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主任と私  作者: まあく
33/60

33.研修会

「そんなバカな!」


 ドラマかマンガでしか聞かないセリフを叫んで志保が立ち上がる。

 注目を浴びて、志保が慌てて腰を落とした。そして、今度は声を抑えて言う。


「本当に断られたんですか?」

「うん」


 うつむく私をじっと見ていた志保が、また立ち上がる。


「私、確かめてきます!」


 その腕を、私が掴んだ。


「やめて」

「でも」

「お願いだから」


 掴む手に力を込めた。

 志保が、ストンと腰を落とす。


「おかしいです。絶対おかしいです」


 呟き続ける志保に私が言う。


「いろいろありがとね。でも、大丈夫だから」


 顔を上げ、無理矢理笑って志保の肩を叩く。


「今は勤務時間中よ。さあ、仕事仕事」


 私がキーボードを叩き始めた。

 なるべく周りを見ないよう、画面に集中しながら、私はその日を乗り切った。


 それから数日は、私よりも志保の方が落ち込んでいた。あまりに激しく落ち込むので、逆に私は落ち着くことができた気がする。

 主任との関係は、とくに変わらなかった。当然と言えば当然だ。私が買い物に誘い、主任がそれを断った。ただそれだけのことなのだから。


 いつも通りの日常が過ぎていく。

 志保にも笑顔が戻った。

 私も普通に眠れるようになった。

 そんなある日、その事件は起きた。


 うちの会社では、年に一度、全社員参加の研修会が開催される。内容は、コンプライアンス遵守やハラスメント防止など。

 これまでは講義形式の退屈なもので、会場に行けない社員はオンラインで画面を眺めているだけ。それもできない社員は、録画された講義を会社や自宅で見るだけだった。それが、今年からはオンライン受講なしの全員出席、かつグループディスカッションが取り入れられることになったのだ。

 営業マンたちは面倒になったと騒いでいたが、前部長の不正を知る私としては、その通達に頷くしかなかった。

 全員出席といっても、一度に全員が集まるわけではない。地域ごとに、決められた日程に従って決められた会場で研修を受けることになる。本社勤務の私は、本社の会議室に行くだけなので楽ちんだ。自分に割り振られた日程を確認して、私は手帳にそれを書き込んだ。

 その時、ふと気になることがあって日程表を見直してみた。続いて、社内システムで”ある社員”の所属を確認する。そして私は、手帳に自身とは違う研修予定日を書き込んだ。何となくその日は気を付けなければならないと思ったのだ。


 そして、その日が来た。


 勘のいい営業マンたちは朝から外出していた。主任もその一人だ。何も考えていないように見える突撃くんとポジティブくんでさえ、昼前には出掛けていった。

 松田部長にいたっては、何と休みを取っている。もっとも、部長の休みは体調不良なので仕方がない。ここ数日ずっとつらそうだった。

 そういう訳で、今フロアにいるのは私と志保の二人だけだ。

 研修開始は十三時から。終わりは十六時。会議室は、営業部のフロアの一つ下。研修中は大丈夫だと思うので、気を付けるべきはその前後となる。


「由香先輩、お昼はどうします?」


 志保に聞かれた私は、引き出しを少し開けて答えた。


「ごめん、今日はお弁当持ってきてるんだ」

「そうなんですか? 珍しいですね」


 志保はちょっと驚いていたが、それほど気に留める様子もなく立ち上がる。


「じゃあ一人で行ってきます」

「ごめんね」


 志保を見送ると、外線電話を留守電にした後、私はお弁当を持って打ち合わせブースへと向かった。

 エレベータも一階のロビーも、会社の周りも危険だ。今日は定時になるまでこのフロアから出るつもりはなかった。

 お昼の打ち合わせブースは、総務や経理の女性社員たちがランチスペースとして時々使っている。私と志保も、雨の日などには使うことがあった。

 誰かと顔を合わせるのも気まずいので、早くどこかの一室に籠もってしまいたい。

 とくに。


「お局様の顔は絶対見たくないもんね」


 小さく呟きながら、四つあるブースを見る。

 全部の扉が開いていたので、私は一番奥のブースに入り、札を”使用中”にして扉を閉めた。社員だけの時は”使用中”、来客の時は”来客中”にするのがルールだ。


「ふぅ」


 べつにやましいことをしている訳ではないのに、何となく疲れた。ため息をつきながら、私はお弁当のフタを開ける。

 その時。


「なんだ、誰もいないのか」


 突然、フロアの入り口付近から聞き覚えのある声がした。

 続けて。


「一人もいないなんて、不用心ですよね」


 これまた聞き覚えのある声。

 どちらの声も、遠くにいてさえ耳に飛び込んでくる大声だ。


「久し振りに激励してやろうと思ったのに、残念だな」

「仕方ありません。とりあえず、お昼ご飯にしましょう」


 声が近付いてくる。


「最悪だわ……」


 お弁当のフタを閉じながら、私は心の底から自分の運のなさを嘆いた。


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