二十六話 こんなはずじゃない
西ザルツ砂漠を抜けるとそこは白い浜辺、青く透き通る海、ユーラン海岸に着いた。
ここは基本的に東のエリアに近付かないとアクティブなモンスターは出ないので、紅葉は風景を楽しみながら海岸沿いにスクルトを走らせている。
短い間に上がったり下がったりと忙しかったテンションも、三分ほど走り、簡単な木製の柵に囲われた小さな集落が見えて来た頃には少し落ち着いていた。
(漸くかぁ)
移動ポータル(門)に入るとそこには簡素な住宅が数軒建ち並ぶ集落。数人のNPCの他に、おそらくは同じパーティと思われる五人のPCがオープンチャットで会話をしていた。
紅葉はスクルトを操作すると彼等を横目に波打ち際にある結構大きな、全長二十メートルに届かないくらいの木製の帆船へ足を運び、船尾に腰を掛けているNPCに話し掛けて船に乗った。
ハイン遺跡が存在するのは離島である。もう目と鼻の先といえる距離まで迫ってはいるが、まだもう少し掛かる。
船に乗るとスクルトを船尾に座らせた紅葉は、背もたれにもたれ掛かりながら、すっかり冷めたホットミルクを飲み渇いた喉を潤す。思わぬ事で汗をかいていたのでいつもより心なしか美味しく感じられた。
(まだ、かな)
紅葉は時計に目をやりぼうっと考えるが、船はすぐには動き出さない。
この船はハイン遺跡以外に何もないジェラ島を行き来する船で、十五分に一便決まった時間にならないと出航しないのだ。おそらく集落に居た五人組のパーティはスクルトより早くに到着し、出航を待っているのだろう。
スクルトが船に乗り込んでから一分ほど経った頃、その五人組も船に乗り込んできた。集落に居た時と同様オープンチャットで楽しげに会話をしながら船上を歩いている。
(う、うー……)
紅葉は船尾に座らせているスクルトを心持ち外に向かせた。和気あいあいとした雰囲気のパーティに対し、一人気まずくなっているのだ。
航海時間は約十分。モンスターも出ないので退屈かも知れないが長過ぎはしないだろう。しかし紅葉には今からの十分が非常に長く思えた。
紅葉がこれほど嫌がるのには理由がある。
それは以前、ハイン遺跡にやはりソロで向かっている時乗り合わせたプレイヤーにパーティに誘われたのだが、過去の経験から即席パーティには参加しなくなった紅葉は断った。それでもしつこく誘われて何度もパーティ申請を送られたりと非常に辛い十分間を経験した事がある。その時はどれほど転移スクロールを使用して街に戻ろうかと悩んだものだ。
他にもナンパ紛いに声を掛けられた事もあり、逃げ場のない十分は少々精神にくるものがある。
勿論紅葉も今一緒に船に乗っているパーティの人間がそういったタイプではないと思いたいが、どうしてもネガティブに考えてしまうのだった。
(あぁ……、船に乗っている間だけは彫像になりたい。そう、今から私はただの彫像! 役になりきるのよ!)
モニターの前でクワッと表情を作る紅葉。先ほどのモノマネの失敗で懲りてないのか、以前雪菜に借りて読んだ某演劇少女マンガごっこをする。結構余裕はあるらしい。
それから約二分後、船が砂浜を離れ島へ向かって動き出した。
紅葉はスクルトの視点を操作して、目の前に広がる青い海を見て時間を潰す。
(浅い、なぁ)
ユーラン海岸を離れて暫く経ってもハッキリと見える海底を見てそんな事を思う。
(これなら歩いて島に渡れそうなのに。それよりも船の底擦らないのかな?)
紅葉も漸く緊張も解れてきたようで、それなりに楽しんでいた。
ちなみにPCの移動速度が二段階落ちるものの、場所によっては海に侵入する事は可能だ。但しここは侵入不可エリアなので、船に乗らずに島に渡る事は勿論、たとえ飛行可能クラスであろうとも船から降りれない。
もしも途中下船(?)するなら転移する以外に方法はない。無論それをすると島からも海岸からも遠く離れてしまうが。
そうやって斜め後方を向いて固まったまま十分を過ごし、幸いにも五人組が絡んでくる事もなく平和な船旅であった。
島に到着すると、強制的に船から降ろされるのだが、そこは五人組の隣り。毎回の事ではあるが、あまり紅葉の心臓に優しい仕様ではない。
紅葉は直ぐにスクルトを操作――、せずに五人組の様子を伺う。
(……直ぐには動かないのかな? お喋り始まったし……じゃあお先に)
五人組が直ぐには動かず会話をしているのを見てスクルトをハイン遺跡へ向け走らせ始めた。以前他のパーティと同じ船に乗り合わせた時に一緒に動き出してしまった事があり、並走してしまい独り気まずい思いをした事があるので慎重になっている。
この島へ来る目的の大半はハイン遺跡。ルートはほぼ一直線なため少なくとも迷宮の入口までは並走する事になる。悩むなら途中で止まるなり横道に逸れるなりすれば良いものを、不自然だよなぁと考えてしまいできなかった。また、少しずつコース取りを失敗したかのように距離を取るなりする事も、気まずさに焦る過去の紅葉には考えつかなかった。
スクルトは背の高い椰子の木にハイビスカス、その他色彩豊かな花々が咲いているまさに南国の島といった風景の中を進んで行く。
小さなジャングルといった雰囲気だが道はそれほど狭くはなく、モンスターもそれほど同時に湧かないので進み易い。むしろ所々道の真ん中に生えている木々を壁にできるので戦闘は回避し易い。島のモンスターの経験値はハイン遺跡と比べてやや劣る程度なので悪くはないのだが、ドロップは二段三段劣る。苦手な飛行タイプもいるので紅葉にはここで戦う理由は一つとしてなかった。
全てのモンスターを回避し五分ほど走ると、大きな二本の石柱と、その上に同じような石柱を乗せただけの簡素な門が見えて来た。スクルトはその門に飛び込みエリアを切り替える。
そこは今までとは少し様子が異なり、簡素な石畳とおよそ十メートル毎に先程くぐった石の門のようなものが並んでいて、雑な造りの石畳の隙間からは芝や小さな花が除き、石の門には成長した蔓が巻き付いている。
モンスターの出現しないこのエリアを二百メートルほど進むと石造りの遺跡の入口が見えて来た。壁にはびっしりと苔が生え石の部分はあまり見えない。入口から覗く内部には明かりなどなく、まるで底のない穴が空いているようにも見えた。
(よし、それじゃあ早速入ろうかな)
紅葉はコースターに置いたカップを手に取ると唇を湿らせるようにほんの少しだけ冷めたホットミルクを飲み、再びコントローラーを握る。その時だった――。
[運営からのお知らせです]
(おや珍しい)
運営からログイン中の全プレイヤーへ発信されたメッセージだ。紅葉は手を止め、続きを待った。
[現在発生している不具合を修正するために、14:00から緊急のメンテナンスを行います]
[ユーザーの皆様にはご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします]
[なお、メンテナンス終了の時刻は16:00を予定しておりますが、状況により変更する場合があります]
(な、なんだって……)
運営からのメッセージはまだ、具体的には五分前にはログアウトして下さいといった話が続いてはいるが、紅葉の頭にはあまり入って来ず、肩を落とし溜め息を吐いた。
昨夜は翌日が休日だからと夜遅くまで狩りをしたものの眠気に勝てず、九十九%まで稼いだあたりで無意識のうちにコントローラーを前へ倒し壁へ向かって走るスクルトを見てギブアップ。今日ログインして五十分近く掛けて狩り場にたどり着いてみると、入口に到着したところで緊急メンテナンスの知らせだ。お預けに溜め息も出るだろう。
(十四時ってあと十分もないよ)
紅葉は時間を確認し脱力したように椅子の背もたれにもたれ掛かると、再びカップに口をつけ十秒ほど天井を見上げていたが、起き上がりEscキーを押してログアウトの手続きを始めた。
(まぁ、仕方ないよね……)
魔法少女おんらいんを終了させた紅葉は、パソコンの電源は落とさずにふらふらとベッド俯せに倒れ込むと、もう一度大きな溜め息を吐く。
仕方のない事だと頭では分かっても、どうしてもテンションの下がってしまう紅葉だった。
あれから五分ほど、枕を抱えベッドの上でゴロゴロと転がっていた紅葉だったが、気を取り直したのか立ち上がりパソコンの電源を落とし、まだ中身の半分残ったカップを持って部屋を出る。
(前向きに考えよう、うん。もう狩場には着いてるんだらかインしたら直ぐレベル上げれる。うん、前向き前向き。……多分メンテ延長されると思うけど……)
前向きになりきれていないようだが、紅葉なりに前向きに考えようとしている。紅葉は気分転換しようと階段を下りリビングへ向かったのだった。
◇
現在の時刻は十六時過ぎ。紅葉は今度はアイスコーヒーを手に部屋へ戻った。
あれからリビングでTVを見ていた父親と、紅葉同様緊急メンテナンスで手持ちぶさたになってリビングに来た楓の三人で、古代ローマ時代の要塞都市がモデルの世界的に有名なドイツのボードゲームをして過ごした。
父親は娘たちとする趣味の一つであるボードゲームに大いに喜び終始ご機嫌で、紅葉もそんな父親にメンテナンスで暇になったせいでプレイする事になったボードゲームだったが悪い気はせず、むしろ大いに楽しんで過ごした。
アイスコーヒーをコースター代わりの灰皿の上に置くとパソコンを立ち上げ、魔法少女おんらいんのアイコンをクリック――、しようとして思い止どまると、ブラウザを開き公式ホームページへ飛んだ。
(あー、やっぱり)
トップには大きくメンテナンスの延長を告げる文章が書かれている。これまでこういったメンテナンスが予定通りに終わった覚えはないし、一緒に二階に戻った楓も、まだだろうけどねぇと苦笑いしていたので想定通りではあるが、少し期待する気持ちがあったのも確か。紅葉の口から小さな溜め息が漏れた。
(んー、どうしようかな)
延長されたメンテナンスがいつ頃終わるかはわからないが、紅葉のこれまでの感覚からいうと少なくとも一時間は延びるだろうと予測した。
時計の針が指しているのは十六時十五分。日曜日で夕食はいつもより早くなる可能性は高く、ひょっとすると十七時半前に呼ばれるかも知れない。そうすると一時間、なにをして過ごすか紅葉は部屋を見渡す。
(うーん、読み掛けの小説……、でも昼休みの暇潰しに取って置きたいなぁ)
鞄の中には学園の図書室で借りた現在読み掛けの小説があり、読了まではおそらくあと一時間といったところ。続きも気になり丁度良いのだが、できれば退屈な昼休みのお相手に取って置きたいところだ。
学園でよく本を読んでいる姿を目撃されている紅葉は周りから愛読家、文学少女と見られ、相当読んでいると思われているのだが、実際は学園で読んでいるのがその大半で家ではそれほどでもない。
確かに読書は好きなのだが暇を見付けて、というほどではなくむしろ暇を潰す為のものなのだ。
今も十分暇しているが、優先されるのは学園。できるなら正直なところ見飽きてきた窓からの風景よりも本を読んで過ごしたい。それに家なら他にできる事はあるのだから。
数分間髪を弄りながら本棚や机の上のパソコン等を見ていた紅葉だったが、机上のコルクボードに貼ってある時間割りを眺めながら机上ラックから教科書とノートを抜き明日の授業の予習を始めた。
(今の内にしておけば夜自由だわ)
ここで予習となるのも紅葉らしいが、動機がネットゲームなのもまたある意味紅葉らしかった。
それから一時間後、いつもより少し長めにゆっくりと予習を終えた紅葉はついでに明日の授業の準備を済ませる事にして、再び時間割りを見て教科書らを鞄に入れてゆく。
(あー、そうだ明日の体育……)
明日は週に三度ある内の初日の体育があり、今年度の水泳の授業の開始日でもある。
(お母さんには先週言って準備して貰ってるし大丈夫だよね)
先週去年使用したスクール水着のサイズを確認した際に、タオルやスイミングキャップ等についても準備をお願いしている。ちなみにサイズはキツくなっており購買で購入済みだ。勿論、といっていいのか分からないが、キツくなったのは縦だ。
(そっか水泳かー。今週はちょっと大変かも)
水泳の授業は期末考査の日を除き一学期の終了まで週三回の体育の内二回行われる。しかし今週だけは例外で、期末考査で削られた一回分が今週に繰り上げられるせいで今週だけ三回水泳の授業があるのだ。
紅葉は水泳が得意というわけではなく、入る前も後も色々と手間の掛かるし、いつもの体育以上に体力を使うので大変だと思うのも無理はないだろう。
サボる気はない、というか紅葉にはその発想すらないが、休めば夏休みに休んだ分だけ補講があるので紅葉でなくとも水泳の授業を憂鬱に感じている生徒は多い。むしろ紅葉はどちらかと言えば気楽に考えているほうだ。
紅葉は自室に置いていない、着替える時に身体に巻く、巻きタオルやボタンタオルと呼ばれるもの等以外の準備を終えると、確認も兼ねて早めに一階へと向かった。
ダイニングに入ると雪菜がテーブルに料理の盛られた皿を並べていた。どうも丁度良いタイミングだったようだ。紅葉は手を洗うと手伝いながら、先程思い出した水泳の事について話し、朝食の時に出して貰うようにお願いしたのだった。
◆
十八時過ぎに夕食を食べ終えた紅葉は今度こその思いでパソコンに向かっていた。
水泳の事を考えていたので予習後に確認し忘れていたが、夕食を食べている時に楓に聞いたところによると、十七時半の時点ではまだメンテナンスは終わっていなかったらしい。
(でもそろそろ……)
十六時にホームページで確認した時以上に期待しつつ、再び公式ホームページを開いた紅葉。しかし無情にもトップにはまだメンテナンス中である旨が表示されている。
紅葉はがくりと肩を落とすとぼうっと天井を見上げた。
(あと一%(ぱー)なんだけどなぁ。意地悪されている気分ですハイ)
本日何度目かわからない溜め息を吐くと、アイスコーヒーを口に含んだ。
(何してよう……)
暫く椅子にもたれ掛かりながら脚をぶらぶらとさせていた紅葉は、ふと立上がり部屋を出た。行き先は同じ二階にある楓の部屋だ。
「お姉ちゃーん」
「はいはい、開けていいよ」
ノックしながら声を掛けると返事は直ぐに返って来た。紅葉はドアを開き楓の部屋にお邪魔する。
「どうしたの? ってメンテで暇なんだよね」
「う、うん」
ベッドに腰を掛け膝の上に乗せたファッション誌を見ていた楓はニヤリと笑みを浮かべて言い、なんとなく気恥ずかしく感じた紅葉はどもってしまう。
「お風呂空いてないしねぇ」
「うん」
夕食後直ぐに葉月がお風呂を洗いに行っていたのでお湯が溜まり次第入る事は容易に想像できる。
「それで何かないかなー、と思って……」
「んー」
唇に人指し指の腹を当てながらアヒル口のようにして少し考えていた楓は、ベッドの横に置いてあった紙の手提げ袋を紅葉に渡した。
「それ、いろはに借りたマンガなんだけど読んでみる?」
「いいの?」
「うん、私はもう読み終わったし、よかったら紅葉ちゃんにもっていろは言ってたし」
「ありがとう」
紅葉は笑顔を浮かべ礼を言うと、手提げ袋を覗き込んだ。そのマンガはポップな色使いの、如何にも少女マンガといった外見をしている。
「葉月がお風呂上がったら多分知らせに来るし、次紅葉ちゃん入っていいからそれまで読んでたら?」
「うん、ありがとう。ここに居て良い?」
「いいよいいよー」
楓はそう言いながら手招きすると、離れたところに置いてあったクッションをベッドの近くに置き、軽く叩いて紅葉を呼んだ。
紅葉はもう一度ありがと、と礼を言ってそのクッションの上に座りベッドにもたれ掛かると、袋から一巻を取り出し表紙を見る。
(園児と高校……生? イラスト可愛いな)
表紙は好感触、だったが――。
(でもすごい年の差カップルだなぁ)
背表紙に書かれたあらすじを読まなかった紅葉は大いに誤解していた。少女マンガの表紙のふたり=カップリングと認識したらしい。
(付いていけるかな……)
少し不安に思うも、なんの疑いも持たずに表紙をめくる紅葉だった。




