女王と侯爵
……さて、やっと本当に時間が空いた。
とは言え、もう完全に陽が沈んでいる。
だというのに、目の前には未だ処理が終わっていない書類の山。
……これ、今日中に終わるのかしら?
そんなことを思いつつ、山の一番上から紙を手に取った。
無理せず、明日に回すか……というのが出来ないのは、前世で取った杵柄か。
つい、納期を意識してしまう。
溜息を吐きつつ、手を動かし始めた。
案外こういうのは、何も考えず愚直に一枚ずつ進める方が早く終わる。
そうして、山の五分の一が終わりそうになったところだった。
扉が遠慮がちにノックされ、外で待機していたフリージアと共に男が一人入ってきた。
「久しいな……『侯爵』」
その男に向かって、にこりと微笑んだ。
「ご無沙汰しております」
その男が頭を下げたと同時に、私は口を開く。
『侯爵以外の者たちは、私と侯爵の会話を何も聞くな。彼が来たこと以外の全てを忘れよ』
そうして魔法で、部屋の内外にいる人たちに指示を出した。
これで私の声を聞いた人たちは全員、魔法にかかって全てを忘れてくれていることだろう。
「それで?多忙な其方が、何故やって来た?」
暗に、私と違って忙しんだろうから、さっさと要件を言えという催促。
その意味が分かっていないだろうに、彼は無表情のままその場に佇む。
「……世間話を、と思いまして」
彼の言葉に、思わず噴き出した。
「其方が、世間話?どうやら、随分と面白いことが起きているのだな」
「ええ。例えば、王都で評判の見せ物小屋とか」
ピクリと、僅かに反応してしまった。
ああ、こんなにも簡単に相手に心の内を出してしまうなんて、ダメね。
「流石ですね。やはり、既にあの見せ物小屋に目をつけておられましたか」
「茶番は良い。それで、其方は何を知っている?」
「……恐ろしい事に、あの見せ物小屋が滞在した街では、必ず魔力持ちの子どもが失踪する事件が発生しているのだとか」
サラリと言った彼の言葉に、私は一瞬眉を顰める。
「……其方、知っていたな?」
過程をすっ飛ばした質問に、けれども『侯爵』には意図が伝わったようで、笑っていた。
その笑みだけで、十分だった。
それだけで、私も彼が伝えたいことが理解できたから。
「念の為確認するが、其方は関与しておらぬな?」
「はて、何のことでしょうか。少なくとも、私は自領のことを一番に考えていますよ。……まあ、人形姫であった陛下にお伝えしても仕方がないと、胸に留めていましたが……他領とはいえ、民のことを思えば心苦しいものでした」
しれっと答える彼の言葉と反応が、憎々しい。
彼の言葉そのものに嘘はないならこそ、余計に。
「ほう……随分と、心優しい言葉だな。……そういえば、ベックフォード侯爵は、随分と入れ上げている女性がいるのだとか」
「ああ……そうですね。確かに、彼女は美しい。咲く場所さえ間違えなければ、素直にそう思えるのでしょうが」
「これは痛烈な批判だ。……彼女に、社交界は似合わぬと?」
「存在自体が、貴族社会の秩序を乱す。それなのに、愛でることができる者の方がどうかしていると思いませんか?」
「ふふふ……そうだな。所詮、貴族の青き血は流れぬ者よと女は目を顰め、己を律さぬベックフォード侯爵に男どもは失笑する。五大侯爵の名を貶めるには、十分だな」
「……それでも五大侯爵として大きな顔ができることこそ、本来はおかしいのですが。陛下にはより規律を引き締めていただきたいものです」
暗に、宮中の私の力が弱いと痛烈な言葉を投げかけてきた。
全く……容赦がない。




