四十七話 癒しなう
濡れた髪を拭きながら自室に戻ってきた小豆ジャージの紅葉は、コースターにアイスコーヒーの入ったグラスを置く。それから窓を開けて風の通り道を作り次にコンポ、それと久し振りにパソコンの電源を入れた。
習慣づいた行動はいつもにまして手早いというかキビキビ動いている。それだけ久し振りのログインが楽しみなのだ。
真希たちから誘われた打ち上げを泣く泣く断ったショックから紅葉は、お風呂にぐでーっと浸かる事でそれなりに復活を遂げた。
(ああ、そうか)
椅子に座った紅葉は早速【魔法少女おんらいん】にログインしようとしたが足止めを食らってしまう。
それはアップデート……、とは言っても選択してから僅か数十秒の話。片手でまだ少々湿り気のある髪を拭き取りながらマウスを操作する紅葉には、その数十秒がもどかしかったが。
(……あれ? あー、そう言えばここだったっけ)
アップデートが終わりログインした直後、周囲の景色に紅葉は違和感を感じた。スクルトが現れたのは寂れた公園の枯れた噴水の前で、いつもの木造のワンルームではなかったからだ。
ただ、ストレルカと狩りに行った際ここでログアウトしたからだと直ぐに思い当たった。
気を取り直してインベントリを開いたりと、現状を確認していく。
「…………」
その際、帰宅前の出来事にへこみ、癒しを求めて特に仲の良い二人が居るかフレンドリストを開いて確認して見る。
がしかしまだ帰宅していないのか、人斬り二号とルウのIDはログアウト状態を示す灰色で表示されていた。
(……それじゃあ先ずは荷物整理、だね)
思わず溜め息を零し、ログインしてない事には仕方がないと切替えて、不要なアイテムを売りにスクルトをアイテムショップへと走らせるのだった。
◆
(さて……)
大抵の狩り場で問題のない準備を整えた紅葉は、今日は何から手を付けるか思案する。是非ここに行きたいという狩場はない。
紅葉は左手をコントローラーから離すとグラスを手に取りストローに口を付けた。もう氷が溶け始めグラスも汗をかいているが、窓から入りドア通じて廊下へと抜けて行く風は心地良く、紅葉自身は汗一つかいていない。
(んー、こういう時はあそこかな)
どこに狩りに行こうかグラスに口を付けたまましばらくの間悩んでいたが、何かを思い付きグラスを置く。マウスを操作、インベントリを開きスクロールを使用して転移、イイーヴから姿を消した。
転移した先は首都ルネツェン。夕方や夜の時間帯並とは言わないが多くのPCが行き交い、今も大変賑わっている。
慣れ親しんだ街だが紅葉は念の為ちらりとミニMAPを一瞥して現在地を確認すると、目的地へ向けスクルトを走らせた。
余談だが、街中でPCとNPCの見分け方には、頭上に表示されるIDや、PCのキャラメイクに使用出来ない大人の――とはいっても二十歳前後の外見も可能――外見をしているか等があるが、意外とパッと見で分かり易いものがある。それは走りだ。
PCはとにかく走る。たとえアイスクリームパーラーから隣接したお菓子屋に移動するのにも走る。
勿論歩かせる事も出来るが特に理由が無ければ、これが生き物のサガとでも言わんばかりに走らせるのがプレイヤーというもの。
スクルトもルネツェンの幅の広い道を軽快に走り抜けているが、同様に移動しているPCは皆走っていて、まるで漫画か何かで街全体を使った運動会をしている様な、冷静に見ると異様な光景である。
そんなとにかく走るPCたちが、例外的に歩いている事の多い場所があった。それはたった今スクルトが到着したエリア、フリーマーケットが行われている大きな広場だ。
(んー……、見知らぬ名前もちらほら)
広場で露店を出している数多のPCたちの頭上に、会話文とは違う色のウインドウがポップアップされ、売りに出されたアイテムが表示されている。それらを確認しながらスクルトを移動させて行く。
ちなみに紅葉の露店の巡り方は歩き派ではなく走り派。立ち止まって周囲を見渡し移動、また周囲を見渡す――、というカクカクした動きを繰り返しながら時々ウインドウをクリックして、目に付いたアイテムの詳細を確認している。
(なるほどマジックガンナーのか)
見覚えのない名称のアイテムをクリックしてふむふむと頷く。もう各地の狩り場でマジックガンナーの専用アイテムや魔法が見つかり、プレイヤーたちが売りに出しているのだ。魔法銃の弾や魔法は、異なるクラスの自分には必要ないので効果を流し見していく。
(それにしてもやっぱりちょっと高いかなぁ)
マジックガンナーが追加されてから約十日。まだ市場は安定しておらず、どれも少々高値且つプレイヤーによってばらつきがあった。同時に紅葉はこれでも下がったんだろうなとも思った。
それは過去に何度もアップデート当日追加された技や魔法が高値で売られているのを見てきたからで、例えば当日二千万というなかなかの高値で出品されていたものが、今はその百分の一以下にまで下がっている、なんてものある。
資金に余裕のあるプレイヤーの中には、値崩れしたドロップは面倒臭がって露店ではなく店売りしている者も多い。逆にあとからレアだと分かったりドロップ率が調整され、値段が跳ね上がるものもあるのだが。
そういう訳でマジックガンナー関連のものが多く出品され、安定していないのも今のうち、長くは続かないだろうと考えたのだ。
(これだと本当のご新規さんは買えないよね)
ここからどの辺りまで下がるかは未だ分からないが、今の露店のターゲットはどう見ても前からプレイしているプレイヤーがサブで作ったPCが相手の価格だ。しかし時間を多く割けないプレイヤーは、お金で各地でアイテムを入手して回る手間を省けて助かっている。
巫女が追加された時もいずれ安定したし、低レベルの魔法は自力で入手し易くなっている筈だからいいんじゃないのかな、と紅葉はそこで深く考えるのは止めた。
(わっ)
走る、停止、走る――とカクカクした動きを繰り返しながら移動して居たスクルトは、あるものが目に止まり正座を崩していわゆる女の子座りをしたとあるPCの前で立ち止まった。
黒くて長い髪をポニーテールにした少女のIDはリリオ。ストレルカのファーストPCだ。
「こんにちはー」
偶然の出会いに一時大きく下がっていたテンションが上がり、早速話し掛けるスクルトであったが返事はなかなか返って来ない。
(あー、露店放置中かぁ、というかwisにしておけばよかった)
残念な結果だが気持ちはまた大きく下がりはしない。
あとチャットについて、紅葉も別に周囲から注目されているなんて思っていない。けれども周囲のプレイヤーたちにも見えるオープンチャットで打ち、返事のない状態で待つというのを少々恥ずかしく感じていた。
手で煽って顔に風を送る。落ち着き、もう一度よく見てみるとリリオはもうアイテムは全て売れてしまっていて、ウインドウは表示されていない。この状態という事はおそらく長時間リリオがパソコンのモニターを見ていない、少なくとも今は見ていないという事が分かる。
《放置中みたいだね。えっと、今日でテストは終わって復帰したよ。また近いうちに一緒に遊びましょう》
チャットをオープンからwis(個人間チャット)に切替え、少しずつ移動しながらキーボードを叩く。あのままリリオの前で打つのは無言の圧力ではないが、一度恥ずかしいと思ってしまった今はもう無理だった。
《またね》
最後に一言付け加え、wisを終了した紅葉はショッピングに戻ったのだった。
◆
露店広場を回り終えたスクルト。何か良いもの、具体的には手に入れた事のないゴーレムのレア素材でもあれば銀行に光の速さで走ろうと思っていたが、そもそも並んでいた素材の数は両手の指がギリギリ必要になるくらいだった。
無いだろうなとは思いつつも心のどこかで期待していた紅葉は、露店巡りを終えるとお馴染みの結果に今日も小さく溜め息を吐いた。
(じゃあそろそろ狩りに……、んー……、指輪狩りにでも行こうかな)
アイスコーヒーを飲んで気を取り直し、狩り場を選ぶ事にする。ここは難度的にも稼ぎ的にも安定した【奇人ドロワの館】にでも行こうかと考えていた紅葉の元にwisが飛んで来た。
《こんにちはー》
チャットの主は、いつの間にかログインしたルウだった。紅葉は持っていたグラスを慌ててコースターに置くと、久し振りの、それも今とても話したかった相手からのwisに胸を高鳴らせながら、慌ててキーを叩いていく。
《こんにちはー》
《お久し振りです! 今大丈夫ですか?》
《お久し振りー。うん、露店見終わったところだから》
《あ、それは良かったです。今偶然ルネのショップで二号さんと会って、これから遊びに行くんです。良かったらご一緒しませんか?》
《うん》
即答。紅葉は自分でもどうかと思う程のレスポンスを見せてしまったが、ルウさんだけじゃなくて二号さんも居るって聞いたらこれはもう仕方が無いよねと思う事にした。
良かったです! と喜ぶルウに気分が良くなった紅葉は、どのショップか訊いて直ぐに向かう旨を伝えるといそいそと走り出した。
露店広場からそう遠くない場所にあるアイテムショップに駆け込むと、PCの多いカウンター付近から離れ壁際に立っている二人を見て頬が緩むのを自覚するが、会いたかったんだから仕方がないと改めて思う。
やはり先程同様ちょっと速過ぎるスピードで前に立つと手を振る。直後人斬り二号からパーティ申請が届いた。
『やはー おひさ 会いたかったじぇスクルたん! スクルたんたん!』
『こんです!』
『こんにちはー。お久し振り。二号さんテンション高いねー』
人斬り二号が両手を掲げる万歳の格好でスクルトを迎える。そんなやけにテンションの高いお出迎えに紅葉はくすりと笑うと、スクルトにも万歳させて応じた。
『じゃあ私も』
二人のやり取りを見てすかさずルウも参加する。こうしてショップの片隅に、少女たちが傍目には無言で両手を掲げるという実にシュールな光景が生まれた。
挨拶を交わし改めてスクルトを二人の隣りに並ばせると、何事もなかったかの様に人斬り二号が返事をする。
『やっとテスト終わったのさ 解放感やばすぎワロタ スクルたんと会うの2週間振りくらい?』
『だね、それくらい。私もテストがあってようやく終わったの』
『そうなんですねー。今もその話してたんですけれど、私も終わったところなんです』
『七月に入ったし どこも今くらいかにぃ』
『多分そうじゃないかな。お姉ちゃんも兄も殆ど同じ日程だったから』
他校の事は殆ど知らないが、姉と兄の日程を思い浮かべながら書き込んだ。姉に関しては同じ学園で、科目数の違いがあるだけだったりする。
『やっぱり今くらいかー 他の学校の事は全く知らなんだ』
人斬り二号は顎に手を当てて頷いた。そこでテストの話題が終わり、紅葉はゲームの話題を振る事にする。
『それで、今日はどこに行くの?』
『あぁ スクルたんさえ良ければ 石磨きマラソンはどーかなーと』
ネットゲームでは、特定のクエストなどを繰り返し行う行為をマラソンを呼ぶ事がある。
他にも、例えばパーティを組んだ際スクルトが、トロールやギルマンが沸いた時に行った、敵を引きつけつつ逃げて数的有利を作り時間を稼ぐ事をそうと呼ぶ事もある。
今回の場合は前者で、人斬り二号の言う通称石磨きを繰り返す。
『あ、80装備?』
『そゆこと』
80装備とはPCのレベルが10毎に装備の制限が解除されるシステムの魔法少女おんらいんで、レベル80になると解禁される装備の、プレイヤーたちからの呼び名である。
『ランスとコスの分はストック足りたんだけど 盾の分がチョコっと足りなくってね』
『なるほど』
魔法少女おんらいんの装備、特に武具とコスチュームの入手方法は特殊で、店売りやドロップで完成品を入手する機会は殆どない。
店売りで買えるのは下位の装備ものまでで、PCが低レベルのうちは間に合わせる事も多々あるが、高レベルになるとNPCに素材を持参して現在の装備のアップグレードを繰り返していくのが殆どだ。
スクルトの愛用している杖とコスチュームも、装備制限が0のものをレベルが10上がる度に改造してきた物だ。
チョーカーやイヤリングに指輪などといったアクセサリー類には、そういうアップグレードはない。
ただしこちらはこちらで、元となるアクセサリーが杖やコスチュームに比べ比較的安価で手に入る分、良いものが出来るまで、出来てもより良いものを目指してエンチャントを繰り返し、そして破壊しまくっているので別の意味で手間とお金が掛かるのだが。
スクルトは杖とコスチューム(武器と鎧)だけで済むが、人斬り二号の場合は盾もアップグレードが必要な装備だ。リソースが足りなかったらしい。
『私は全然いいよー』
『げふんげふん いつもすまないねぇ』
『えーと、それは言わないお約束でしょう? それに私も揃えないといけないしね。丁度良かった』
人斬り二号の軽いボケに乗る。スクルトはまだレベル80に到達していないが、期末考査前のペースでログインしていればそう遠くない未来に到達する筈なので、渡りに船だった。
『私も予備の杖を作っているところなので、有り難いくらいですよー』
『へー、今使っているのどんなのか訊いても大丈夫?』
予備の杖を作成中だというルウにクラスは違えど同じ後衛の、それも同じMEN型のルウがどんなものを使っているのか興味を持った。あまり装備やステータスについて訊くのは問題かと思いながらも遠慮がちに質問してみた。
『良いですよー。ええっと、今のものはMPとMENを伸ばすようにしているんですけど、狩り場によってはすごくMPが余るんです。それでMPが減る代わりにINTが伸びるものを作って使い分けようかなぁと』
『ふむふむ』
例えば杖の場合、主に金属で構成されているものや、木で構成されているものなどで、補正の付きやすいステータスや直接殴った時の威力も変わってくる。
それだけでなく、下位の頃からカスタマイズする事で、同じ金属製の杖でも初期は三種類、いずれはAからEの五種類のバリエーションが生まれ、ボーナスが付く事もあるのだ。
真ん中のCが本来のもので、BとDは控え目な変化が、AとEでは同じ杖とは思えない程に違いが出て、ひいては魔法少女たちに個性が生まれるのだ。
更にランダム補正やエンチャントによる強化で、同じ素材、同じレベル、同じバリエーションでも差が生まれ、もはや異なる杖と言えるくらいなのだから、バリエーションを変え状況に応じて上手く使いこなせれば有利に働く。
ちなみにスクルトも一応杖ではないが予備を持っている。けれど使う機会は殆どなくインベントリの肥しになっていたりする。
『じゃあ一先ずグリスかな?』
『イェア でも最初だけかな ルウたんとその事話してたんだけどね』
素材集めをする場所は幾つもあるが、石磨きとプレイヤーから呼ばれているクエストのある場所は一ヶ所しかない。
転移スクロールで行ける最寄りの街はグリスなのだが、繰り返すのに最初だけとはどういう事だろうと紅葉はモニターの前で首を傾げ、スクルトの頭上にも? を浮かべるとそれを見たルウが補足をする。
『えっと、マジックガンナーが追加されたじゃないですか』
『うん。ああ、そういう事?』
まだ途中だったがルウが何を言いたいか理解する紅葉。ルウも把握したが一応説明を続けた。
『はい。新しく町が追加されて、そちらからの方が少しだけ近いはずなんです。まだ私たちも行った事がないので多分ですけれど』
『最初はグリスに 途中寄ってスクロール買って 次からはそこから行こっかという訳で ついでに見学もね』
『おっけー把握したよ』
人斬り二号の言う次からとは、これから行うのはクエストは一度受ける度にルネツェンに戻る必要がある面倒な内容だからだ。
報酬は非常にランダム性はあるが、時に驚くようなものが出るクエストなのに人気が今一つなのはその所為で、どこか、ドロップはそこそこ期待出来る割に距離と事故の所為で人気のないミノタウロスに近いものがある。尤も、あちら程過疎化してはいないが。
『それじゃあ行こうか』
『うむす』
『はーい!』
目的地とそこまでの道筋を確認した三人は、各々転移スクロールを使用して最初の目的地、自由都市グリスへと飛んだのだった。




