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主任と私  作者: まあく
32/60

32.待ち伏せ

 その日は比較的早い時刻に主任が帰ってきた。

 相変わらずの早足でフロアを横断して自分の席に座ると、パソコンを立ち上げ、それを待つ間に鞄から書類を取り出して整理を始める。整理が終わると、今度は課長席に行って何かを話し始めた。深刻な様子ではないので、たぶん今日の報告をしているのだろう。

 課長が笑い、主任が軽く頭を下げる。

 そして主任は、自席を通り過ぎて廊下へと向かった。

 それを見た私が、決意を込めて席を立つ。


「行ってくる!」

「あ、はい」


 驚く志保を見向きもせずに、私は廊下に向かってまっしぐらに歩いて行った。

 主任の歩く速度は速い。私が一生懸命歩いても、トイレに入っていく後ろ姿を見るのがやっとだ。

 でも、今回はそれでいい。トイレに入ったことが確認できればいいのだ。

 私は、トイレから少し離れた位置で待機した。スマホを見る振りをしながら、主任が出てくるのをひたすら待った。

 やがて。


「おっ、長峰か」


 ちょっとびっくりした顔で主任が言う。


「お疲れ様です」


 固い表情で私が言う。

 立ち止まった主任に私が近付いていった。


「主任、お願いがあるのですが」

「なんだ?」


 私の緊張を察知して、主任が身構える。


「じつは、買い物にお付き合いいただけたらと思いまして」

「買い物?」


 意表を突かれたように主任が目を瞬かせた。


「今年から社会人になった弟に、誕生日プレゼントを買いたいんです。それで、どうせなら仕事で役に立つものをと思いまして」


 ここ数日ずっと練習していたセリフを一気に吐き出す。


「それで、主任のご意見を伺いながら、いろいろ見てみたいと思うのですが」


 ものすごく頑張って主任の目を見続ける。


「もしよろしければ、主任のお時間を頂くことはできますでしょうか」


 長いセリフを無事言い終えた。

 志保の見立てが正しいなら、主任はこのお願いを断らない。

 この後は、弟の誕生日はいつなのかとか、買い物に行くなら何曜日がいいのかとか、そんな問答を経て日取りを決めればいいはず。


 主任が目を見開く。

 私が答えを待つ。


 主任が目をふせる。

 私が不安になる。


 主任が、顔を背ける。

 私の心臓が激しく鼓動を打ち始める。


 そして私は、答えを聞いた。


「ごめん。俺、そういうの、分からないんだ」


 想定外の言葉に私は動揺した。


「そ、そうなんですね。すみません、変なお願いをしてしまって」


 それだけ言って、私は踵を返した。

 主任が何か言い掛けた気がしたが、それを無視して逃げるようにそこから離れる。そのまま廊下を突き進んだ私は、階段に続く扉を開けた。そして、別の階のトイレへと向かう。

 気持ちが落ち着くまで、私はそこに籠もった。化粧ポーチを持って来なかったことを後悔しながら、私はしばらくの間、そこでじっとしていた。


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