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主任と私  作者: まあく
51/60

51.告白

 展望台に続く道はよく整備されていて、昼間の登山道よりずっと歩きやすかった。二人並んで歩けるくらいの幅はあるし、途中にはベンチもある。

 だが、電灯の類いは一切ないので、林の中の道は暗かった。空は晴れているはずなのだが、生い茂る木々が月や星の明かりを遮っていて、薄暗いどころの話ではない。まさに懐中電灯の灯りだけが頼りだ。

 緩やかな上り坂を歩き始めておよそ五分。息が上がっているわけでもないのに、私の心臓はさっきからドキドキしっぱなしだった。


 主任と二人きりのナイトハイキング。

 これが緊張せずにいられようか。


 さっきから主任は何も言わない。黙々と展望台を目指している。

 その沈黙が、私には耐えられなかった。


 何か話題は……


 などと考えていたからだろう。私は、小さな段差につまずいて前につんのめってしまった。

 瞬間。


「大丈夫か?」


 力強い腕が私を支える。


「だ、大丈夫です!」


 慌てて答えて私は体を起こした。

 すると、私から離れた腕が、今度は目の前に差し出された。


「足下が見えにくい。俺に掴まれ」


 私は目を丸くした。


「いえ、そこまでしていただかなくても……」

「いいから」


 主任は引かなかった。


「じゃあ、すみません」


 諦めて、私はその腕を掴んだ。


「ちゃんと掴まっていろ」


 前を向いて主任が歩き始めた。


 右手に懐中電灯。

 左手に、主任の腕。


 ドキドキが加速する。

 さっきまで少し肌寒かったのに、今は体が火照っている。


 あとどれくらいで着くのだろうか。

 あとどれくらい、こうしていられるのだろうか。


 苦しくなって、私がうつむく。

 その時、ふいに主任の声がした。


「長峰、ありがとな」

「え?」


 顔を上げて主任を見る。


「長峰のおかげで、こんなに楽しい時間を過ごすことができた」

「いえ……」


 私は曖昧に返事をした。

 楽しいと言いながら、主任の声はどこか寂しげだ。


「会社に入ってからは、ほとんど働きづめだった。遊んでる余裕なんてなかったし、遊んでる場合じゃないって思ってた」


 突然始まった話に首を傾げるが、今は話し掛けてはいけない気がする。


「それは今でも変わらないし、これからも変わらないだろう。だけど」


 前を向いていた主任が視線を落とす。

 そして、蚊の鳴くような、とても弱々しい声で言った。


「これからも、時々でいいから、こうやってキャンプができたらいいのにな」


 それはキャンプを楽しんでいる人の声ではなかった。

 あの時と同じだ。買い物の後に寄ったカフェで、窓越しに外を眺め、頬杖をついていたあの時。

 苦しそうで、つらそうで、泣きそうで。

 

 そう思った途端、私は大きな声を出していた。


「何を言ってるんですか! 主任はこれからもキャンプに来るんです!」


 主任の足が止まった。


「私が何度でも誘います。イヤとは言わせません。絶対に来て頂きます!」


 驚いて主任が振り向く。


「私に火のおこし方を教えてください。飯ごうでご飯を炊いてみせてください。山の果物を取ってきてください。私の知らないことを教えてください」


 主任が目を見開く。

 その目を強く見つめて私が言った。


「主任がたくさん働くのには、きっと理由があるんでしょう。だから、残業も休日出勤も止めません。サービス残業も、仕方がないので目を瞑ります」


 主任の腕を強く握る。


「でも、仕事だけの人生なんて寂しすぎます。主任には、仕事以外のことにも目を向けてほしいんです」


 握った腕を引き寄せる。


「もっと自由に生きてほしいんです。もっと毎日を楽しんでほしいんです」


 強く主任を見つめ、その腕をさらに引き寄せながら、想いのすべてを言葉に乗せて、私が声を響かせた。


「主任には、ずっとずっと笑っていてほしいんです!」


 必死に訴える私を主任が見つめる。

 大きく開いたその目で見つめ続ける。

 その口許が、緩んだ。


「ありがとな」


 穏やかに主任が微笑んだ。


「これからも、よろしく頼む」


 たしかに主任は笑っていた。

 でも、その顔はやっぱり寂しげだ。

 だから、私は全力で笑った。


「はい、お任せ下さい!」


 そして私は前を向く。


「まずは展望台です。レッツゴーです!」


 掴んでいた腕を放し、主任の手を握り直すと、その手を引っ張って私は歩き出した。

 引っ張られながら、主任が言う。


「ごめん」


 何のことだか分からない。

 分からないけど、今はそれを確かめる気もない。

 小さな声を無視して私は歩いた。


 きっと私の知らない主任がいるのだ。

 職場では見せない、キャンプでも見せることのない主任がいるのだ。

 それでもいいと、私は思った。

 それを知っても、知らないままでも、そんなことはどうでもいい。


 だって私は、主任のことが好きなのだから。


 ぼんやりしていた気持ちが明確になる。

 想いが形をなしていく。


 この人と一緒にいたい。

 この人といろいろなところに行ってみたい。

 この人のことを、守りたい。


 とても不思議な気持ちだった。

 不思議と私は嬉しくなった。


 その時、突然視界が開けた。

 坂を登り切り、林を抜けたその先に、それはあった。


「主任!」


 手を引いたまま私は走った。


「お、おい」


 慌てる主任をぐいぐい引っ張る。

 そして私たちは辿り着いた。


 遠くに広がる街の灯り。

 頭上で煌めく満天の星。


 隣で主任が息を呑む。

 私が呼吸を整える。


 想いが込み上げてきた。

 それが体中から溢れ出すのを感じた。


 心のままに、私は言った。

 隣を向き、その顔を見上げながら、自分でも驚くほど自然に言った。


「主任。私は、あなたのことが好きです」


 風景が輝いていた。

 心が光で満ちていた。


 穏やかな気持ちで答えを待つ。

 やがて主任が、私から目をそらして言った。


「ごめん」


 一瞬で輝きが消えた。

 街の灯りも星の光も、何もかもが見えなくなった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です(^^) キャンプに来てから皆で和気あいあいとしていて、夜に寄り添って歩いていい雰囲気出しまくってたのに、「ごめん」×2ですか!? そういえば、前に買い物に誘った時も最初は…
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