22.机上の空論
僕には双子の姉がいた。
だけど両親は姉の存在を僕には教えてくれなかった。
双子の姉がいることを知り、出会ったのは十六歳の時。
それから両親の目を盗んで僕たちは会っていた。
けれどある時をキッカケに姉は姿を見せなくなった。
不思議に思っていた。
ただ僕もそのキッカケを機に忙しくなり次第に薄れていった。
そうこの日を迎えるまでは……
-机上の空論-
あの滝田グループから商談話が来たのは今から一週間前だ。
何の面識もないあの大企業滝田グループからの商談話。
不思議に思ったが、これは単純に考えればチャンスだった。
この取引は失敗できない。
そう心に誓い、滝田グループの会社まで来ていた。
今回のことは彼女にも鹿波にも……誰にも話していない。
僕だけでこの取引を成功させるんだ。
案内役の人の後ろを着いていき、会議室が近づいてることが分かると胸が高鳴った。
「こちらです」
案内役の人は会議室を前にし、その務めを完了したということで去って行った。
ここからが本番。
取引は向こうの都合かは知らないが一対一で行われる。
つまり僕一人で来いという指示があった。
それにも僕は不思議に感じていたが、何にせよ従うほかない。
僕は深呼吸を三回し、ドアをノックした。
中からどうぞの声が聞こえ、いよいよ僕はドアノブに手をかけ、扉を開けた。
「し、失礼致します」
緊張で声が震えてしまっていた。
いきなりの失態に頭が半分パニック状態に陥っていた。
で、中に入るとメガネをかけた長髪の男性とヘアバンドをした女性がいた。
あれ? 一対一の話じゃなかったっけ?
なんて思っていると男性の方が立ち上がって会釈をした。
「初めまして、今回の代表を務める、滝田雅憲です」
滝田雅憲、名前は良く知っている。
滝田グループの後継者で、僕と同い年。
その手腕は確かで、もう後を継いでも問題ないとさえ言われている。
「こちらは佐伯伊万里。ちょっと事情が変わりまして……同席させて構わないでしょうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
どんな事情かは聞かない方がいいだろうと僕は言葉を飲み込んだ。
「どうぞ、おかけになってください」
滝田さんに言われ、僕は固くなりながらもソファーに向かい座った。
僕が座るのを確認して滝田さんも座る。
だけど佐伯さんという女性の方は立ったままだった。
僕は気になったけど、滝田さんが早速と言って契約の話になったため言えなかった。
「ふむ……この内容なら問題ないな。こちらとしては内容に関係なく契約するつもりだったが」
「……え?」
僕は耳を疑った。
「これならお互いにとっていい利益になるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください。どういう意味ですか?」
「ん? どうかしたかい?」
僕に戸惑いに対し滝田さんは今日のために作ってきた企画書から目を離し、こちらを見てきた。
「内容に関係なく契約するつもりだったって仰いましたよね」
「あぁ、そのつもりで話をしたかったから」
「どういうことですか?」
「すまないが吉田家の今の状態を調べさせてもらった」
「……だったらなぜ?」
お世辞にも今の会社状態はいいとは言えない。
滝田グループにとって利益になる点があるとは思えない。
ここで最初に思っていた疑問が再び浮かんできた。
なぜ、うちと契約する気になったのか?
「友のため。後、君と話をするためだ」
滝田さんの言ってることが分からなかった。
友のため?
今の吉田家に滝田さんと繋がりのある人がいるってことか……?
でもそれだけじゃ理解できない。
僕と話をするため?
ただでさえパニック状態なのに分からないことだらけでもう何も考えられなくなっていた。
それでも必死に頭を働かせているところでこちらの動向を見ていた佐伯さんという方が不意に発言した。
「話は終わり? 本題に入っていいかしら?」
「待ちたまえ佐伯さん。どうやら吉田くんは混乱しているようだ。一から説明が必要だろう」
「説明? いらないわ。私が知りたいことは一つよ」
そう言って佐伯さんはテーブルを挟んで僕の真正面に立った。
その眼に僕は圧倒された。
「吉田かなえ、今、どこにいるの?」
「……え?」
「とぼけないで。調べはついてるんだから」
佐伯さんの言葉に僕は詰まった。
吉田かなえ……それは確かに僕の知っている名前だ。
だけどここで出てくるなんてどういうことかサッパリ分からなかった。
ましてや姉さんとは……
「あの、すいません。一から説明願えないでしょうか? この奇妙な取引から今の発言まで」
僕は佐伯さんの眼を真っ直ぐ見つめハッキリとした口調で……言ったつもり。
佐伯さんは納得のいかない様子だったが、滝田さんが助け舟を出してくれた。
「悪いのはこっちだ。佐伯さん、一から説明しようじゃないか」
「ふん、分かったわ。その役目、任せたわよ」
「了解した」
佐伯さんは滝田さんの隣に座った。
そして滝田さんが話し始めた。
「まず大前提として吉田かなえさんと僕らは高校の同級生だ」
これで先ほど言った友のためは姉さんを指していたことが分かった。
「そして彼女は高校二年の夏、僕らの前からいなくなった」
「……え?」
僕は気のない返事をしてしまった。
いなくなった?
「すいません、どういう意味ですか?」
「言葉通りだよ。彼女は退学届を学校に出して消えた」
「姉さんが……?」
信じられない。高校二年の夏はちょうど僕にも覚えがある。
ちょうど僕も大きな手術があった時期だから……
確か姉さんは彼氏が出来て、楽しんでいる様子だと敦子おばさんから聞いていた。
現に手術前にあった姉さんはとても楽しそうだった。
その姉さんが学校を辞めていた……?
にわかには信じがたい話だった。
「あなた、かなえの弟でしょ? 何も知らないって言うの?」
佐伯さんが鋭い眼光で僕も睨みつけてくる。
その視線に圧倒されるが、僕はギュッと拳を握ってしっかりと答える。
「すいませんが姉さんが高校生の時、姉さんとは別に暮らしていたので」
「入院してたのよね?」
「はい……え?」
「調べてあるって言ったわよね?」
そこまで調べられるといい気分ではなかったりする。
その雰囲気を察したのか滝田さんがフォローにまわった。
「すまない。気分を悪くされたのなら謝ろう」
「いえ、まぁ、調べれば分かることですから」
「それでも家族でしょ? なんで隠すの?」
「……佐伯さん、確かに吉田かなえは僕の姉です……が、同時に家族とは言えない関係でした」
僕は話すことにした。
僕の複雑な家庭事情を……
それが一番いいと判断したから。
「どういう意味?」
「姉さんは両親に捨てられてるんです」
佐伯さんも滝田さんも呆然としていた。
僕は話を続けた。
「幼い頃の話です。僕も言伝に聞いただけですが……」
「ちょ、ちょっと待って。じゃあかなえとは面識はないっていうの?」
「いえ、僕が入院している間、両親の目を盗んで会ってはいましたが……」
僕は語尾を濁した。
佐伯さんはすぐにそこを鋭くついてきた。
「何よ? ハッキリしなさい」
「あ、はい……僕は手術して今の生活に戻れたんですが手術後、姉とは一切会っていないんです」
「一度も?」
「はい」
「神に誓える?」
「はい」
どうしても納得できないといった表情の佐伯さん。
だけど納得できないのはこっちも同じ。
普通の生活に戻るため大変だったのもあるけど……
考えてみればなんで姉さんは姿を現さなくなったのだろうか……?
「佐伯さん、滝田さん、なぜお二人は姉を追ってるんですか?」
佐伯さんは口を開かなかった。
その様子を見て滝田さんがふぅっと一息ついた。
「大切な友人だから。そして更にもう一人、僕らの前からいなくなった友人がいるんだ」
「え……?」
「ちょっと滝田くん、そこまで話す必要はないわ」
佐伯さんの制止に滝田さんは罰悪そうに頭をかいた。
「ま、いいわ。何も知らないなら、他をあたるのみよ」
「すいません、佐伯さん」
「謝らないで。別に仕方ないことだから」
「あ、いえそうじゃなくて……」
「なによ?」
「僕にも姉さんを探す手伝いをさせてくれませんか?」
僕の急なお願いに佐伯さんはポカンとしていた。
でもすぐに真剣な表情に変わって言い放った。
「どうしてよ? 理由がないわ」
「疎遠だったといえ姉です。家族の心配をするのはおかしいですか?」
佐伯さんは真剣な表情のまま僕を見てきた。
僕も真剣さを伝えたいと真っ直ぐに佐伯さんを見る。
佐伯さんはため息一つついた。
「はぁ……言い出したらきかないところは似てるかもね」
「そ、それじゃあ……!?」
「ま、いいわ。吉田家について知りたいこともあるしね」
「ありがとうございます!」
僕は立ち上がって頭を下げた。
「早速だけど、質問が多々あるわ」
「あ、はい」
僕は頭を上げ、ソファに腰掛けた。
滝田さんは話が長くなるだろうと飲み物をいれてくれた。
僕はそれを頂き、一口飲んだ。
佐伯さんも同じように一口飲み、それから本題へと入った。
「かなえが両親に捨てられたって本当なの?」
「らしい、という答えしか言えませんが、おばさんと二人で暮らしているはずです」
「まったく……かなえは大事なことは本当に黙ってたのね……」
「えっと吉田くん、君はさっき手術後、一度も会ってないって言ったね?」
「あ、はい」
突然の滝田さんからの質問に戸惑ったがきちんと返事した。
そうすると滝田さんは真剣な……でもなんか複雑な表情を浮かべていた。
「何よ、どうしたの?」
この空気に耐えられなくなった佐伯さんが滝田さんを牽制した。
「あ、いや……」
「何か思いついたの? 言ってみなさい」
「ふむ……吉田くん、一つ聞いていいかい?」
「あ、はい、どうぞ」
「君の手術っていったいなんだったんだい?」
「えっと生まれつき肺が悪くて、ドナーの方からもらったんです。生体肝移植だったみたいです」
この言葉に滝田さんの表情は更に複雑になった。
そして佐伯さんが急にバンッとテーブルを叩いた。
僕はその音に驚いたが、更に驚いたことは佐伯さんが滝田さんの胸ぐらをいきなり掴んだことだった。
「滝田くん、あなたまさか……!?」
「可能性の話……でしか今はない、がゼロではない」
胸ぐらを掴まれてるのに冷静な滝田さん。
話が見えず、置いてけぼりの僕は勇気を出して割って入った。
「と、突然どうしたんです?」
「落ち着いて聞いてくれたまえ。佐伯さんもだ」
「何を言おうとしてるか分かってるのよね?」
「僕の想像……いや妄想でしかない。だけど……」
「分かったわ」
佐伯さんは手を離し、ソファに腰掛けた。
乱れた服を正し、滝田さんは口を開いた。
「吉田かなえさん、もしかしたら吉田くん、君のドナーだったんじゃないかな?」
「……えっ……!?」
姉さんがドナー……?
ボードにはまらないピースという名の情報の数々。
滝田さんや佐伯さんはそのピースを繋ぎ、はめようとしている。
「どういう……ことでしょうか?」
「そうよ。どういう妄想でそうなったのか聞かせてほしいわ」
佐伯さんが冷たく突き放す言い方をする。
滝田さんは気にしてない様子で言葉を続けた。
「吉田さんの引っかかる行動は二点だ」
「彼氏に別れ話をし、退学届も事前に出してあたしたちの前からいなくなった」
「そう。つまり予めこうなると決まっていたという想像がつく」
その情報すら知らなかった僕はただ滝田さんの推理を聞くしかなかった。
ここで口をはさめるのは同じ情報を持っていると思われる佐伯さんだ。
だけど佐伯さんは何も言わず滝田さんの推理を待っているように見えた。
そう感じたのか滝田さんも話を続ける。
「次に手術前、吉田くんと会っているのにも関わらず、手術後は一度も会っていない。そうだろ、吉田くん?」
「あ、はいっ」
突然の質問に慌てたがしっかりと答えた。
「本当に?」
佐伯さんが冷たく切り返してくる。
「は、はい! 本当です!」
「ふ~ん……」
いまいち僕は佐伯さんに信用されていないようで態度が冷たい気がする。
僕から姉さんの情報を得られると思い、実際は大したことなかったせいなのか……
「まぁまぁ、佐伯さん。吉田くんが嘘つくメリットもない。信じてあげないと」
「別に信じないとは言ってないわ。それより話を続けて」
滝田さんは肩をすくめて言われた通り、続けた。
「手術後、元気になった吉田くんに会わなかった理由……いや会えなかった理由は……」
ここで滝田さんは言葉に詰まった。
そこまで言えば僕にでも分かる。
「滝田くん、かなえはこの弟のために……って言いたいの?」
「詳しくはないが生体肝移植は難しいと聞く……」
僕の握っていた手が汗ばんできた。
滝田さんの推理は決しては的外れではなく……もしかしたら、っていう可能性がある話だった。
「跡継ぎの吉田くん、そして親に捨てられた吉田かなえさん……どっちを優先させたか……」
「滝田くん……あなた……まさか……!?」
「いや、あえてそこまでは言わない。だが、何かしらの不具合が生じる可能性は十分にある」
「つまり僕とは逆に病院に入院してるということですか?」
「そこまでは……すまない。中途半端で」
罰悪そうにする滝田さんだが、断片的でしかなかった情報がまとまった気が僕にはしていた。
そして佐伯さんも……
「面白いわね、滝田くん。可能性はゼロじゃないわ」
佐伯さんの表情は相変わらず険しかったが声は明るくなっていた。
生きている可能性ももしかしたらって可能性もある。
「あんた、親に直接ドナー誰だったか聞ける?」
「えっと……それは無理です。以前に聞いたことがあったんですが誤魔化されたので」
「ま、娘を平気で捨てられる親だからね。その線でいくのは無理って分かってるから安心しなさい」
「す、すいません……」
「ただ滝田くん、問題が一つあるわ」
「むっ? なんだい?」
「永一のやつ、弟のカルテ盗んでるってことは言ったわよね?」
佐伯さんの言葉に滝田さんはハッとした。
って……え? 僕のカルテを盗んだ?
「そうか……カルテにはドナーのことも書いている。永一のやつ、知ってる可能性があるのか」
「そう」
「すいません、お取込み中のところ」
「何よ?」
「永一さんって誰ですか?」
「……ま、教えておくわ」
そういって佐伯さんはバッグから写真を取り出し僕の前へと滑らせた。
そこには姉さんと一緒に男性が写っていた。
「深見永一、かなえがいなくなったのと同時期に失踪したかなえの彼氏よ」
「この人が……」
……なんかどこかで会ったことのあるような、そんな印象を受けた。
だけど僕は知り合いなんて一握り程度。
気のせいか……な?
「あたしたちはかなえと一緒に永一も追ってる。どっから繋がるか分からないから写真、持ってていいわよ」
「じゃ、じゃあお預かりします」
僕は写真を内ポケットにしまった。
そしてふと時計を見ると、約束の時間からかなりの時間過ぎていた。
「あ、滝田さん、時間大丈夫ですか?」
「むっ? あぁ、大丈夫だ。色々聞けるようスケジュールは抑えてある」
流石というかしっかりしてるなっと関心してしまった。
「これ、あたしの名刺。携帯番号も書いてあるから入れといて」
佐伯さんがさっきの写真のように名刺を僕の前まで滑らせる。
その名刺を受け取り、僕も名刺を佐伯さんに手渡す。
佐伯さんは見るか見ないかのうちにカバンにしまった。
「では吉田くん……と、名前で呼ばせてもらってもいいかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ智くん、これから色々とよろしく頼む」
「こ、こちらこそよろしくお願い致します」
滝田さんが頭を下げ、僕も慌てて頭を下げる。
「智、あんたも出来るなら内部から情報を集めて」
「分かりました」
佐伯さんも僕のことを名前で呼んできた。
さっきまでの冷たい感じも少し和らいだ気がして僕は嬉しかった。
姉さん……僕は仕事を理由にそして両親が誤魔化すから今まであえて避けてきたけど……
もし本当にドナーになってくれたのならきちんとお礼が言いたい。
だから……必ず見つけ出すよ。
新しい友達……仲間と共に、ね。




