表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

最後にひとつだけ

「斉木さん……ごく稀に、あなたのような人がいるんです。ここへ入った後に、それが覆るような人が……」


「え?! 」


「病院関係者が何とか踏みとどまらせようと、手を尽くして頑張ってくれたみたいですね。うん、きっとそう。事故の状況を知って、この病院の中に残されていた、あなたのカルテと身体を見れば、誰でもそう思って当たり前なはずなんだから! こうなる可能性だって、最初から無くはなかったんですよ。それにしても、ああ、本当によかった! 早くその扉に……! 」


 俺は椅子を蹴飛ばすような勢いで、思わず立ち上がった。


「でも少し力が弱いみたい、私が助けますから、早くその扉から外へ出て下さい! 」

「本当に戻れるのか?! 」


 俺の言葉に、ほっとしたように女が大きく頷いて見せた。


 性格がきつくて強そうなギャルではない、普通の優しそうな女の子の顔に見えた。

 気が緩んで本当の素顔が出たのかもしれない。

 少しの変化でそんな風に感じてしまったのは、ただ俺が単純すぎるせいなのかもしれないが。


 最初から、この様子だったなら、理系な学校を出て、職場も男ばかりで出会いもなくて、環境的に女の子に全く免疫が無い、俺は惚れてたのかもしれないのになぁ、惜しいことをした、なんて別れ際の今になって、何となく思った。


 元の身体に戻った後は、もう二度と、俺は彼女には会えないんだろう。

 だからこそ、余計にそう思った。


「災い転じて何とやらですよー。他のところだと相談室も、建物の立て直しに伴って、何処ももう電子化されちゃってますから、やろうったってなかなかごまかせないんですけど、ここならまだアナログなまんまだから、改ざんだってやろうと思えば出来ちゃうし! さ、早く行っちゃって下さいねー」


「そんな風なんだ」

「そんな風なんですよ。何でもかんでも電子化すると、便利だけどやりにくくなって、そのせいで難しいことも、時にはあるんですよー」


「そうか」


「斉木さんって、生まれた時から、何歳まで生きられるか分からないって言われてて、身体中が手術の傷痕だらけの、あなたがせっかく元気で暮らせるようになったんだから、もう誰かを庇って、車にはねられたりしちゃ、絶対駄目なんですからね? ちゃんと生きててください。私との約束ですからね! 」


「知ってたの? 」


「知ってますって、そりゃ。だから、斉木さんが部屋に入ってくる前には、どうすればいいか分からなくて、緊張で心臓がバクバクしてて、やたらテンションが変に高くなっちゃったんですよ、私! 」


 さっきのあれをテンション高いだけで済ます気か。


「あはは。ごめん、俺の昔の子供の頃を知ってる人じゃないと、外から見ただけだと、今は誰も気が付いてなんかくれないから、分かってもらえてよかったよ。なんだかんだで心配してくれていたんだね、ありがとう」


「お礼なんて言わなくていいですから、早く行ってください! せっかく開いた帰り道が、本当に消えて無くなっちゃいますよ! 」


「最後にひとつだけ……名前、まだ聞いてなかったから、教えてくれないか? 」


(あおい)です。戻ったら、ここで起きたことなんて、全部忘れちゃうかもしれませんけどねー」


「俺は忘れないでいるつもりだけど? 」


「あ、そうだ! もうひとつだけ! 本当は斉木さんのような人が、元の身体に戻るのって、原則禁止事項なんですよ! だから、ここでのことは覚えていたとしても、私達ふたりだけの秘密ということで、今後もずっと黙っていて下さいね! 」


 最後にそう言った、葵の言葉を聞いて、俺のこの臨死体験のような、短くもめまぐるしい怒涛の時間はようやく終わった。







 葵の言葉に反して、あの部屋での記憶は、そのまま消えることなく、病院のベットの上で目を覚ました、俺の中に残ったままになっていた。


 奇跡的に事故としての目立った後遺症は特に無く、俺はしばらくの入院後、また元の生活に戻った。

 あの時助けた、子供の親には、後に随分感謝された。

 だからと言っても、俺の人生が何かが特別に劇的に変わるわけでもなく、今も相変わらずな大して変わり映えのないような、地味な生活を続けている。


 少し前にあの病院の前を通りがかったら、既に老朽化しすぎていた建物の取り壊しが始まっていて、何台もの解体用の重機が唸りを上げていた。


 それを見て、俺がもう一度、何処かで葵と会えるかもしれないと感じていた、最後に残されていたなけなしの繋がりは、もう完全に消えて無くなってしまったんだな、と何となく淋しく思った。


 今年、俺は親と同居している古い家の庭に、立葵(たちあおい)の花を植えた。

 葵が花の名前であると知ったのは、少し前のことだった。


 ホームセンターの園芸コーナーで買ってきた時には、小さくて頼りなさそうに見えた、立葵の苗は、夏の日差しの中でぐいぐい伸びて、今では家の塀よりも高くなりそうな程の大きさにまでなっている。


 何処でもこっちの都合も考えずに、幅をきかせようとするのが、何となく似ているような気がするのは気のせいか?


 センチメンタルでもないけれど、その立葵への毎朝の水やりが、俺の日課になった。


 今朝も乱反射するような日差しが眩しい。


 さあ出かけようか。


 前を向いて、色々な人が繋いでくれた、大切な自分の時間を生きていく為に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ