36 甘い点心に癒されます
鈴花は景雲宮に帰るなり、離れで春明から報告を聞いた。できる侍女の春明は市井でお土産に点心を買ってきており、それを食べながらの飲茶である。時刻はちょうど昼過ぎで、小腹もすいたころだった。
春明はお茶を淹れてから、鈴花から見て方卓の右に立ち簡潔に情報を伝えていく。それに耳を傾けながら、鈴花は好物を口に運んだ。
(おいし~)
鈴花は甘い点心に顔をほころばせる。買ってきてくれたのは、抜絲苹果であり、素人はなかなか作れないものだ。たくさんの布に包んで持ち帰ってくれたため、まだ中がほんのり温かい。
素揚げしたりんごを飴にからめた点心で、飾りとして飴を糸状にしたものが乗っている。それを崩しながら食べれば、飴のパリパリした食感のあとに甘みが溶けだし、りんごの甘酸っぱさがいい調和を生む。甘芋の飴がけの方が多いが、鈴花はりんごの方が好きだった。
(幸せ~。嫌なことを一気に忘れるわ)
さらに胡国の茶器に入れた苹果红茶の香りを楽しんで口に含めば、気分は異国に旅をしたようだ。紅茶自体は鳳蓮国でも栽培しているが、そこに果物や薬草で香りをつける飲み方は一般的ではない。この飲み方は胡国の商人から伝わったものだった。
顔を緩ませ、気の抜けた表情になっている鈴花を見て、報告を終えた春明はため息をつく。宮女たちから鈴花が疲れていることは聞いていたが、それでも気を緩めすぎだ。
「鈴花様……ちゃんとお聞きになっていらっしゃいましたか?」
「え? あ、うん。もちろんよ」
鈴花は胡国の茶杯を受け皿に慎重に置き、表情を引き締めた。
「お父様の情報通り、珀家は人と物の動きが増えていて、下男や下女も尊い人がいることを知っているようなんでしょ?」
「はい、逆に朱家、蒼家は侍女や下女も公表を受けて戸惑いを見せているようです」
鈴花は「ふ~ん」と相槌を打って、揚げりんごを口に放り込む。
「それにしても玄家は保護した皇帝を後宮で匿っているって噂が出ているのね」
これは春明が新たに得た情報で、それを聞けば珀妃の態度にも少し合点がいった。彼女は宵を皇帝として保護した人物と思っているのかもしれない。
「なので、皇帝なら後宮に男のままいようが問題ありませんし、ご落胤でも同様です。この噂は上手く使うべきでしょうね。ただ……」
「お兄様の動きが掴めないわねぇ」
鈴花はお茶を一口のみ、眉間に皺を寄せる。兄の凉雅は朝廷で下働きをしていたが、この数週間姿が見えないという。玄家の広い伝手を使って、兄が務める部署に出入りしている商人に話を聞いたのだが。
「まさか、名前を挙げるまで、いないことに気づかれないなんてね……」
その商人に凉雅について訊けば、そういえばいなかったようなというぼんやりした返答だった。いつからいないのかも明確ではなく、あまりの影の薄さに鈴花は憐れみを覚えた。
「まぁ、それが一種の凉雅様の才能でもありますからね」
「……ということは、お兄様は何か裏で動いているんでしょうね。やりにくい」
鈴花たちに利になるように動いているのか、それとも他に思惑があるのか。兄はたまに家族からも存在を忘れられるほど影が薄いが、能力は高く侮れない。あっちもこっちも気になることが多すぎて敵が絞れず、鈴花はこめかみを揉んだ。
(珀妃の最後の言葉もひっかかるし……)
珀妃は皇帝の直系が絶えることについて触れていた。しかもそこに意味があるかのような言い草で、蓮国のこともちらつかせていた。
(それに、宵も……)
ご落胤の可能性だけでも頭の容量を圧迫しているのに、予想外の好意を向けられている。そこに父親の関与も考えるともう鈴花の頭は爆発寸前だ。
「鈴花様……それで、そのご様子から厄介ごとがあったようですが、お聞きしても?」
「うん。二つ面倒なことがあってね、愚痴らせてくれる?」
さすがは春明。主人を精神面でもしっかり支えており、そう話を促した。そして時系列順に最後まで話を聞いた春明はいい笑顔で毒を吐く。
「馬鹿男はやはり切り落とすべきですし、緋牡丹は茎をへし折るべきです」
「えぇ、そうね。宵は今度同じことしてきたら殴るし、珀妃に関しては必ず尻尾を掴んでみせるわ」
春明に話したことでいくぶん心がすっきりし、余裕ができてきた。前向きに考えようと気合を入れ直した鈴花を見て、春明は意外そうに小首を傾げる。
「しかし……鈴花様は宵に言い寄られても不愉快ではないのですね?」
「え? 不愉快よ。考え事の邪魔になるし、精神的にもよくないわ」
そう答えれば、春明は逆側に首を傾ける。耳元で輪に結い上げている髪が揺れた。
「そのわりには……」
「何?」
ぼそりと口の中で春明が何か呟いたが、あいにく鈴花には届かない。そして見守るような微笑を浮かべると、ふふふと小さく笑った。
「ちょっと、何? 怖いんだけど」
「いえ、思う存分お悩みくださいな」
その後春明も席に座り、お茶を飲みながら雑談をしていると走廊を速足で進んでくる足音が聞こえ、二人は顔を見合わせた。急ぎの用があるのだろうと、春明は取り次ぐために席を立ち戸口へと歩いていく。春明が戸口に手をかけたのと、宮女が戸の前で止まり口を開いたのは同時で、
「鈴花様、朝廷に動きがありまし……た」
と、前触れなく開いた戸に驚きつつ、宮女は畏まる。午前中に鈴花の散歩につきあってくれた宮女だ。彼女は急いで伝えてくれたようで、少し息が上がっていた。
「ありがとう。何があったの?」
鈴花は戸口の向かいに座っており、労ってから用件を促す。彼女は息を整えると、緊張を含んだ声で話し出した。
「……はい。朝廷は、皇帝の真偽を明らかにするために、一週間後に召集をかけて審議をするそうです」
「一週間後ね」
あと一週間と少しで建国祭があり、皇帝は国民の前に出なければならない。それまでに事態を収束させたいのだろう。予想の範囲内であり、鈴花は口元に手をやる。
「どこで審議をするのかしら。やっぱり正殿かしらね」
百官が募って御前会議をするのが正殿だ。右丞相、左丞相などが詰めているのもそこである。そしてそこは妃嬪が容易に入れるところではない。子どもが幼くして皇帝となり、その母である皇太后が御簾の奥から補佐する場合があるくらいだ。基本的に妃嬪は政治の世界から遠ざけられる。
「おそらくは……」
「なんとかして、その審議の場に出たいわ」
宵一人だけをその場に出すのはあまりにも危険だ。唯一朝廷に出仕している兄は頼れないし、腹が読めない父親を引っ張り出すわけにもいかない。いい考えが浮かばない鈴花に、春明が「では」と進言する。
「郭昭様に皇帝と関わった妃嬪の参加を提案されてはどうですか? それなら怪しまれることなく、鈴花様も審議に加われるかと」
その助言に、鈴花は目を見開き手を合わせる。
「春明、頭いい。それでいきましょう。珀妃も出てくるでしょうから、直接引導が渡せるわ。郭昭様に文を出すから、用意をお願い」
春明が筆や硯を取りにいこうとした時、宮女が「あの」と声をあげる。二人は動きを止めて、宮女へと視線を向けた。
「もう一つ、お伝えすることがございます。翠妃と黄妃様より飲茶の誘いが来ておりまして、日を相談したいと」
「この状況でお茶ねぇ……皇帝についてよね」
おそらく事実の確認と、真意を探ろうとしているのだろう。二人は后妃になることを目的にしていないが、名家の娘。各家がどういう立場を取るのか決めるためにも、情報が欲しいはずだ。
(彼女たちも味方につけられればいいのだけど……)
珀家はともかく、名家である朱家と蒼家に対抗するには玄家だけでは心もとない。鈴花はそんなことを考えながら宮女に礼を言い、下がらせるのだった。そして郭昭と上級妃の二人に文を書き、今後の予定を立てる。黄妃と翠妃には明日、郭昭には審議の詳細が決まり次第会うことにした。
(これで少し形が見えてきたかしら)
今日一日で少し前進した気がした鈴花だが、その夜、闇夜に紛れて事件は起こるのである。




