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8歳から始める魔法学  作者: 上野夕陽
第六章

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第29話


 僕は学園が休みの日にグレイリッジ精神病院を訪れた。受付にはいつものナースがいた。今日も奥の部屋には巡察隊が控えているのだろうか。

 クインタスの妹の面会に来たことを伝えると、彼女は鍵を持って僕を先導した。



「僕の他に面会に来た人はいますか?」



 僕は前を歩く背中に向かって声を投げかけた。



「あの子のお兄さんはしばらく来ていないわ。アバグネイルさんはよく来るけど」



「そうですか」



 クインタスは事件を起こした日にここを訪れることが多いとベイカー警部は言っていた。リビィ家を襲った日を最後にクインタスは沈黙しており、今は次の事件を待つしかないという状況だ。



 目的の部屋に到着し、ナースが扉を開けた。少女はベッドの端に腰掛け、魂が抜けたような表情で、視線だけを動かして書見台の本の文字を追っている。これは自発的に本を読んでいるのではなく、正常な頃によく行っていた行動をなぞっているだけだという。



「今日はどれくらいいるつもり?」



 ナースに聞かれ、僕は返答に詰まる。今日ここに来たのはなんとなくだった。この少女が気になったのだろうか。それとも、この前みたいにリアムの面会に来たウェンディに偶然会うのを期待したのか。



「……決めてません」



「そう。だったらしばらくいればいいわ」



「この部屋に、ですか?」



「ここはとても静かだから」



 静かとは言っても、何もやることがない。しかし、来てすぐ帰るというのも気が引ける。ルビィの小説でも読もうか。馬車に乗っている間に読もうと持ってきたものだが、少しだけこの部屋で読んでいってもいいかもしれない。



「それじゃあ、少しだけ」



「私は部屋の外で待ってるから」



 ナースは僕を残して部屋を出た。部外者を患者と二人きりにしていいのだろうか。巡察隊の捜査の協力者という立場だから信頼されているということかもしれない。

 部屋の隅に丸椅子があったから、僕はそこに座った。クインタスもこの椅子に座って少女に語りかけるのだろうか。想像できない。

 僕は鞄から紙束を取り出し、続きから読み始めた。






 少しだけ読んで帰るつもりが、ページを捲る手が止まらず、読み切ってしまった。驚くほど集中していたみたいだ。

 小説の内容は、救貧院育ちの少年が成り行きで窃盗団に入ることになり、不幸になっていく話だった。物語の後半では、窃盗団のリーダーとなった少年の周りで仲間たちの不審死が多発し、団の内部で少年への不信感は募っていく。最後には、警察の策略により少年は貴族殺しの罪を擦り付けられ、仲間にも民衆にも無実を信じてもらえないまま公開処刑されてしまうのだ。

 窃盗団は内部分裂により弱体化し、自然消滅した。街にも平和が訪れた。視点が違えば勧善懲悪ものだ。しかし、この小説は少年の視点で話が展開されるから、読後にはなんとも言えない苦さが残った。



 この主人公はまるでリアムのようだ。いじめっ子グループはリアムの暴走で内部崩壊し、消滅した――ということになっている。学園には彼らがいなくなって悲しむ者はいない。誰もが望んだハッピーエンドだった。真相は別のところにあることを僕は知っているが、それを公表したところで誰に得があると言うのだろう。

 ふと、ウェンディの顔が思い浮かんだ。リアムの無実が証明されればウェンディへの風当たりは弱まるだろう。ならば僕は、彼女のために真実を白日の下に晒すべきか?

 僕は首を振り、無意味な考えを振り払った。ウェンディは言っていた。学園祭の事件の後、リアムは政府の人間に連れていかれたのだと。きっとこの問題は僕が一人で扱えるような小さなものではない。背後に王立研究所、そしてアヴェイラム派の中枢まで深く根付く複雑な問題だという予感がある。

 リアム以外の3人を殺害し、全ての罪をリアムに(なす)りつけたリリィ・リビィは、きっと捕まることはない。



 彼女の動機は……やはりルビィのいじめなのだろうか。

 リアムたちのルビィに対する言動ははたから見ても目に余るものだった。ルビィを溺愛する彼女は、彼女なりの方法で――多少行き過ぎてはいたが――ルビィの敵を排除したのだ。

 魔力視で見たとき、リアムもデズモンドも目の上のあたりに淡い光が見えた。おそらくあそこに埋め込まれていた何かがアンテナの役割をしていて、命令を受信しているのだろう。

 リリィはもともとは魔力糸を用いて人形を操作していたらしいが、僕の魔力波の研究を応用して遠隔操作を可能にした。舞台でデズモンドが死んだとき、僕の目には、彼の目の上のあたりから広間の外に伸びる光の糸が見えていたが、あれはまさに魔信の送信機と受信機が繋がるときに発生する光だった。

 あのときリリィは、デズモンドの体を操作するために舞台の上の様子をどこかから見ていたのかもしれない。



 母親の愛……か。

 エルサならどうするだろう。僕が窮地に立たされているとして、手段を選ばずに助けてくれるだろうか。

 少し考えてみたが、そんな彼女の姿はまるで想像できなかった。

 まあ、そもそもエルサにそんなことを期待してはいないのだけど。ルビィとリリィのような不健全な親子関係を望むなんておかしな話だ。

 ……でも、いつだって味方でいてくれる人がいるというのは、きっと心強いことなんだろうな。



 紙束に落ちていた視線を上げると、書見台の本は閉じられていた。少女は裏表紙をじっと見つめたまま動かない。

 僕は伸びをしてから、立ち上がって書見台のところまで行く。彼女が読んでいた本のタイトルは『おかしなペトラ』。外国の有名な小説だったと思う。たしかシリーズ化していたはずだ。



 部屋の本棚――クインタスが持ち込んだらしい――から『おかしなペトラ』の続編を探す。



「これか」



 僕は本を本棚から抜き出した。そして、それを書見台の本と入れ替える。すると、少女は表紙を開き、最初のページから読み始めた。



「君は、よほど本が好きなんだな」



 やはり彼女は僕の声に反応を示さない。



「君の兄は、君をこんなふうにした人たちに復讐をしているのか? もしそうだとしたら、僕の母もそのことに関わっているんだろう。僕はどういう立場を取るべきなんだ?」



 この頃、反魔運動が過激化している。『境界の演劇団』は反魔主義を掲げたまま活動してもいいのだろうか。演劇団を結成したとき、僕はクインタス打倒を目指していたと思う。反魔主義はその副産物だった。ペルシャの思惑はわからないが、少なくとも僕はそんな大層なことは考えていなかった。『希望の鐘』を鳴らしてからは、もう完全に反魔主義の代表的なグループという扱いになっている。それに――。

 僕は少女の顔をじっと見る。クインタスの妹だとされている彼女は、目の色が珍しい金色をしているくらいで、明らかに人間に見える。ナースの話を聞いても、服の下におかしな特徴は見られないらしい。だとすれば彼女は魔人ではないということになり、したがってクインタスも魔人ではないのではないか?

 魔物の暴走は魔人の仕業だとか、クインタスは人間領に送り込まれた魔人だとか、いろんな噂があって、新聞でもそれらがまるで事実であるかのように報道されている。

 僕ら王国民は、反魔主義の思想を植え付けられているのではないか。そんな恐ろしい考えが頭に浮かんだ。



「エルサは――ええと、エルサっていうのは僕の母のことだけど、ひどい母親なんだ。僕が8歳になるまで、まともに会話をした記憶がない。でも最近はそんなにひどい人じゃない。関係を修復したいと思っているのは僕もわかるんだ」



 少女がページを捲った。



「王立研究所はきっと良くないことをしている。その研究にエルサは深く関わっているはずだ。もしかして君は知ってるのかな。魔物騒動を起こしているのは魔人ではなく、研究所だって。人を操れるんだから、そりゃあ魔物も操れるよな。アヴェイラムは何を企んでいるのかな。反魔主義を煽って何を狙っているんだろう。エルサはなんで……。エルサは……いい人じゃないのかな」



 当然、少女は何も答えない。聞こえているのかもわからない。僕がこうして悩みを打ち明けられるのは彼女が何も返してこないからだ。



「君の兄はいい人か?」



 少女のページを捲る手が一瞬止まった――ような気がしたが、気のせいだったかもしれない。少女はすぐに次のページを読み始める。



「はぁ、僕はいったい何をやってるんだろうな……。もう帰るよ」



 僕は少女に背を向けて歩きだした。ドアノブに手をかけたそのとき、廊下が騒がしくなる。



「こんにちは、お兄さん。今日もお見舞い?」



 ナースの声がした。お兄さん――ということは今外にいるのはクインタス……?

 心臓が大きく跳ねる。ドアノブからそっと手を離し、後ずさる。



「そうじゃないことはわかっているだろう? そこをどけ」



「あら、いつもの丁寧な口調はやめちゃったのかしら」



「大人しくしていれば怪我をすることはないだろう」



「はぁ、仕方ないわ。これ以上は私の仕事の範囲外だもの。――先客がいるけど、どうか気にしないであげてね」



 ドアが乱暴に開けられる。僕は魔法剣を生成し、構えた。

 現れたのは、金色の目をした背の高い男――迎賓館で残虐の限りを尽くしたあの男で間違いなかった。

 僕はその顔に何かを感じた。この距離で顔を見たのは初めてだったが、僕は彼をよく知っていると思った。いつもこの男は色付きのメガネをしていた。それは目の色を隠すためだったのだ。



「探偵ごっこは今日でお仕舞いだ、ロイ」



「――店主」



 ラズダ書房の店主であった。店主――クインタスは右手を胸の高さまでゆっくり上げた。僕は油断せずに彼の動きを注視した。

 かくん、と病室が傾いた。顎への衝撃を知覚すると同時に、僕の意識は遠のいていった。


第六章 終



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― 新着の感想 ―
WEBコミックの第27話「喪志暗転」(1)の更新日と同じ日に 原作の最新話を読み終えてしまった。なんという数奇★
本屋店主の実像が明かされましたが全方位に英明なロイがそれに気づけない訳はないですよね... 主人公ロイが8歳で全てを掌握できる能力だということが物語の根幹でしたが、2度目のクインタス襲撃後あたりから…
コミカライズから原作のこちらへ来ました ガルドの進行より先に行かないよう一時休止してましたが物語の行く末が気になって追い越してしまい勢い止まらず最後(このページ)まで読んでしまった 少年がダイエットに…
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