30.ラザニアは熱いんです
「じつはですね、私、最近三上主任と時々会ってるんです」
「そうなの?」
驚いた振りをしながら私が答えた。
このカフェで一回。紳士物のお店で一回。それ以外にも、きっと何度も会っているのだろう。
「それってデート?」
なるべくさらっと言ってみた。
すると。
「やだぁ。そんなはずないじゃないですか」
「……え?」
今度のは”振り”ではなかった。
本当に驚いて、私の口が半開きになる。
「私、三上主任から相談されてたんですよ」
「志保に、主任が相談?」
まったく状況が掴めない。
もと一課のエースで、現在三十才。志保より経験も年齢も上の主任が、志保に相談?
「ここで問題です。私は、何について相談されていたでしょうか?」
ニコニコ顔で志保が聞いてきた。
よく回らない頭で私は考える。
考えてはみたものの、本当に分からない。
「降参。答えを教えて」
両手を挙げておどけてみせる。
そんな私を楽しそうに眺めた後、志保が身を乗り出して、囁くような声で言った。
「三上主任の相談。それは、由香先輩のことでした」
「私のこと?」
瞬間、私の中でいくつもの感情が同時に湧き起こる。
志保と主任が付き合っていなかったことの安堵。
私のことと言いながら、じつは志保が目当てなんじゃないかという疑心暗鬼。
そして、微かな期待。
交錯する感情を持て余す私に、志保が聞いた。
「私が入社する前は、営業事務って三人体制だったんですよね?」
「えっと、そうね」
私が入社した時、私の上には二人の先輩がいた。
一人はベテラン事務員で、私が一年目の時に体調を崩して辞めている。
もう一人は、とても元気な先輩で、私はこの人から仕事のほとんどを教わった。その先輩は、志保が入社する直前に寿退社している。
「一人減っただけでも大変なのに、今は新人の私と由香先輩の二人だけじゃないですか。だから、由香先輩が潰れてしまわないか心配だって、三上主任が言ってたんです」
私が目を見開く。
「新人のお前に相談するのは筋違いだって分かってる。でも、長峰が倒れたりするのだけは避けたい。だから、長峰が無理をしていないか見ていてほしいって」
相談内容は仕事のことだ。それなのに、志保の表情は、まるで恋愛話をしているかのよう。
キラキラの瞳にアテられて、私の心が騒ぎ始める。
「ほんとに筋違いですよね。由香先輩に直接言えばいいのに。って思ったから、主任にそう言ったんです。そしたら主任、何て言ったと思います?」
「……分からないわ」
「あいつは頑張り屋だから、俺が声を掛けたらもっと頑張ってしまう。それは絶対よくない結果につながる。そうなればお前にも負担が掛かる。管理者としては、そうならないようにしないといけない。そう言ったんです」
フワフワした頭で私は考えた。
主任の気遣いは、あくまで管理者としての気遣いなのだ。それはそれで凄く嬉しいけれど、これに浮かれてはいけない。
そうやって心を落ち着かせようとするが、あまり効果はなかった。
血液が全身を巡っていく。
体がぽかぽかし始める。
「私、ピンときました。これは絶対そうに違いないって。だから私、試してみたんです」
「試す?」
膨れ上がる想いを抑えて私が聞いた。
「この間、由香先輩と主任と課長の三人で外出したじゃないですか。これからも、先輩と主任が一緒に外出する機会があるかもしれないでしょう?」
「まあ、そうね」
「それをね、主任に言ったんです。これからも由香先輩と一緒に歩くことがあるなら、その鞄と靴は何とかした方がいいって」
鞄と靴。
ついさっきまでNGワードだったその単語が、今はまるきり逆の作用を引き起こす。
「そしたら主任、ものすごく慌てたんです。どうしたらいいかって、真面目な顔で聞いてくるんですよ」
「そ、そうなの?」
自分の声がちょっと上擦っているのが分かった。
「そうなんです。で、最終的に、私と一緒に買いに行くことになりました。主任の鞄と靴が新しくなったの、先輩気付いてました?」
志保が嬉しそうに言った。
「知らなかった」
とても苦しい嘘だった。
もうだめだ。
私の心は弾ける寸前。
「三上主任、由香先輩のことメチャクチャ意識してますよ。絶対脈ありです!」
志保の顔が紅潮している。
そしてたぶん、私の顔も。
「ちょっとケチなところはあるけど、まじめで誠実で仕事もできる。きっとそこそこ貯金もある。超優良物件だと、私思うんですけど」
「何言ってるのよ」
「私、知ってるんです。由香先輩が主任のこと意識してるって」
今度こそ、私の顔が真っ赤になった。
「そんなこと……」
「私、お二人のこと応援します。由香先輩には幸せになってほしいですから」
ここ数日の悩みは完全に消え去っていた。
新たに湧き上がってきたのは、恥ずかしくなるほど熱くて甘い想い。
ちょうどそこに、あのウェイターがやってくる。
「お待たせいたしました。ラザニアでこざいます」
食べ掛けのサラダを脇に避け、アツアツのラザニアが目の前に置かれた。
「ありがとうござます」
志保の笑顔に微笑みを返してウェイターが去って行った。
私が、ぼうっとしたままフォークを持つ。
その手を、志保ががっちりと掴んだ。
「由香先輩、ラザニアは熱いんです。ゆっくり食べてくださいね」
「う、うん。分かった」
志保には敵わない。何もかもお見通しだ。
「いただきます!」
志保が、フォークですくったラザニアにフゥフゥと息を吹き掛ける。冷ましたそれを、目を細めてパクリと食べる。
私も同じようにしてラザニアを口に運んだ
「美味しいですね!」
「うん」
うんとは答えたけれど、正直味は分からない。
とにかくやけどだけはしないように、私は慎重にラザニアを食べ続けた。




