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主任と私  作者: まあく
58/60

58.決戦は土曜日

「猪野さん」

「お-、長峰さん。なに?」

「今日は月末です。経費の精算は明日の午前中までに必ずお願いします」

「うん、分かって……」

「明日の午前中まで。いいですね?」

「……はい」


 突撃くんが目を瞬かせる。


「志保」

「はい!」

「私がミスしないように、しっかり見張っておいてね」

「えっと……」

「頼んだわよ」

「わ、分かりました」


 請求処理をしながら、後輩に無茶振りをする。


「長峰さん、何かあったの?」

「私にも分かりません」

「いやいや、絶対何かあったでしょ」

「だから知らないですって」


 ポジティブくんと志保の会話も完全スルー。今の私には雑音でしかない。

 決戦は土曜日。それまでの平日を、私は鬼気迫る表情で過ごした。


 少しでも気を抜けば気持ちが萎んでしまう。

 少しでも油断すれば、決心が鈍ってしまう。

 そんな危機感が私を鬼にした。


 月初恒例、秘密の資料作りの後、部長が私に言った。


「長峰くん、今度何かご馳走するから……」

「結構です」


 この後しばらく部長が落ち込んでいたが、それを気にする余裕も私にはなかった。

 周囲を怯ませ、自分を奮い立たせながらその週が過ぎていく。

 そして、ついに土曜日がやってきた。


 買い物デートの時と同じ場所で、私は主任を待っていた。ただし、時刻は夕方にしてもらっている。

 理由は単純。明るい場所で主任に向き合う自信がなかったからだ。

 戦場に選んだのは、前回行くことができなかった公園。ここから向かえばちょうど暗くなる頃に着くはず。適度に人もいると思うので、沈黙をごまかすのにも都合がいい。

 服装には、スーツを選んだ。戦う服と言えばスーツだと思ったからだ。

 就職活動で使っていたリクルートスーツではなく、グレーのパンツスーツ。代官産業にお詫びに行った時に着ていたものだ。

 主任はラフな格好で来ると思うので、当然チグハグにはなるが、そこは目を瞑ることにする。私の戦意高揚が優先だ。

 作戦は、とくにない。突撃くんとポジティブくんを見習って、猪のように前に進むのみ。

 時計を見れば、約束の時刻まで十分ちょっと。主任のことだから絶対早く来るはずだ。

 心臓が早鐘を打ち出す。手に汗が滲む。

 まだ顔も見ていないのに、私の緊張は高まっていった。


 だが。


 時間になっても主任は来なかった。

 五分待っても、十分待っても来なかった。


 まさかのドタキャン?


 これは完全に想定外だ。主任を待つことになるなんて考えもしなかった。

 三十秒おきにスマホを見る。

 着信がないか確認する。

 緊張していた私の心に、今度は不安が忍び寄ってきた。


 主任に何かあったんじゃ……


 心配し始めた私の耳に、隣のグループの会話が飛び込んできた。


「タカシ遅れるって。人身事故で電車が止まってるらしい」

「そうなの?」

「じゃあ先に行ってる?」


 電車が遅れているのか。それなら仕方ない。

 そう思ったのだが、それでも不安は拭えない。

 一分待ち、二分待ち、三分我慢したところで、私はスマホのメッセージアプリを立ち上げた。

 その時。


「ごめん!」


 目の前で大きな声がした。

 びっくりして顔を上げる私の前に、荒い息をした主任がいた。


「出るのが遅れて、おまけに人身事故で電車が動かなかったから、隣の駅から走ってきた」


 走ってきた!?


 驚く私の目に映る主任は、なんとスーツを着ていた。しかもネクタイまで締めている。


「もしかして、仕事だったんですか?」

「いや、そうじゃないんだが」


 仕事じゃない?

 じゃあどうして?


 首を傾げる私に、思い掛けない答えが返ってきた。


「長峰と、ちゃんと話さなきゃって思ったんだ。それで、ちゃんと話すなら、その、スーツの方がいいのかなって……」


 主任が目をそらす。


「でも、長峰はスーツなんて着てこないだろうし、俺だけスーツはおかしいし。そんなことを考えていたら、家を出るのが遅くなってしまった」


 遅れた理由がそれ?


 まさかの理由を聞いて、私は何だか腹が立った。


「行きますよ!」


 鋭く言って、クルリと向きを変える。

 慌ててついてくる主任に、前を向いたまま言った。


「服装なんて何でもいいじゃないですか」

「ごめん。でも、長峰も……」

「私のことはどうでもいいです!」


 言葉の途中で黙らせる。


「それと、遅れるのは仕方ないとして、どうして連絡をくれなかったんですか」

「ごめん」

「事前連絡は社会人の基本です。だめじゃないですか」

「ごめん」


 容赦なく主任を叱り付ける。

 不機嫌を背中に貼り付けたまま、私は歩き続けた。


 駅のロータリーから繁華街へ。

 人混みを抜けて川沿いの道へ。


 靴音を鳴らして私が歩く。

 元気のない靴音がついてくる。


 十五分も歩いた頃には、すでに腹は立っていなかった。

 反対に、腹を立てたことを後悔していた。


 それでも私は顔を上げて歩いた。

 自分を鼓舞するために、目的地を目指して、主任の前を早足で歩いていった。


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