四十五話 もみじはちからをためている
ベッドに腰掛け紙袋に何やら詰めていた紅葉は、立ち上がってコンポの電源を落とす。それからエアコンのスイッチも切ると紙袋を持って部屋から出た。
空調の効いた部屋から一歩出た途端、熱がじわりと紅葉を襲う。とはいっても、さすがに過ごしやすかった部屋との落差はあるが、廊下の窓は開け放たれているため空気は籠っておらず、眉を顰める程ではなかった。
今日紅葉が部屋のエアコンを入れていたのは、遂に暑さに耐え切れなくなったからではない。窓とドアを開け放ち、廊下と同じように風通りをよくすればまだ十分過ごせる。
では何故かというと、千鶴といろはが平島家に来るという話を事前に聞いていたからで、紅葉の部屋が楓の部屋と同じ階にあり、階段を行き来する際必ず部屋の前を通過する事になるから、姉たちが気にするかも知れないと考えての事。
気を遣った形の紅葉は朝からそわそわ、妙に落ち着きがなく、勉学に集中している時は別として、休憩中や集中が途切れている時に扉の開閉音が聞こえる度、振り返っては見える筈のない廊下に目を向けていた。
同級生たちからは大人のように扱われている紅葉だが、実際は結構子どもっぽかった。
そんな紅葉が自室から向かう先は、同じ二階にある一室。物置に使っている部屋の引戸の前を通過し、次の部屋のドアの前に立った。
向こう側からは微かに話し声が聞こえて来る。
紅葉は一度小さく咳をして喉を整えてからドアをノックした。
「はぁい」
返って来た返事は、聞き慣れた楓の優しい声。
「私、開けてもいーい?」
「いいよいいよー」
「やーやー紅葉ちゃん、さっき振りだねぇ」
紅葉が楓の返事を待ってからドアを開けると、クッションに座ったいろはが手をひらひらと振りながらに明るく声を掛け、千鶴は軽く手をあげて応じた。
三人は以前ゴールデンウィークの時にトランプをした時に使った正方形のテーブルと、葉月の部屋で見た覚えのある、楓のものと似たようなテーブルをくっ付けて囲っている。
今は丁度勉強は中断中だったらしく、並べられたお菓子や飲み物が大きくスペースを取っていて、体勢も各自リラックスモード。教科書やノートに参考書、辞書類はカーペットや鞄の上に置かれていた。
「さっき振りです」
千鶴たちとは今からほんの二時間前、お昼ご飯を食べた時に顔を合せていた。
笑顔で挨拶を返す紅葉にいろはは、自分の隣りに置いてあるトートバッグをカーペットの上から移動させると、空いたスペースにクッションを置き手を振って紅葉を呼んだ。
いろはの今日のコーディネートは、ネイビーの丈の短いフラワープリントのワンピースに、ワンピースより少しだけ丈の短い薄手のロングニットカーディガン。カーディガンの上からピンクの細いベルトでくびれを作り、髪は高めの位置でポニーテールにして根元にバレッタを付け、いつもながら可愛らしく纏めている。とても女の子らしく、いろはに大変良く似合っている。
紅葉は有難く座らせてもらう事にして、嬉しそうに小走りで移動した。
「千鶴さん、これを」
「ん?」
腰を落ち着けると紅葉は正面に座っている千鶴に、早速部屋を訪ねた目的の紙袋を手渡した。
その千鶴の格好はというと、今日はあちこち出掛ける用事がないからか、赤色のラインの入った上下黒色のジャージのセットアップという、楽だが言ってしまえばコーディネートとも言えない手抜きコーディネート。化粧もまるでしておらず、カーペットの上の鞄に置かれたニットキャップを被っていたようで、髪もセットされていない。これでは遠目からでは美男子に見えかねない。
千鶴は偶にこうして徹底的に手抜きをする。しかし素材の良さ故か、それとも単に紅葉が千鶴に好意を抱いているからか、似合っていて悪くない、むしろ素敵かもとすら思った。
「ああ、ありがとうな」
紙袋を上から覗き込んで中身を確認した千鶴は、紅葉に礼を言うと取り出してみせた。
中から出て来たのは、横が三十センチに縦が四十センチ程のやや縦長の箱だ。それを見たいろはが声を上げる。
「おー、そういえば千鶴は今日それもあったね」
箱の側面に写るイラストは縦長の黒い、操縦桿のようなフォルム。紅葉と楓といろはにはお馴染み【魔法少女おんらいん】の専用コントローラーだ。
少しの間イラストを見たり書かれている文字を読んだりしていた千鶴は、箱を開けると中身を取り出した。何故か他の三人は千鶴の動向を黙って見詰めている。
箱の中でコントローラーを固定している板や緩衝材、そして目的のものを取り出した千鶴は、しばらくの間USBの接続端子の付いたコードの揺れるコントローラーを両手で持って細部をしげしげと見詰めていたが、やがて眉を顰めた。
「……前に見た時にも思ったけど、やけに複雑だよな。それにボタンが多い……」
片手で握る仕様になっているそれは握るとグリップ部分がある程度動く仕組みになっていて、親指の位置にはアナログスティック、その他にもショートカットを登録できるボタンが多数ある。あとオマケとばかりに台にはテンキーまで付いていた。
「あはは、凄いよねそれ。最初見た時、このゲーム私無理って思ったもん」
そんな厳しい表情をしている千鶴をいろはが笑い飛ばす。
魔法少女おんらいんは飛行など複雑な動きが出来るが、その分操作も複雑である。
可愛らしいグラフィックに魔法少女というコンセプト、響き、自由度の高いコスチュームのデザインに、装備品や技レベルなどといった多数のやり込み要素などで、数多あるネットゲームの中でもそれなりの数のプレイヤーを取り込んでいるのだが、この操作の難解さが新人プレイヤーたちの壁として立ち塞がり、そして何人も心をへし折って来た。
「最初は大変かも……。慣れると片手が空くからすごく便利なんだけど」
「まー、マジックガンナーは飛行ないから天地が逆さになって大混乱ーって事にはならないから直ぐ慣れるよ。……たぶん」
よく敵を見失ったり、あちこちぶつかり壁に向かって走っていた頃を思い出しながら話す紅葉と、苦笑い混じりに微妙なフォローを入れる楓。この二人も最初は操作に四苦八苦していた。
特にウィッチのキャロルを使っている楓は、飛行中に回転して自分がどういう状態になっているか分からなくなり混乱していたら墜落、なんて事は日常茶飯だったのだ。
そんな複雑な操作を要求する魔法少女おんらいんをサポートする、これまた複雑な専用コントローラーだが、現在の二人のような熟練プレイヤーたちからは、慣れれば使い易く便利と好評だった。
外部の巨大掲示板では、早々に心折れ辞めてしまった元プレイヤーがスレッドを荒しに現れ、スレッドの住民たちも荒しを煽る不毛なやり取りをよく繰り広げていたりする。
閑話休題。
「千鶴は器用だから直ぐだと思うよ。私でもしばらくしたら慣れたし」
姉妹に続き、いろはも後ろにあるソファーに寄り掛かりながらフォローした。
千鶴だけでなく楓も大抵の事は器用にこなす。いろはも決して不器用ではないが、かなり器用な二人と比べると少々劣り、魔法少女おんらいんの操作に慣れるのも楓より時間が掛かった。
ただ、慣れた今ではプレイ時間の割になかなかの腕前である。
「まあ、取り敢えずやってみる。やってみない事には、な……」
そう呟くと千鶴はコントローラーを箱に仕舞い始めた。
ゲーム未経験者でなくとも思わず後込みしてしまいそうな造りをしたコントローラーとはいえ、この場にいる三人の少女たちは使いこなしている。
だからといって千鶴に合うとは限らないが、それは試してみなければ分からない。このまま眺めていても仕方がないのだ。
千鶴はしっかりと箱に仕舞い直して紙袋に入れた。
「そうそう、こればっかりはやってみないと」
千鶴に同意する楓。こちらはベッドに背中をもたれ掛かり話を続ける。
「まあその前にこれ、片付けてから、ね」
これ、とは勿論学期末考査の事。手に持ったノートのパラパラと適当なページを捲る。
「それも直ぐだよ。あ、テスト終わった次の日に千鶴が初プレイ予定で私たちもログインするから、紅葉ちゃんも一緒に遊ぼうね?」
「ホント!?」
「もっちろんよー。ほれほれー」
いろはの申出に勢いよく反応し、紅葉は身体ごと向いた。
そんな紅葉の動きにいろははびっくりするも、満面の笑みを浮かべて明るく肯定、偶々手に持っていたビスケットにチョコレートをコーティングしたお菓子を、紅葉の驚きで大きく開かれた口に放り込んだ。
お菓子を放り込まれた紅葉はされるがままに口を動かし、お菓子と、何より遊びに誘われた事で、いろはと同様に満面の笑みを浮かべて向かい合った。次いで楓の顔を見るとニコりと微笑まれ、最後に千鶴の顔を窺うと、彼女にしては珍しく微笑み軽く頷き返した。
テストが終わればそのうち一緒に遊べる機会もあるだろうとは思っていたけれど、次の日に遊ぶ約束ができてテンションがとても上がり、本来の歳どころかより幼い子どものような反応を見せている。そんな紅葉を見て微笑ましく思っての事だ。
いろはと千鶴にとって紅葉は「友人の妹」でもあるがそれだけではなく、大変良く可愛がっており、また紅葉もとてもよく懐いているのがわかる。
それから五分程度、三人にお菓子を与えられながら機嫌良く会話に興じていた紅葉は、一度背伸びをして立ち上がった。
「それじゃあそろそろ戻るね」
三人に部屋に戻る旨を伝えドアの前に移動した。
お喋りは非常に楽しく、もっと話していたい。けれど勉強の邪魔は出来ないと泣く泣く退場する。
「もう? そっかー……。ま、お互い身軽になってから遊ぼっか」
「じゃあ。……これ、ありがとうな」
名残惜しそうに手を振って見送るいろはと、いつも通り言葉少なげにだが、もう一度コントローラーの礼を言う千鶴。楓も笑顔で小さく手を振って見送る。
紅葉はドアを開けて部屋から出ると振り返り、胸元で手を振った。
「またね」
名残惜しく思うも別れを告げて静かにドアを閉め、部屋に向かって歩き出した。
(テスト終わった次の日かぁ、ちょっと情報仕入れておこうかな)
テスト勉強モード入ってから紅葉はパソコンを一度も起動していない。その為実装されてからもう数日経っているマジックガンナーについての情報は、実装前の噂しか持っていなかった。
ぼんやりと頭の中で計画を立てながらドアを開くと中から冷気が漂って来た。部屋を出る時にエアコンのスイッチは切ったが、部屋はそう暑くなっていないどころかむしろ涼しいくらいだ。まだ時間が大して経過していない事が分かる。
部屋から出る時に消したコンポとエアコンのスイッチを入れ直し、椅子に座って冷やしホットミルクに口を付け喉を潤す。
今のところ作成する予定のないマジックガンナー。以前のアップデートで巫女が追加された際も、最初は同じく作成する気はなかったが敢えて調べて回らなくとも、ログインすれば人斬り二号ら魔法少女おんらいん全般に詳しいプレイヤーや、実装直後、実際に作ってみた野風との会話で自然と知識はついていった。
しかし今回はテストと重なりログインしていない為、ゲーム外で自主的に調達しないと情報は集まらない。
(まあでも――)
椅子の背もたれにもたれ掛かり、机上のここしばらく触れていないパソコンを見ながら考える。
(取り敢えず今はこれだね)
椅子に座り直すと背筋を伸ばし、ノートを開く。
成績を落とさない事は紅葉の中で絶対条件。直ぐにでも調べたい気持ちもあるが、今パソコンを立ち上げると一時間程度で済む気がせず却下。
久し振りにパソコンへと向いた気持ちを抑え、千鶴たち三人とお喋りをしてリフレッシュ、そして上がったテンションを勉強にぶつける紅葉なのであった。
◇
夕飯を食べ終えた紅葉は、リビングのソファーの上でその女子中学生にしては大きな身体を小さく丸め、いわゆる体操座りをしていた。
まだ外は明るいが十八時を回っており、いろはと千鶴は二時間程前に帰宅している。先程まで一緒に夕食を食べていた楓と葉月は既に部屋へ戻っていて、両親もリビングには居ない。その為現在リビングに居るのは紅葉だけだ。
リビングで独り膝を抱えた紅葉。だが正面のテレビは沈黙。一見いじけているようにも見える体勢ではあるが、別に拗ねていて誰かから声が掛けるのを待っている訳でもない。ただ携帯電話を弄っているのだ。
「…………」
黙々と、携帯電話を両手の親指で操作する。久し振りに使っている事もあって、その手付きは中学生の少女にしては少々ぎこちない。
一旦手を止めテーブルに置かれたホットミルクに口を付け、再び画面に戻る。
使っているのはネットの機能。食後の休憩がてらマジックガンナーの情報を調べようとしているのだ。
部屋でパソコンを立ち上げれば良いだけの話だが、それだと区切りをつけ辛くいつまでも弄ってしまいそうなので、この一杯のミルクを飲み終えるまでと決めていた。
(……やっぱり掲示板かな)
どこで情報を集めるか、まとめサイトにするか僅かに逡巡するが、よくある質問にも、集まった情報もまだ纏まってないのではと考え止めにし、お気に入りに登録している掲示板のURLを開いた。画面に乱立している大量のスレッドが表示さる。
それらは当然魔法少女おんらいんのものだけではない。海外産の有名タイトルに国産RPGのオンライン版、いつサービスが終了してもおかしくないと言われ続けはや云年、なんてものまで様々なネットゲームのタイトルがずらりと並んでいる。
その中から紅葉は携帯電話のボタンをぽちぽちと、いつものキーボードと違いゆっくりしたペースで弄り、魔法少女おんらいん関連のスレッドを探していく。
(んー……、先ずは雑談スレ、かな)
紅葉もプレイしているサーバーのプレイヤーたちが集まる『魔法少女おんらいん ウノ鯖』に、召喚クラスのプレイヤーが情報交換したり質問に答える『魔法少女おんらいん 召喚スレ』や、パンツァーやヴァルキュリエやファイター等のプレイヤーが集まる『魔法少女おんらいん 近接スレ』など、複数の関連スレを一先ず無視して決定ボタンを押した。
ちなみに召喚スレはネクロマンサーとサモナー共有スレッドである。しかし少々過疎が進んでおり他に比べ書込みは疎らだ。紅葉も確認してはいるが、書込みはしないROM専なので偶に覗くだけで十分追えている。
そんな幾つもあるスレッドの中で紅葉が開いたのは『魔法少女おんらいん 雑談スレ』だった。関連スレッドの中でも特に勢いがあり、話題は非常に雑多だが今は旬のマジックガンナー中心だろうと考えての事だ。
(お、やっぱりマジックガンナーの話多いなぁ)
ぱっと目を通すだけで、幾度もマジックガンナーやマジガナという名称が目に付く。それを頭から見ていく事にする。
(銃は謎武器過ぎる……? ふむ?)
マジックガンナーの話題を読みながら少しずつスクロールして行く。
次第に紅葉はその作業に集中していった。
過去ログを見たり他のスレッドを見ている内にホットミルクの存在は忘れられ、結局洗い物を終えた雪菜がリビングに現れるまで掲示板を見ていた。
その時ミルクが、すっかり冷めていたのは言うまでもない。




