20.反撃
「大変失礼ですが、あなたには、代官産業の購買部長としての自覚はあるのでしょうか」
「何だと!?」
購買部長の大きな声が響いた。
気持ち悪い笑みは消え、目は吊り上がり、顔が朱色に染まっている。
「貴様、もう一度言ってみろ!」
耳をつんざく大ボリュームに課長が縮み上がる。
その音圧を正面から受け止めて、主任が繰り返した。
「あなたには、代官産業の購買部長としての自覚があるのかと聞いたんです」
部長がもの凄い形相で睨む。
それを見つめ返して主任が続けた。
「代官産業と言えば、中堅の工作機械メーカーとして名が通っています。そのルーツは明治にまで遡ることができ、長きに渡ってこの国の産業を支えてきた、工作機械のパイオニアとも呼べるべき存在です」
「それがどうした」
怒りの表情はそのままに、だが音量だけは抑えて部長が問う。
「歴代社長の中には、工業会の会長を務めた方もいらっしゃいました。現社長も、理事に名を連ねているはずです」
「だから何だと言うんだ!」
少し下がった水温があっという間に沸点に達する。
対照的に、主任は静かなまま。
その主任が、鋭い一矢を放った。
「そんな立派な会社の購買部長が、ヤクザまがいの脅しをしたり、悪質クレーマーのような要求をしたりしていいのかと聞いているんです」
「なっ!?」
部長が絶句した。
「初めての請求でいきなりの失敗。お怒りになるのはごもっともです。弊社に対して値引きをしろと要求するのも、まあ有りでしょう」
静かだった声に、感情が交じり始める。
「ですが、わざわざ事務担当を呼びつけて、嫌味を言ったり威圧したり、挙げ句の果てには土下座を要求するなど、まともな人間がすることとは思えません」
部長が目を見開く。
「大きな体と大きな声。大きな目玉で上から見下ろし、強い言葉で相手を萎縮させ、自分の要求を押し通す。あなた、じつはカタギの人間ではないんじゃないですか?」
「な、何をバカなことを……」
部長が怯む。
主任の声が、一段強くなる。
「今回の一部始終は、社に戻って役員に報告します。それと、今週末に行われる工業会の懇親会には私も出席しますので、理事の皆さんに私からお話ししておきます。代官産業さんは、危ない人が役職についているとね」
「ちょ、ちょっと待て」
部長が焦る。
「そんなことをしたら、今後うちとの取引は……」
弱々しい反撃を、主任が一蹴した。
「だから何です?」
冷たく言い放った主任が、大きなため息をつく。
「歴史ある企業も、落ちるところまで落ちましたね。もはや品性の欠片もない」
部長の口がパクパクし出した。
「ちなみに私は、根も葉もない話などいたしません。弊社の役員や工業会の理事の皆さんに伝えるのは、この目で見て、この耳で聞いた事実のみです。どうぞご安心ください」
主任が立ち上がる。
「課長、帰りましょう。もうここにいる意味はないですから」
「あ、ああ」
真っ青になってしまった部長に一礼して、課長も立ち上がった。
「長峰、立てるか?」
「はい」
答えて私も椅子を引き、足にぐっと力を込める。
だが、極度の緊張は思った以上に体に影響を与えていたらしい。立ち上がった途端、体がぐらりと揺れた。
すると。
「大丈夫か?」
主任が、肩を抱くようにして支えてくれた。
「すみません」
主任に助けられて、私はどうにか歩き出す。
「では、失礼します」
言葉は丁寧だが、主任は部長を一瞥もしない。
ちらりと見ると、部長は中途半端に腰を浮かせた状態で、相変わらず口をパクパクさせていた。
その時、先方の担当者が素早く動いてドアを開けてくれる。
主任が小さく微笑んだ。
「ありがとうございます」
なぜか、担当者も小さく微笑んだ。
「いえ、こちらこそ」
不思議な会話を聞きながら、私たちは部屋を出た。
ドアが閉まると、中で部長が喚きだした。何を言っているのか分からないが、もの凄い興奮状態だ。
それを無視して主任が歩き出す。私を支えながらゆっくり進む。
まだ力は入らない。頭もうまく回っていない。主任が支えてくれなければ、歩くことさえままならない。
それなのに、私の中で、主任から離れたいという思いが強くなっていった。
体がとても熱かった。
体の中心が、とても熱かった。
人目が気になるとか恥ずかしいとかとは違う、よく分からない理由で体温がどんどん上昇していく。
少し進んだところで、耐えられなくなって私が言った。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
無理矢理笑って見せるが、主任は離れてくれない。
「本当に大丈夫か?」
「本当に大丈夫です」
私は、背筋を伸ばして自力で立ってみせた。
「そうか」
ようやく主任が離れてくれる。
私はホッとした。
同時に、残念だと思っている自分に気が付いた。
一人困惑する私に主任が言う。
「トイレ、平気か?」
「すみません。じゃあ、ちょっと行ってきます」
主任の気遣いを、私はありがたく受け入れた。
「ゆっくりでいいからな」
「はい」
トイレに向かいながら、私はそっと胸を押さえる。
息苦しさはなかった。鼓動もそれほど早くない。
だけど。
何なの、これ?
ジェットコースターから下りたばかりのフワフワした感覚。
あるいは、強烈な緊張が解けた後の気だるい感覚。
それらとも少し違う、奇妙で不思議な感覚に私は戸惑っていた。




