞相は何を言われたのか、先ほどまでの勢いが萎み愕然とした表情で、床を見つめていた。右丞相が両脇を武官に捕まれたところで、甲高い声が割り込んだ。




