第五十七話 カイル歴2年 もうひとつの大移動
ゴートを訪れた翌日、我々は街にアルス率いる20名を残し、80名の仲間たちと、奴隷商より買った35名の子供たちと共に、ケンプファー領へと旅立った。
街道上は、我々だけでなく多くの商隊が行き来し、非常に賑わっており、途中で滞在した町や村、そのどれもが好景気の恩恵を受けて、活気があった。
私と並走するファルケと男爵が、馬上で思うところを話していた。
「これは、ゴートの街もそうでしたが、以前とは大違いですぜ。
これだけ人と物、双方が動いていれば、盗賊どもも迂闊には手が出せないでしょうな」
「そうですな、ドーリー子爵を除き、ここいら一帯の貴族は、魔境での戦いで多くの兵を失いました。
やっと兵員数も、以前に近い数が確保でき始めているのでしょうな。駐留兵の数も、格段に増えている」
「まぁ、余計な通行税も増えたがな」
「確かに……」
各所に設けられていた関所や、町への入場税が、移動する人員の数や、荷馬車に積載している物資に応じて、課されるようになっていた。
関所は仕方ないが、商人たちの一部は、町への入場税を節約するため、野営する者たちも多いようだ。
我々も、一日は町に立ち寄り、一日は野営して先を急いだ。
そして2日目の夕刻、ケンプファー男爵領に入ると、先触れとして先行していたファルケの知らせを受け、アベル殿と男爵家家宰が領境で待ち受けていた。
そして、二人の案内に従い、領内の外れに築かれた『開拓事業推進本部』と書かれた場所へと案内された。だが、そこには開拓民も、それに携わる人足も、そして開拓地もなかった。
仮設の宿舎が立ち並び、一際大きな建物の一室へと案内された私たちは、ここで初めてケンプファー男爵家現当主、ジーク殿に会うこととなった。
「義兄上! お待ちしておりました。先ずはご壮健なご様子を拝見し、安心しました!」
ジーク殿は涙ぐみながら、男爵の傍らで片膝を付き、挨拶した。
「ジーク、此度は色々と力を借りる事になって、とても感謝している。そしてこのお方が……」
そこまで話しかけたとき、ジーク殿は片膝を付き、胸に手を当てて頭を下げた。
「本来なら礼節に則ったご挨拶をすべきところでしょうが、このような略式でのご挨拶をご容赦ください。初めて御意を得ます、ジーク・ケンプファーにございます。
遠路はるばる、わが領地までお運びいただいたこと、また、我が義兄に新たな使命と生きる喜びをいただきましたこと、感謝に堪えません。本当に……、ありがとうございます」
「どうか、頭を上げてください。私はカイルと呼ばれていますが、正しくはカイ・タケルと申します。
成り行きで皆を導く役目を担っているだけの者に過ぎないのですから」
お互い、どこかぎこちない挨拶で始まった会談だったが、その後席を改めて移し、いくばくかの歓談のあと、私たちは今回の作戦の進行状況などの説明を受けた。
「今回、我らも大規模な物資調達と、いただいた使命、人外の民を恒久的に保護するために、お預かりしていおる魔石を使わせていただきました。
アベル殿から新しい街を、そして新しい国を興されると伺い、可能な限りの人員、物資を調達しております。詳しくは、実行の任に当たっている、家宰より説明させていただきます」
そう言って、改めて紹介されたケンプファー男爵家家宰より、私たちは説明を受けた。
それは驚くべき内容だった。
ひとつ、産業の基盤として必要となる、各種工具や道具類、その一式を取り揃えていること
ひとつ、その担い手となる各分野の職人たち、それらを派遣すべく準備が整えられていること
ひとつ、ローランド王国中から、密かに貨幣を集め、集積していること
ひとつ、人外の民を中心に、人界の民からも身寄りもなく希望者から成る、移民団を用意していること
ひとつ、輸送がしやすい子供の、荷馬車にて運搬が可能な家畜類を集めていること
ひとつ、各種食料となるべき栽培作物の種子、食用穀物、調味料について、相応数を集めていること
「いや、これほどとは驚きました。それにしても、職人たちはどうやって?
我々も、その点は最も苦慮していた部分ですが……」
「いえいえ、先年義兄上を見送ったのち、我らも考えたのです。この先義兄上に必要となるものは何か。
物資は対価があれば贖えます、ですが、職人は別です。なので我々は、その時から準備していたのですよ」
ジーク殿の話によれば、人外の民を受け入れるにあたり、男爵家では可能な限り受け入れた者たちを、工房や専門施設に依頼し、俸給を肩代わりする代わりに、職人見習いとして弟子入りさせていたそうだ。
彼らは男爵の温情ある対応に感謝し、日々真摯に技を磨き、各方面で頭角を現し始めたそうだ。
「今回、信の置ける者たちには、この家宰が直接声を掛け、新天地を目指す覚悟と気概を持った人材を用意しています。その中には、行政府で囲い込み、内政知識を身に付けた者たちも含まれております。
また、それ以外でも、人界人外を問わず、移住を希望する者、身寄りがなく里親が必要な子供たちも併せて、総計400人ほどはお連れいただけると思います」
「400人ですか!」
「ジーク、そのような人数を男爵領から出しては……」
「カイル殿、義兄上、我々がこれまで匿って来た人数に加え、今回いただいた魔石によって、新たに抱え込むことができた者たちの数は、今回の移住希望者の優に数倍です。
それだけ出しても、領内の開拓地は十分に回せます。
我々は、皆さまのご厚意により、数世代に渡っても、使い切れないほどの財貨をいただきました。
私共より、新しき王国に向けたはなむけ、どうかお受け取りください」
「ははは、これは逆に、どうやって各領主の目を誤魔化し、関門を抜けて魔境に入るかが、大きな課題となりそうですな」
「確かに、ファルケのいう通り、我々100人に加え、400人と家畜、そして大量の荷駄となると……
何らかの策を巡らす必要があるでしょうね。カイルさん、どうされますか?」
「ファルケ、男爵、これまでの苦労に比べれば、大したことはないさ。何とかして見せる」
「カイル殿、私が言うのもおかしな話ですが、問題はゴールト伯爵領にあります。
跡を継いだ新領主は、先代に負けずと劣らず強欲です。そして、西と南、凋落する伯爵領に対し、目覚ましい発展を遂げる2つの領地を敵視しています」
「というと?」
「まぁ、彼も阿呆ではないので、商売上の儲けは別として考えているようです。
王国全土から、彼の領地に流れ込む物資、逆に彼の領地、すなわちゴートの街で売られ、それぞれの領地に流れる物資は、大きな制限も設けていません。まぁかなり高めの通行税を取り立てるぐらいで……
ですが、彼の領地を直接経由しない物資、人の流れには大きく制限を掛けています」
「では我々は……」
「そうです。この地で調達された物資、人員は、名目上開拓団として、ドーリー子爵領の魔境開発地を目指すことになるでしょう。その場合、彼はドーリー子爵領との境に新たに設けた関所で足留し、色々と難癖を付けてくるでしょう。また、そうするための監視も、一度領内に入れば、同行される可能性があります」
「なるほど、我らは一戦も辞さない覚悟で、先を進まねばならんという訳ですね」
「いや、ファルケ。その場合、戦禍がこのケンプファー男爵領にも及ぶ可能性がある。我々はそれを避けねばならない。まぁ幸いなことに、重力魔法士が10名ほど同行している。地魔法士と風魔法士との連携で、忍法霞隠れの術と行こうか」
「霞隠れ?」
「忍法?」
聞いたことのない言葉に、皆は怪訝な顔をしていたが、私には勝算があった。
無理に刃を交える必要はない。
「ジーク殿に、ひとつお願いがあります。我らは、ジーク殿に匿われたにも関わらず、恩を忘れ、他領の開拓地を目指す人外の民と、それを率いる商人と領内のはみ出し者たち、そう言ってゴールト伯爵には訴え出ておいてください。これで貴領に禍が及ぶことは回避できるでしょう」
「よろしいのですか? 我々はドーリー子爵の領境まで、軍を率いてお送りするつもりでしたが……」
「はい、ご厚意は嬉しいのですが、それでは遺恨が残ります。まして、落ちぶれたとはいえ、彼方の軍勢はそれなりの数になるでしょうから」
このようなやり取り後、我々は詳細な打ち合わせを重ねた。
そして最後に、ある人物をジーク殿に紹介した。
「ゴウラス男爵、そろそろ、ソラをこの部屋に招いてあげても良いのではないかな?」
「あ、え……、いや、いきなりそんな……」
動揺する男爵を見て、我々はみな笑みを浮かべた。
いつの間にか、外に控えていたソラを、ヘスティアが部屋の中に招き入れていた。
「その……、ジーク、なんだ……、彼女が手紙に書いていた、我が妻となり私を支えてくれる人だ」
「ジークさま、初めて御意を得ます。ソラと申します。
この度は、お目に掛かれて非常に嬉しく思います」
「ほう……」
驚いて言葉に詰まる我々を他所に、家宰だけが感心するような声をあげた。
何故なら、本来は人外の民であり、貴族としての教育すら受けたことのないソラが、貴族令嬢として申し分のない所作で、挨拶したからだ。
そんなこと、私だって知らなかった。
「義姉上、初めまして。ジークと申します。
どうか、義兄上をよろしくお願いします。今度こそ義兄上には、貴方と末永く添い遂げていただきたい
。この家で幸せになれなかった兄上の身は、私にとっても心残りでしたが、やっと安心しました」
「にしてもソラ、いつの間に……」
「陛下、ゴウラスさまが率いられた方々のご家族には、礼儀作法に通じたご婦人方もいらっしゃいました。こんな日もあろうかと、私も教えを乞うておりました」
私に対しても、私が知らない作法で挨拶してきたソラは、最後に小さく舌を出して笑った。
ソラの教師役となったご婦人方は、後日になってカイラールに設けられた学校の、初代教師となるのだが、それはまた別の話として、彼女の演出には一同が驚かされたのは言うまでもない。
場は一気に和やかな雰囲気となり、歓談へと移った。
そうして、ジーク殿や家宰とも十分な話ができたのち、我々は出発の準備を整えはじめた。
そして春の盛りの穏やかなある日、出発の日を迎えた。
最後までご覧いただきありがとうございます。
次回は、12月25日9時に【永久の別れ】投稿する予定です。
どうか何卒、よろしくお願いします。




