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主任と私  作者: まあく
20/60

20.反撃

「大変失礼ですが、あなたには、代官産業の購買部長としての自覚はあるのでしょうか」

「何だと!?」


 購買部長の大きな声が響いた。

 気持ち悪い笑みは消え、目は吊り上がり、顔が朱色に染まっている。


「貴様、もう一度言ってみろ!」


 耳をつんざく大ボリュームに課長が縮み上がる。

 その音圧を正面から受け止めて、主任が繰り返した。


「あなたには、代官産業の購買部長としての自覚があるのかと聞いたんです」


 部長がもの凄い形相で睨む。

 それを見つめ返して主任が続けた。


「代官産業と言えば、中堅の工作機械メーカーとして名が通っています。そのルーツは明治にまで遡ることができ、長きに渡ってこの国の産業を支えてきた、工作機械のパイオニアとも呼べるべき存在です」

「それがどうした」


 怒りの表情はそのままに、だが音量だけは抑えて部長が問う。


「歴代社長の中には、工業会の会長を務めた方もいらっしゃいました。現社長も、理事に名を連ねているはずです」

「だから何だと言うんだ!」


 少し下がった水温があっという間に沸点に達する。

 対照的に、主任は静かなまま。

 その主任が、鋭い一矢を放った。


「そんな立派な会社の購買部長が、ヤクザまがいの脅しをしたり、悪質クレーマーのような要求をしたりしていいのかと聞いているんです」

「なっ!?」


 部長が絶句した。


「初めての請求でいきなりの失敗。お怒りになるのはごもっともです。弊社に対して値引きをしろと要求するのも、まあ有りでしょう」


 静かだった声に、感情が交じり始める。


「ですが、わざわざ事務担当を呼びつけて、嫌味を言ったり威圧したり、挙げ句の果てには土下座を要求するなど、まともな人間がすることとは思えません」


 部長が目を見開く。


「大きな体と大きな声。大きな目玉で上から見下ろし、強い言葉で相手を萎縮させ、自分の要求を押し通す。あなた、じつはカタギの人間ではないんじゃないですか?」

「な、何をバカなことを……」


 部長が怯む。

 主任の声が、一段強くなる。


「今回の一部始終は、社に戻って役員に報告します。それと、今週末に行われる工業会の懇親会には私も出席しますので、理事の皆さんに私からお話ししておきます。代官産業さんは、危ない人が役職についているとね」

「ちょ、ちょっと待て」


 部長が焦る。


「そんなことをしたら、今後うちとの取引は……」


 弱々しい反撃を、主任が一蹴した。


「だから何です?」


 冷たく言い放った主任が、大きなため息をつく。


「歴史ある企業も、落ちるところまで落ちましたね。もはや品性の欠片もない」


 部長の口がパクパクし出した。


「ちなみに私は、根も葉もない話などいたしません。弊社の役員や工業会の理事の皆さんに伝えるのは、この目で見て、この耳で聞いた事実のみです。どうぞご安心ください」


 主任が立ち上がる。


「課長、帰りましょう。もうここにいる意味はないですから」

「あ、ああ」


 真っ青になってしまった部長に一礼して、課長も立ち上がった。


「長峰、立てるか?」

「はい」


 答えて私も椅子を引き、足にぐっと力を込める。

 だが、極度の緊張は思った以上に体に影響を与えていたらしい。立ち上がった途端、体がぐらりと揺れた。

 すると。


「大丈夫か?」


 主任が、肩を抱くようにして支えてくれた。


「すみません」


 主任に助けられて、私はどうにか歩き出す。


「では、失礼します」


 言葉は丁寧だが、主任は部長を一瞥もしない。

 ちらりと見ると、部長は中途半端に腰を浮かせた状態で、相変わらず口をパクパクさせていた。

 その時、先方の担当者が素早く動いてドアを開けてくれる。

 主任が小さく微笑んだ。


「ありがとうございます」


 なぜか、担当者も小さく微笑んだ。


「いえ、こちらこそ」


 不思議な会話を聞きながら、私たちは部屋を出た。


 ドアが閉まると、中で部長が喚きだした。何を言っているのか分からないが、もの凄い興奮状態だ。

 それを無視して主任が歩き出す。私を支えながらゆっくり進む。

 まだ力は入らない。頭もうまく回っていない。主任が支えてくれなければ、歩くことさえままならない。

 それなのに、私の中で、主任から離れたいという思いが強くなっていった。


 体がとても熱かった。

 体の中心が、とても熱かった。


 人目が気になるとか恥ずかしいとかとは違う、よく分からない理由で体温がどんどん上昇していく。

 少し進んだところで、耐えられなくなって私が言った。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」


 無理矢理笑って見せるが、主任は離れてくれない。


「本当に大丈夫か?」

「本当に大丈夫です」


 私は、背筋を伸ばして自力で立ってみせた。


「そうか」


 ようやく主任が離れてくれる。

 私はホッとした。

 同時に、残念だと思っている自分に気が付いた。

 一人困惑する私に主任が言う。


「トイレ、平気か?」

「すみません。じゃあ、ちょっと行ってきます」


 主任の気遣いを、私はありがたく受け入れた。


「ゆっくりでいいからな」

「はい」


 トイレに向かいながら、私はそっと胸を押さえる。

 息苦しさはなかった。鼓動もそれほど早くない。

 だけど。


 何なの、これ?


 ジェットコースターから下りたばかりのフワフワした感覚。

 あるいは、強烈な緊張が解けた後の気だるい感覚。

 それらとも少し違う、奇妙で不思議な感覚に私は戸惑っていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「志保」さんではなく「由香」さんの間違いです(ノД`)・゜・。 失礼しました! いや、もちろん志保さんにもお仕事頑張ってほしいですが……。 (何度もすいません)
[一言] 新作、いつも楽しませて頂いています(^^) これは惚れてしまいますね! それにしても、こういう購買部長みたいな人は外に出てほしくないですねヽ(`Д´)ノプンプン もう庭先に繋いでおいてほしい…
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