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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第七章

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第5話

 あっという間だった。

 拠点にいた『夜鷹』のメンバーは、ほとんどがクインタスの手にかかり、事切れている。リーダーの男は、いつの間にか姿を消していた。敵わないと知って、一瞬で逃げる選択をするのは、裏社会に生きるねずみの本能だろうか。頭のいい男だ。


 クインタスは、宿で休むカエが逃げたリーダーに狙われるかもしれないからと、一度街へ戻った。その間、僕はアリスの肩を魔力循環の応用で治療している。


 クインタスはすぐにカエを連れて戻ってきて、拠点の入り口で待つ僕らと合流した。


「――この人たちはどうする?」


 僕は先ほどから不安そうに、ちらちらとこちらを窺う視線に耐えかね、クインタスに尋ねた。僕らが連れられてくる前から囚われていた者たちの処遇についてだ。


「街までは送り届けてやる。そこからは自分で帰れるだろう?」


 クインタスが集団に向かって問いかけた。頷く者もいたが、何人かは困ったように顔を見合わせた。それはそうだ。まだ幼い子供もいるのだから。

 とはいえ、お尋ね者の僕らには一人一人を家に帰している余裕はないし、ここらは国境の近くの辺鄙な地だから、巡察隊だって来ないだろう。


「――俺たちはこれからオーベルト自治領へ入る。ついてくるなら、そこであなた方の保護を頼んでもいい」


 クインタスは、やれやれといった様子でため息を吐いた。意外にも、できる範囲で彼らの面倒を見るつもりらしい。

 意外……でもないか。さっきの恐ろしい姿からは想像もできないが、ラズダ書房の店主をやっていた頃は客に対してそれなりに丁寧に接していた。


 結局、家に自力で戻れる者が半分、もう半分は連れていくことになった。『夜鷹』の拠点にあった荷馬車を二台借り、攫われていた者たちも連れて街へと戻った。


 追っ手が来るかもしれないから急いだ方がよさそうだ。夜明けまでまだ時間はあるが、僕らは街を出た。


 夜が明けきらぬうちに、僕たちはオーベルト公国――グラニカ王国の北辺に置かれた自治領へと足を踏み入れた。


 この地は、王国本土とは空気からして違う。街道に沿って点在する集落は素朴で、石垣の家々は頑丈に積み上げられ、寒冷な気候に備えている。

 所々に残る古い祠や風化した彫刻は、この地がグラニカ建国以前から独自の文化を持っていたことを物語っていた。


「……王国というより、別の国みたいだ」


 僕は馬車の幌から外を覗きながら呟く。

 王都の洗練された石畳や、整然と並ぶ魔力灯の街並みとは全く異なる風景だった。ここには、中央の権威から距離を置いた、誇り高い辺境の民の暮らしがある。


「オーベルト家は王国より古い。建国に協力してはいるが、この地の統治権は、どこまでも自治領だ」


 クインタスが馬車を操りながら、簡潔に説明した。


「彼らは王都を信用していない。特に、アヴェイラムのことは」


 その言葉に、僕は口をつぐんだ。

 オーベルト家とアヴェイラムの確執は、教科書にも載っている歴史だ。遡れば建国時代の派閥争いにまで行き着くという。

 ただ、二年前の事件が二つの家の関係をさらに複雑にしたことは、僕もよく知っていた。


 オーベルト令嬢、アンジェリカ。

 僕の生徒会の後輩だった少女。

 彼女は二年前、王都で誘拐され、殺害された。

 犯人を追い詰め、討ち取ったのは僕とヴァンだ。その功績を認められ、僕は女王陛下から直々に『勇気勲章』なる勲章を戴いた。

 そして、その事件を契機に、アヴェイラムの新事業である乗合馬車が一気に普及した。


 悲劇を利用して、利益を狙う。

 それが悪いとは言わない。乗合馬車のおかげで、王都の交通が大きく改善されたし、庶民が安心して移動できるようにもなった。


 ただ、それなりに交流のあった後輩の死は僕のようなやつでもさすがに堪えたし、彼女の親友だったリーゼが酷く憔悴していたのを見ていたから、なんとなく嫌なやり方だと思っただけだ。


「ロイ君、顔色が悪いけど」


 アリスが心配そうに声をかけてくる。彼女の肩の傷は治療のおかげでだいぶ良くなったが、まだ完全には動かせないらしい。


 彼女もよくわからない人だ。僕になんらかの隔意があってもおかしくないはずだ。なぜなら迎賓館の事件のとき、僕は全力の雷魔法で彼女の背中を文字通り焼いているのだから。


 あの状況で、僕にできる最善の選択だったと今でも思っているが、こうして行動を共にするようになって、罪悪感のようなものが芽生えつつあった。


「うん?」


 僕がじっと見ていたからか、アリスは不思議そうに首を傾げた。


「……背中の傷は、治ったのか?」


「背中……あー、君にやられたやつ? 見せてあげよっか」


「え」


 アリスは背を向け、躊躇なく服をたくし上げて素肌を見せてくる。そこには痛々しい火傷(やけど)の痕があった。

 僕が何も言えずにいると、アリスはこちらに向き直り、苦笑を浮かべた。


「べつに恨んでないわ。君は悪党を退治しただけだもんね。そんなに不便もしてないし。まぁ、ちょーっとだけ諜報活動がやりにくくなったけどね」


 アリスは安心させようとしたのか、ぱちんとウィンクを飛ばしてきた。


「……べつに僕も気に病んでいるわけじゃない」


 僕は首を振り、幌の外に視線を戻した。






 * * *






 馬車が坂を登り切ると、視界が開けた。

 眼下に小さな街が広がり、その中心に、ひときわ大きな屋敷が見える。ベルナッシュにあるアヴェイラムの本邸も相当な大きさだと思ったが、ここのはそれを上回る壮大さだ。

 古城のような堅牢な造りであり、塔がいくつも空を突いている。黒みがかった石壁は、長い歴史を経て苔むしていた。


「あれがオーベルト家の本邸だ」


 クインタスが馬車を止め、荷台の方を振り返る。


「……なあ、店主」


 僕は以前から気になっていたことを尋ねた。


「オーベルト家へ行くと言っていたけど、どんな繋がりがあるんだ? まさか、殴り込みに行くわけじゃないだろう?」


 王都で指名手配されている連続殺人鬼が、どういう経緯でこの立派な家と懇意になるのだろうか。

 クインタスは眼鏡のブリッジを押し上げ、少し考えるように間を置いてから答えた。


「……昔、恩を受けたことがある」


 それだけだった。

 彼がそれ以上語る気がないのは明らかだったので、僕は追及を諦めた。

 クインタスは手綱を再び握り、馬を歩かせた。


 オーベルト邸の門は、王都のどの貴族の屋敷よりも古めかしく、そして威圧的だった。

 門柱には家紋が刻まれ、門扉には鉄製の装飾がびっしりと施されている。まるで、訪問者を値踏みするかのように。

 門番が二人、槍を手に立ち塞がる。


「止まれ。何者だ」


「オーベルト公に恩義があり、この領への通行を許されている者だ。カノイの兄妹が来たと伝えてくれ」


 クインタスは馬車から降り、門番に向かって淡々と名乗った。

 門番の目が、僕たち――荷台に乗る僕、アリス、カエ、そして攫われていた人々――を見回す。


「……少々お待ちを」


 一人が門の奥へ駆けていった。

 僕は居心地の悪さを感じながら、屋敷を見上げる。

 本当に平和的に中へ入れてもらえるのか? 戦闘になったとしてもクインタスならそうそう負けないとは思うが、不安は消えない。

 無事、中に通されたとして、この家の当主は僕のことをどう見るのか。

 アンジェリカの仇を討った恩人か。それとも、彼女の死を利用したアヴェイラム家の不届きものか。


 しばらく待つと、門が軋みながら開いた。

 門番が戻り、恭しく頭を下げる。


「当主がお待ちです。どうぞ、中へ」


 そう言って、僕たちを屋敷へと案内した。

 

 オーベルト家の敷地は広大だった。

 手入れされた庭園を抜け、石畳の通路を進む。使用人たちがちらちらとこちらを見ているが、直接話しかけてくる者はいない。


 やがて、屋敷の玄関に着いた。

 そこには、一人の壮年の男が立っていた。

 白髪を後ろに撫でつけ、深い皺が刻まれた顔。だが、その目には鋭い光が宿っている。杖に手を置いてはいるが、背筋は真っ直ぐに伸びていた。


「……久しいな、カノイの」


 さっきも聞いたが、カノイとはなんだろう。クインタスの苗字? それか出身地の名前か。そもそも僕は彼の名前も知らないことに、たった今気づいた。クインタスだって王都で勝手に呼ばれている通称だ。

 老人――おそらくオーベルト家の当主――が、クインタスに向かって声をかける。

 その声には、懐かしさと、かすかな哀しみが混じっているように聞こえた。


「お久しうございます、閣下」


 クインタスが頭を下げる。


「お前は変わらんな。あの頃と同じ顔をしている」


 当主は一つ息を吐き、次に僕の方を見た。

 その瞳が、静かに、しかし深く僕を射抜く。


「……そして、ロイ・アヴェイラム。君の顔を見るのは式典以来か」


 式典以来――そうか。

 この人の顔を、どこかで見た気がしていた。


 僕とヴァンが誘拐犯を打倒し、女王陛下から勇気勲章を戴いたとき、あの広間で、喪章をつけた男がずっとこちらを見ていて印象的だったことを思い出す。


 あのときの彼がオーベルト公だったのか。

 当主の視線が、僕の左胸――かつて勲章を留めた位置に、わずかに落ちた。


「はい。お会いできて光栄です、オーベルト公」


 僕は貴族らしく一礼した。心臓が激しく脈打っている。

 後ろめたさだ。あの事件で名を上げた僕と、孫を失った人。

 彼の視線が責めているように感じて、胸の奥が痛んだ。


「二年前、娘の仇を討ってくれたことには礼を言おう」


 当主はゆっくりと頷いた。


「あれ以来、王都の治安は――一部の例外を除いて――ずいぶんと良くなったらしい」


 オーベルト公は、ちらとクインタスの方を見た。クインタスが起こした事件を除けば、たしかに王都は随分と安全になった。


「巡察隊もそうだが、君が始めた送迎馬車も一役買っていると聞く」


 彼は穏やかな顔で言った。

 だが、次の言葉で、空気が微妙に変わった。


「――そして、君の家のおかげでもある」


 当主は杖の先で、小さく地面を叩いた。


「悲劇すらも法案と利権に変える、その手腕には、心から感服しているよ」


 皮肉の刃が、そっと僕の胸に突き刺さった。

 反論しようとして、言葉に詰まる。

 彼が言っていることは、事実だった。


「……安心しなさい」


 当主は、僕の狼狽を見透かしたように微笑んだ。


「君個人を責めているわけではない。ただ……アヴェイラムという家が、実に有能(・・)だと言っているだけだ」


 その言葉には、敵意ではなく、諦観と深い疲労が滲んでいた。長年アヴェイラムと睨み合いをしてきた者の苦い達観か。


「さあ、立ち話もなんだ。中に入りなさい。今夜は客として歓迎しよう。話は座ってからだ」


 当主は踵を返し、屋敷の中へと歩いていった。

 僕はその背中を見つめながら、言い知れぬ重さを感じていた。


 アンジェリカのことを思い出す。

 彼女は、この屋敷で生まれ育ったのだ。

 そして、王都で命を落とした。


 僕は何を成し遂げたのだろう。

 本当に誰かを救えたのか?

 それとも、彼女の死すらも、僕と僕の家の前では、ただの道具に過ぎなかったのか?


 答えのない問いを胸に抱えたまま、僕はオーベルト公の背中を追った。


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