全世界の男の夢☆
「動物園の人気者が、そんなに嫌なんですかぁ? 」
露骨に不満げな言葉を、女が漏らす。
人気者が嫌なんじゃなく、ネズミの方が嫌なんだと、この期に及んで、何故分からないというのか。
「そうそう、この資料によるとですねー」
「……その資料によると、何ですか? 」
「その斉木さんがなる予定のカピバラさんは、国内の三分の二のカピバラを生み出して、先月、惜しまれながらも、老衰で死んだカピバラの最後の子供の一匹らしいんですよねー。これはまさに選ばれしカピバラの中の、真のカピバラってことじゃないですかー。これを選ばない手は無いですよ! 私が前に飼ってた、ペットのハムスターより寿命長いし! 」
寿命の問題じゃねーよ!
ファイルを叩きつけながら、意味の分からないことを熱弁するのはやめろ。
まるで、どこぞのRPGの伝説の勇者みたいな謳い文句だが、そもそもカピバラの血統には善し悪しが存在するのかという、別の問題もある。
それにどうでもいいが、死ぬ間際まで子作りし続けた、そのカピバラの繁殖力、半端ねえな!
というか、今更だが、この言語感覚がおそろしくおかしい女は、適当に何かしらの今後の行先を、俺に押し付けて、自分の仕事を早く終わらせたいだけなんじゃないのか?
あれ、気が付かない方がいいところに、俺、気が付いちゃった?
「その上ですねー。フフ、実はもっといい情報があるんですよ? 聞きたくないですかー? 聞かないと絶対、後で後悔しますよ? 」
聞いても絶対後悔する話ですよね? 分かります。
「なぁんと、今なら動物園にいるカピバラさんは、斉木さん以外はメスばっかりらしいんですよー、これってよりどりみどりな、いわゆるハーレムってやつじゃないですか?! んー、これぞ全世界の男の夢☆」
とうとう俺は自分の顔面を目の前の会議室用の机に、衝動的に叩きつけたくなった。
いらないです、そんな拒否権の無い、獣臭そうなハーレム。
「……だから他に選択肢があるなら、最低限人間にして下さい。ネズミは嫌です」
「もう、何だかみるきぃってば、やたら注文が多いなあ、ぶつぶつ」
「ぶつぶつ言うのもやめて下さい。そして、俺はみるきぃではありません。もっとまじめにちゃんと考えてもらわないと」
なんか俺、ものすごい正論言ってないか?
「……何だか池で死んでる鮒みたいな目ですねー。何が不満なんですか? 若いんだから、もっと未来に夢と希望を持たないと」
誰が俺の夢と希望を粉砕してると思ってるんですか?
「あの、聞いてます? 俺の話」
そう言った俺の前で、一向に解決の糸口がみえてこなさそうな、このやりとりに業を煮やしたのか、おもむろに女がちらっとこっちを見たかと思うと、明らかに俺の視線を避けるようにして、片手で手元を覆いながら、側にあったペンでファイルから出した紙に、何かを書きかけたので、俺が迷わずそれをひったくった。
「もー、急に何するんですかー! 」
「……今、ひらがなで、俺の名前の横の欄に、『かぴばら』って書こうとしましたよね? 」
俺が最大限の威圧感を前面に押し出しながら言うと、女が顔を背けつつ、露骨に舌打ちした。
一連の反応を見る限り、俺が奪ったこの紙に何か書くと、その通りになるようだ。
危ねえ、本当にカピバラになるところだったじゃねえか。
俺の危機管理意識も伊達じゃねえな。
「フフン、斉木さん、あなたは今、勝ったつもりでいるんでしょうけど、その紙はこっちのファイルの中に、まだ何枚もあるんですよ? だからあなたの運命が、これからどうコンバートされていくかについては、私の気持ちひとつってことを忘れないで下さいね? 」
戦隊物の女将軍か、圧迫面接の面接官のような、不敵な黒い笑いを浮かべながら、女が余裕ぶってそう言ったので、俺は勢いよく立ち上がって、今度はファイルの方も無理やり強奪した。
外見がいかにクール系美人といえども、意外と動きの方はどんくさい相手だったので、これも、男の俺にとっては訳も無かった。
「あーーーーーー!!! もー、だからさっきから何するんですか?! 返して下さいって!! 正義の法の下に訴えちゃいますからね、覚悟して下さいね?! 」
ほー、存在自体な治外法権みたいな人間が、あえて法を語る気か。
俺より背の低い女が、ぴょんぴょん跳ねながら、ファイルを何とか取り返そうとしてきたが、立ったままの俺は高く手をあげて、それをさせないようにした。
「俺をいきなりカピバラにしようとしている人に、こんな危ないものを返すわけないでしょう?! 」
「やだなぁ、それはほんの出来心ですよ☆」
くそ、テンションがもう元に戻りやがった。




