20 銭を愛する妃と会います
後味が悪く、言い知れぬ不安が忍び寄る夜が明けた。宵は今日も宦官として雑用に駆り出されるらしく、鈴花が住む景雲宮の倉庫を片付けると言って仕事に向かった。宵は常に他の宦官と行動しており、今のところ問題は起きていない。朝から夕方まで仕事をし、夜はみっちり身代わりの勉強と修練を文句を言いながらもこなしていた。
宵と話せば少しは気が楽になるが、一人になると珀妃の存在と不透明な現状、そして進んでいく計画が頭をよぎり気が重くなる。後戻りはできないけれど、今ならまだ足を止められる。
(もし、珀家が本物の陛下を保護したなら……それでいい。でも、絶対そうとは言い切れないもの)
鈴花の脳裏に、変わった仮面と優しい声が蘇る。そして遠い記憶も。
(私は、私が信じる陛下のために行動するわ。後悔しないために)
そうぼんやりと院子の亭から池の水面を眺め、物思いにふけっていた鈴花の下に一通の文が届いた。開けて読むと黄妃からで、持ってきてくれた春明に顔を上げる。
「春明、黄妃がここに来るって」
文には簡潔に景雲宮を訪問する旨が書かれていた。美辞麗句をふんだんに使う妃嬪が多いのに対し、要点だけ書かれている。
「しかも、この時間だとそろそろなんだけど……」
普通は朝文を送ったなら、早くても昼過ぎに訪問するようにするのだが、黄妃は日が少し上ったくらいの時を指定していた。春明が急ぎ用意をしますと、裙を翻したところで宮女がこちらに早足でやって来るのが見える。それだけで用が察せるというもの。
「早速来たわ」
どうも黄妃はせっかちらしい。鈴花は立ち上がり、お客様をもてなす心の準備をするのだった。
そして、客庁で待っていた黄妃は鈴花が入って来ると立ち上がって挨拶をする。
「初めまして、黄潤よ。よろしくね」
「玄鈴花です。お見知りおきくださいませ」
鈴花も挨拶を返し、二人は卓子を挟んで座った。潤は興味深そうに調度品へと視線を滑らせ、ぱっちりとした瞳を忙しなく動かしている。黒い艶のある髪は全て油で固め、頭の上で二輪に結い上げていた。黒髪を彩る金釵は必要最低限で、翡翠の耳飾りが目を引く。
(すごい、さっそく調度品の品定めをしてるわ……。身に着けているものは無駄が無いし、商人という雰囲気ね)
資金力がある黄家ならもっと着飾れるだろうが、潤の装いは簡素だった。橙色の襦は小さな花の紋様が捺染され、薄黄色の裙がふわりと広がっている。それがなんとも好感が持てる。
潤は一通り房室を見回し、鈴花に視線を戻すと屈託のない笑みを浮かべた。
「さすが玄家ね。一級品ばかり揃えているのに、全て調和させているなんて。いいものは癖もあるから、同じ空間に置くと反発しあうのに」
「よくできる侍女と宮女のおかげですわ」
鈴花が景雲宮に入る際の準備は宮女たちと春明が主にしてくれた。鈴花は使いやすいように少し口を出したくらいである。
「普通に話してくれたらいいのよ。私、堅苦しいの嫌いだし、言葉だけ取り繕っても意味ないでしょ。ね、鈴鈴」
そう人懐っこい笑みを見せる潤は、鈴花より二つ上の十八だった。商才があり、いくつか店を経営していると噂で聞いたことがある。
「じゃぁ、潤姐と呼ぶわ。それで、今日はどんな用件で来たの?」
文の書き方や装い、そして話し方から潤は無駄を嫌う性格だと感じた鈴花は、すぐに本題へと話を進めた。すると、潤は満足そうに微笑んで出されたお茶に手を伸ばして話し始める。
「鈴鈴がどんな人なのか見に来たの。昨日珀妃と言い争ってたでしょ? あんなことしても一銭にもならないのに」
「聞こえてたのね……ということは、あの銅鑼は」
「私が鳴らしたのよ」
鈴花が言い切る前に、潤が答えた。お茶請けに出した蓮の実の砂糖漬けをつまみ、迷惑そうな顔をする。
「せっかく側院で梅の香りを楽しみながら、梅園の梅を売りだせないか考えていたのに、酷い合奏だったわ」
「それは、申し訳なかったわ……というか、なんで銅鑼があるの?」
あの時は驚いて不思議に思わなかったが、普通妃嬪が住む宮に銅鑼はない。銅鑼といえば戦場で軍に指示を出す際に使う道具であり、一個人が持っているようなものではないのだ。
鈴花の疑問に対し、潤はあっけらかんと答える。
「銅鑼って便利よ? ああやって注意を引くこともできるし、賊が侵入してきたら鳴らして知らせることができるし、矢が飛んできても後ろに隠れられるからね」
「……銅鑼になんていう役割を任せてるのよ」
思わず素でつっこんでしまった。銅鑼を盾代わりにするなんて聞いたことがない。
「使えるものは何でも使うの。これ、黄家の家訓よ。だから、鈴鈴に会いに来たの。なんだか縁を深めておけば、将来いい客になりそうだし。それに、陽陽が優しくていい人だったって言ってたしね~」
「え、翠妃と知り合いなの?」
「幼馴染よ」
意外なつながりに、へぇと相槌を打った鈴花は、少し冷めたお茶を飲み干した。春明がお茶を注いでくれる。
「陽陽、あの通り気が弱くて押しに弱いから、後宮には向かないんだけど、鈴鈴に助けてもらったって嬉しそうに話すから気になってね」
「珀妃に何度か絡まれているようね……潤姐は大丈夫なの?」
「こっちにも、しょうもない嫌がらせをしてくるけど相手にしてないわ。時間と労力の無駄よ。時は金なり。商売でも考えていた方が有意義だわ」
たくましい潤に、さすがは黄家の娘と鈴花は内心拍手を送る。そして潤のところにもちょっかいを出しているということは、上級妃対中級妃以下という対立構造が明確になってきた。
「流しておいてくれると助かるわ……どうにかして後宮を纏めたいけれど、難しそうね」
「あぁ、郭昭様から後宮の取りまとめ役を任されたものね。頑張って~」
商売において情報は生命線だ。鈴花の事情もしっかり掴んでいるのだろう。そして厄介な問題の渦中に首をつっこむつもりはないらしい。潤は茶杯を方卓において、長いまつげに縁どられた瞳を鈴花に向ける。
「ほとんど三下ばかりだけど、珀妃には気を付けてね。父親の右丞相がやり手ってこともあるけど、何よりああ見えて実力は確かよ。たまに癇癪を起すところがあるけど、一度懐に入れた子は手厚く面倒を見てるわ。性格はきついけれど、人心掌握の術や教養はなかなかよ」
「そう……厄介ね」
まだ珀妃に関する詳細な情報は手に入れていないが、昨日話した感じでは鈴花も同じ印象を受けていた。
「だから、時々会って情報交換をしましょ? ちょうど新しい商売を始めたいから、玄家のやり方を勉強したいし。陽陽ももっとお話したかったって、言ってたからね」
「それは助かるわ。上級妃同士交流しているところを見せてないと、珀妃がますますつけあがるから」
「皇帝がいないのに争うなんて、無意味なのにね」
潤はばっさりと切り捨て、春明が淹れた温かいお茶に口を付ける。
(本当に面白い人……後宮に来てよかったかも)
鈴花は幼少期から父親の指導のもと、教養と技能を磨き、また家業を手伝っていたため友達と呼べる人はいなかった。各方面に知り合いは多いが、私生活で遊ぶ機会も時間もなかったのだ。
「そうね。早く皇帝が見つかるといいのだけど……」
「こればかりは、商人たちの情報網を持っても引っかからないのよね~」
黄家も手掛かりを得ていないとなれば、かなり絶望的だ。
(陛下は生きているのかしら……もしかしたら)
最悪の結果が頭をよぎり、鈴花は表情を暗くする。もしすでに皇帝がこの世にいないのなら、鈴花がしようとすることは無意味だ。
「ま、分からないことを考えても無駄ね。楽しい商売のお話でもしましょ!」
沈んだ顔の鈴花を気遣ってか、潤は明るい声音でそう話を変える。そして、後宮にある調度品の価値や玄家の幅広い商売、潤の新しい商売の案について話が広がるのだった。




