50.線香花火と触れ合う肩
結論から言うと、ご飯はなくて正解だった。締めの焼きそばを食べ終えたポジティブくんが、キャンプチェアに埋もれて天を仰ぐ。
「もう無理だー」
私もお腹いっぱいだ。たぶん、ここ数年で一番食べたと思う。
少し食休みがしたいところだったが、散らかったテーブルをそのままにしておくのは性に合わない。おまけに、鉄板の焦げを主任がこそげ落とし始めている。
やるしかない!
気合いを入れて私も動き出した。
同じく動き出した志保に私が聞く。
「まだマシュマロあるけど、食べる?」
「今はやめときます」
「今はってことは?」
「夜食に食べます」
さすが最年少、異次元の胃袋だ。
動けないポジティブくんに火の番を任せ、残りの三人で片付けをする。それが終わる頃には、ポジティブくんの瞼は完全に閉じていた。
「オセロのリベンジがしたかったのに」
志保が文句を言うが、ポジティブくんはピクリとも動かない。
気持ちよさそうなその顔を見ながら私が言った。
「そう言えば、前江さんはどんな遊び道具を持ってきたんだろう」
薪を火にくべながら志保が答える。
「何とかっていう、ヨーロッパで流行ってるボードゲームらしいですよ」
「ボードゲーム?」
フリスビーとかトランプとか、ポジティブくんが持ってくるならそういうものだと思っていた。
ヨーロッパのボードゲームなんていう珍しいものを持っていたり、オセロで志保を圧倒したりと、このキャンプではポジティブくんの意外な一面を知ることができた。
これで仕事のミスがなくなれば、ポジティブくんを見る志保の目も変わるのではないだろうか。
などと考えていると、主任が私に聞いてきた。
「長峰は何を持ってきたんだ?」
「えっと……」
私は口ごもってしまった。私の持ってきたものは、四人の中でダントツに子供っぽかったからだ。
主任が答えを待つ。志保まで私を見つめる。
仕方なく、小さな声で私が答えた。
「線香花火、です」
このキャンプ場では手持ち花火が許されていた。それを知った途端、急にやってみたくなったのだ。それも、なぜか線香花火が。
恥ずかしそうにうつむく私の耳に、志保の声が飛び込んでくる。
「いいじゃないですか! 線香花火、やりましょう!」
びっくりする私に主任も言った。
「そうだな。久し振りにやってみるか」
予想外の反応に戸惑うが、二人ともやる気満々だ。
「じゃあ、持ってきますね」
「前江はどうする?」
「放っておきましょう。あとで写真だけ見せてあげます」
ぐっすり眠るポジティブくんを放置して、私たちは線香花火をすることになった。
荷物から少し離れ、焚き火を背にして三人で横並びにしゃがむ。
「大学の時のキャンプでも、花火やりましたよね」
「あの時は、もっと豪華だったけどね」
友達が持ってきた花火は、福引きで当たったという花火セット。打ち上げ系や吹き上がり系など、それはもうたくさんの種類が入っていた。キャンプファイヤーができる広場にそれを持っていって、一晩で全部使い切ったのだ。
「俺は、子供の時以来かもな」
主任が目を細めた。
「じゃあいきますよ」
志保がライターで火を点けていく。
線香花火の先に炎が灯った。
こよりが丸まって小さな火の球を作る。
それが小さな火花を散らし始めた。
パチパチ、パチパチ
鮮やかな光と微かな音。
きれいで、とても儚い。
その光と音は、人から言葉を奪う。
光が消えて、火の球がポトリと落ちるまで、誰も何も言わなかった。
「あ……」
「あ……」
私と主任が同時に声を上げた。
互いの顔を見て、互いに微笑む。
「日本人って感じだよな」
「そうですね」
志保が袋から花火を取り出した。
「もう一回どうぞ」
差し出された花火を私と主任が受け取った。
志保に火を点けてもらって、また沈黙する。
その時、志保がふいに動いた。
「前江さんに見せたいので、写真撮りますね」
そう言って前に回ると、スマホを構える。
「二人とも、もっと寄ってください」
言われて、私たちはちょっとずつ横に動いた。
少し動き過ぎて、互いの肩が触れる。
「あ、ごめん」
「いえ……」
慌てて離れるが、すかさず志保が言った。
「もっと寄らないと入りません」
志保が下がればいいだけとも思ったが、カメラマンに「寄って」と言われると、なぜか素直に従ってしまうから不思議だ。
主任と私がちょっとずつ動いた。
二人の肩がまた触れる。さっきよりずっと広い面積が触れ合っている。
「そのまま動かないでくださいね」
「えっと……」
主任が動かないので、私も動けない。
「はい、撮ります」
カシャ
画面を確認した志保が、とても満足そうに頷いた。
「お二人にもあとで送っておきますね!」
見たいような、見たくないような。
自分がいったいどんな顔で写っているのか、まるで想像がつかなかった。
線香花火を堪能した私たちは、腹ごなしも兼ねて、ここから十五分ほど登ったところにある展望台に向かうことにした。キャンプ場のスタッフお勧めの夜景スポットだ。
懐中電灯の準備をして、いざ出発、と思ったその時。
「私は前江さんを寝かしつけますので、お二人で行ってきてください」
「え?」
「ちゃんと写真を撮ってきてくださいね」
私の返事も聞かずに、志保がポジティブくんの体を揺すり始める。
「前江さん、起きてください」
「うー」
「歯を磨いてから寝ないと虫歯になっちゃいますよ」
「うー」
母親と小さな子どもみたいなやり取りを見ながら、主任が言った。
「えっと、じゃあ、行くか」
「そう、ですね」
主任の声がぎこちない。
私は急に緊張してきてしまった。
「笹山、悪いな」
「全然大丈夫です」
「ごめんね」
「お気になさらず」
手を振る志保に背を向けると、懐中電灯を握り締めて、私たちは暗い道を歩き始めた。




