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主任と私  作者: まあく
15/60

15.お父さん

 定時と同時に志保が立ち上がる。


「お先に失礼します」

「あ、お疲れ様」


 ビックリする私を見向きもせずに、志保は更衣室へと向かっていった。

 こんなことは、志保が来て以来初めてだ。

 いつもなら、


「由香先輩、お仕事終わりそうですか?」


 とか、


「お手伝いできることありますか?」


 とか、


「よかったらご飯食べていきませんか?」


 などと必ず声を掛けてきたからだ。

 今日は私も早く帰れそうだったので、志保を誘って食事でもと思っていた。それが完全に肩すかしを食らってしまった。


「仕方ないわね」


 更衣室で顔を合わせるのも気まずかったので、少し時間を空けてから私も席を立つ。

 すると、更衣室に向かう途中でまたも珍しい出来事に遭遇した。


「長峰、お先」

「あ、お疲れ様です」


 なんと、あの三上主任が帰っていった。

 残業、休日出勤が当たり前の働き蜂。同僚の誘いを全て断り、仕事一筋で生きている人。

 その人が、定時を十五分しか過ぎていないこの時刻に帰って行く。


「今日って、何かあったっけ?」


 首を傾げながら、私は更衣室の扉を開けた。


 外で食べて帰る気満々だったのだが、一人でお店に入るのは気が引けた。なので、少しぶらぶらしてからお弁当を買って帰ることにした。

 ビルを出て、駅とは反対方向に向かう。この先の本屋さんで料理の本を見てみようと思ったのだ。

 大学に入学する頃、私は料理に目覚めた。とくに節約料理のレシピにとても興味がある。

 きっかけは、父の死だった。


 父は、私が大学に入学する直前に交通事故で亡くなっていた。横断歩道を渡っていた父に、信号無視した車が突っ込んできたのだ。

 事故を起こした相手は、父と同年代の男性。車は、父を轢いた後も走り続けてそのまま壁に激突。その男性も亡くなった。

 目撃者によると、交差点に侵入する前から男性は意識を失っていたらしい。二つの命が失われるというむごい事故だった。


 その不幸な事故に、いくつもの不運が重なる。


 事故の相手は自営業だったが、経営が不振で、何ヶ月ものあいだ働きづめだったとのこと。借金も膨らんでいて、生活は非常に苦しかったようだ。

 そのため、自動車保険は最低限のものしか入っていなかった。その保険から賠償金が支払われたのだが、総額にはほど遠い金額となってしまった。


 そして、じつは父も似たような状況だったのだ。

 相手同様、父も自営業だった。それがうまくいっておらず、大きな借金を抱えていた。その事実を、私は父が亡くなって初めて知った。体が丈夫とはいえない母が、体調不良を押してパートをしていた理由もこの時分かった。

 父の借金は、賠償金を充てることでどうにか解消できた。しかし、住んでいたマンションは賃貸で、資産と呼べるものはほとんどない。おまけに生命保険も解約していたので、死亡保険金すらない。保険料さえ払えないほど、我が家の家計は苦しかったのだ。

 両親は二人とも早くに親を亡くしていて、親戚も少ない。私たち家族は、頼れる人もなく、余力もない状態で生きていくことになったのだった。


 大きな悲しみと大きな不安。それをもたらした相手を、私は恨んだ。

 わざと事故を起こした訳ではないし、相手だって亡くなっているのだ。死者を責めても意味がない。前を向いて歩いて行くしかない。

 そう思うように努力したが、やはりそれは難しかった。

 父の葬儀の時、相手の家族が詫びに来たが、私は会わなかった。会えば罵声を浴びせていたか、もしかすると掴み掛かっていたかもしれない。あの時の私は、悲しみと憎しみの中でもがき苦しんでいた。


 ただ、それが母に大きな負担を強いることになっていたとは思う。母だってつらかったに違いないのに、事故の対応も様々な手続きも、全部母にやらせてしまった。

 未成年だったとはいえ、私にだって出来ることはあったはずなのだ。それなのに、私は泣いてばかりで何の役にも立たなかった。当時のことを思い返す度に、私はそのことを後悔するのだった。


 葬儀が終わると、母と私、弟の三人は、小さなアパートに引っ越した。マンションの家賃が払えなくなったからだ。

 家賃は減ったが、それでも生活が苦しくて、母はパートを増やした。母にかわって、私が家事の多くを担うことになった。

 その春から、私は大学に通うことになっていた。しかも私立大学だ。前期の授業料は納入済みだったが、後期の授業料や、それ以降の学費が払えるとは思えない。

 弟は今年から高校生。公立高校だから学費は高くないが、それすら今の我が家には厳しいはず。私が大学に行ってる場合じゃない。


 入学は辞退しよう


 私は決意し、それを母に伝えた。

 すると、思い掛けない答えが返ってきた。


「学費は何とかするから、大学には行きなさい」


 本当に大丈夫なのかと何度も聞いたが、その度に母は大丈夫だと答える。

 結局私は、母を信じて大学に通うことにした。


 母の体調は万全とは言えず、時々パートを休むこともあったが、寝込んで動けないということはあまりなかった。家のことは、弟と協力して何とかなった。心配していた後期の学費も、母がちゃんと払ってくれた。生活は楽ではなかったが、食べる物に困るというほどではなく、どうにか毎日を過ごすことができていた。

 家事とアルバイト、そして学業。大変な毎日だったが、そんな生活にもいつしか慣れていく。

 私の状況を理解してくれる友達もできて、お金の掛からない遊びや貧乏旅行に誘ってくれたりもした。私は、意外なほどキャンパスライフを楽しむことができた。


 だが、どうしても気がかりなことがあった。それは、弟の進路のこと。

 もし弟が大学に行きたいと言ったら、はたしてお金はあるのだろうか。

 それを母に聞くと、またも母は言った。


「お金は母さんが何とかするから、あんたは心配しなくていいよ」


 この時も、私は結局頷いた。きっと父が遺してくれた貯金があるのだろう。そんな風に思ったのだ。

 そうして、弟も無事大学に進学することができた。

 二人分の学費に加えて普段の生活費。パート収入しかない母がどうやってお金を工面していたのか、今考えると不思議でならないのだが、当時は深く考えなかった。たぶん、私は子供だったのだろう。


 そんな私も無事卒業し、就職することもできた。それが今の会社だ。

 就職を機に、私は一人暮らしを始めた。職場は家から通える距離だったのだが、住んでいたアパートがそもそも三人で住む広さではなかったからだ。母の体調が良くなっていたことも、私の背中を押した。


「毎月仕送りするからね」


 真剣に言う私に、母が笑って答える。


「あんただって家賃があるんだし、社会に出ればいろいろ付き合いもあるのよ。仕送りなんていらないわ」


 何の気負いも感じないその笑顔に見送られて、私は家を出た。

 それでも、母を弟に託すのは心配で、最初のうちはよく実家に帰っていたのだが、その度に弟が怒ったように言った。


「俺を信用しろよ」


 その言葉通り、弟はよくやってくれた。

 その弟も大学を卒業して、今年の春から社会人として働いている。


 いろいろなことがあった。

 それなりに苦労もした。

 それでも、私たち家族は、ちゃんと生きている。


 帰宅の波に逆行しながら、私は小さく呟いた。


「お父さん。私たち、大丈夫だよ」


 小さく微笑み、バッグを肩に掛け直すと、私は目的の本屋へと歩いて行った。


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