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主任と私  作者: まあく
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12.二人並んで展示会

「まさか長峰が来てくれるとは思わなかったよ」

「私も予想外でした」


 主任と並んで座りながら、私はそっとため息をついた。

 展示会は三日間。その各日を午前と午後に分け、それぞれの時間帯を営業マンが二人ずつ交代で対応することになっていた。

 ところが、今日の午後の担当だった営業マンの一人が、顧客に呼び出されて来られなくなってしまったのだ。その替わりとして私が送り込まれたというわけだ。

 服装は何でもいいと部長には言われたが、今日着てきた通勤服がカジュアル過ぎたので、着替えず制服のままで来ていた。


「何人か当たったんだけど、みんなダメだったんだ。だから部長に相談したんだが」


 申し訳なさそうに主任が言う。


「忙しいのに、悪かったな」


 本当に申し訳なさそうなその顔を見て、私は姿勢を正した。


「大丈夫です。私も勉強になりますし」


 相方がいなくなったのは主任のせいではないのだ。それに、これも仕事のうち。振られた以上はしっかりやらなければ。


「対応は俺がするけど、対応中に別のお客様が来たら、その時は頼む」

「分かりました」


 頷いて、私は前を向いた。

 自動車やゲームなどの一般消費者向け展示会と違って、専門分野の展示会は、人でごった返すということはない。とくに中日は空いていることが多く、通路を通る人はそれほど多くなかった。

 周りを見ても、人が群がっているブースはない。派手なデモンストレーションをしているところはともかく、うちのようにPRビデオを流しているだけのところに来るお客様は少ないだろう。

 そう思って気楽に構えていたのだが。


 主任と二人きり。

 この状況が、徐々に私を緊張させていった。


 つい最近まで、主任はただの先輩、もしくはただの上司だった。必要な時以外話すことはなかったし、たとえ丸一日話さなくても、何なら二、三日会話がなくても、それを意識することすらなかった。

 それが、不倫の噂を打ち消してくれたあの一件以来、どうにも主任のことが気になって仕方がない。しかも、なぜかここのところ主任と接する機会が増えた気がする。

 今日だってそうだ。営業マンが顧客に呼び出されたのが昨日か明日、もしくは今日の午前だったら、こうして主任と並んで座ることなどなかったはず。それが、まるで図ったようなタイミングで穴が空いた。


 もしかして、これが運命の赤い糸というやつ?

 いやいや、主任は恋愛対象じゃないから


 自分で自分に突っ込みながら、そっと隣を見る。


 何度も見たことのあるブルーのワイシャツに、何度も見たことのあるネイビーのズボン。

 靴は磨いてあるけれど、くたびれ感が拭えない。脇に置いた鞄の持ち手は、色が変わっていて糸がほつれ始めている。

 髭は剃ってあるが、半日経っているからか、わずかに伸び始めていた。

 短く整えられた髪は、後頭部が少しはねている。


 いつも通りの主任の姿。

 相変わらずの、ちょっとだけ残念な見た目と持ち物。

 ただ。


 きちんと背筋を伸ばして座るその姿勢は、とても綺麗で格好いい。

 驚いたのは胸板の厚さだ。真横から見るとなかなか迫力がある。じつはこっそり鍛えているのだろうか。

 キュッと閉じた口元と真っ直ぐ前を見る瞳。その横顔は、わりと悪くない。

 ふいに、主任が鞄から手帳を取り出した。ページをめくるその手がやけに大きく感じる。男の人の手って、みんなこんなものだろうか。自分の手と重ねて比べてみたい、などとつまらないことを考えてしまった。

 指先にはささくれもなく、爪もきちんと整えてある。営業マンのたしなみというやつか。

 よく見ると、耳の後ろに小さなホクロがあった。これは新発見だ。


 こんなに間近で主任を見るのは初めてかもしれない。

 こんなにじっくり主任を見るのも初めてかもしれない。


 休日出勤も厭わない仕事人間。

 人付き合いが悪いことで有名な、もと一課のエース。


 主任は、休みの日に何をしているのだろうか

 何か趣味を持っているのだろうか

 主任には、付き合っている人がいるのだろうか


 そんなことを考えていたからだろう。

 どうやら私は、いつの間にか主任をまともに見つめていたらしい。


「何か聞きたいことでもあるのか?」


 手帳をパタリと閉じて、主任が私を見た。


「いえ、何でもありません」


 答えて私が前を向く。


「そうか」


 それだけ言って、主任も前を向いた。

 追求されなくてよかった。「何で俺を見ていたんだ?」などと聞かれたら、訳の分からないことを口走っていたに違いない。


 主任がまた手帳を開く。

 私が黙って前を見る。


 ふいに主任が、手帳を見たまま言った。


「困ったことがあれば、いつでも俺に言え」

「あ、はい。ありがとうございます」


 思わずそう答えたが、何のことを言っているのかは分からなかった。

 でも、その言葉を聞いて私は思った。


 そう言えば、以前から同じことを言われてきた気がする


 場面は覚えていないし、何回言われたかなんてもちろん分からない。

 でも、たしかに私は、主任に何度もその言葉を掛けてもらってきた。


 特別な意味はないと思う。

 営業部に二人しかいない営業事務。二人しかいない女性社員。そのうちの一人である私に気を遣っているだけだ。

 そうは思うのだが、なぜか急にドキドキしてきた。


 気まずさが倍増する。

 緊張が加速していく。


 沈黙が耐えられなくなってきた。

 誰でもいいからブースに来てほしいと思った。

 その願いが、どうやら神様に届いたらしい。


「三上くん、久し振りだね」


 驚いて正面を見ると、恰幅のいい初老の男性が立っていた。


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