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主任と私  作者: まあく
35/60

35.飛び出したものの

「長峰さん!?」


 お局様の声がひっくり返る。


「お、おぉ、長峰くんか」


 権藤さんが狼狽える。

 隣に人がいることは分かっていたはずなのに、その人間が目の前に現れることは考えていなかったらしい。


「久し振りだな。元気にしてたか?」


 取って付けたような言葉を無視して、私は全身で怒りをぶつけた。


「あなたたち、何か根拠があって言ってるんですか!? 松田部長のことも三上主任のことも、全部ねつ造で、全部デタラメですよね!」


 目を見開く二人に畳み掛ける。


「降格させられたのは、権藤さん、あなたが悪いことをしたからでしょう? それを主任に見付かって会社にバレた。逆恨みしているのは権藤さんの方じゃないですか!」


 頭が沸騰しそうだった。

 溢れ出る感情を言葉に載せて、私は二人を責め立てる。


「山下さんもどうかしてるんじゃないですか? ありもしない話をあちこちで言い触らして、何が楽しいんですか!」


 お局様が何かを言い掛けたが、私はそれを許さなかった。


「人間としてはだめだとか、裏で何をしてるか分からないとか言ってましたけど、それ、全部あなたたちのことですよね!」


 言い放って、私が二人を睨み付ける。

 そこに、私は突然不意打ちを食らった。


「長峰くん。きみは、人事異動の裏事情を誰に聞いたんだ?」

「それは……」


 咄嗟に答えられなかった。

 松田部長の名前を出すわけにはいかない。他言無用と約束したのだ。


「そ、そんなこと、どうでもいいじゃないですか」


 弱々しい反撃を聞いて、権藤さんがにやりと笑う。


「大方、松田か三上と言ったところだろう。で、長峰くん。きみに聞きたいんだが」


 権藤さんが足を組む。

 テーブルに片肘を載せ、余裕の表情で、私に言った。


「当事者の二人から聞いた話と、同じく当事者の俺の話。どちらが正しいのか、きみはどうやって判断するんだね?」


 何も返せなかった。

 その問いに、理路整然と答えるだけの用意はない。


「きみは松田や三上が正しいと思っている。俺や山下くんは、俺が正しいと思っている。で、長峰くん。きみがあの二人を正しいと思った理由を、きちんと明確に説明できるのか?」


 完全に形勢が逆転してしまった。

 相手は営業のプロ。その道を何十年と歩き続けて部長にまでなった人だ。

 不用意だった。感情に任せて飛び出したものの、事務を三年やっただけの私が、百戦錬磨の権藤さんに勝てるはずなかったのだ。


「どうした? さっきまでの勢いがないようだが」


 立っている私を、座っている権藤さんが見下したように見る。


「ほら、さっさと答えなさいよ!」


 お局様が勝ち誇ったように叫ぶ。


 悔しかった。

 悔しくて悔しくて、私の目から涙がこぼれた。


「女の涙は武器だと言うが、俺には通用しないからな」


 一切の容赦はない。

 獲物を狙う猛獣が私を追い詰める。


「まさか、泣いたら許されるなんて考えてないわよね」


 逃げ場はない。

 陰湿な声が私に絡みつく。


「早く答えてくれよ」

「答えなさいよ」


 すでに頭の中は真っ白だ。


 ただただ悔しかった。

 ただただ泣きたかった。


 誰か……


 私は願った。


 誰か助けて


 私は祈った。


 心はもう限界だ。消える直前の線香花火のように、微かな光を放つだけ。

 その光も消えた。

 真っ赤な輝きが色を失い、そして地面に……。


 ……その時。


「しっかりしろ」


 崩れ落ちる私を力強い腕が支える。

 驚いて私が顔を上げた。

 涙で滲む視界の中で、その人が言った。


「もう大丈夫だ」


 それを聞いて、私はまた泣いた。

 崩壊寸前だった私の心に、光が戻った。


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