第十九話 屋上での決戦
良く晴れた翌日の放課後。朔は初めて足を踏み入れた校舎の屋上にて、正座のまま精神を統一していた真冬花と対峙していた。
そしてその二人を取り巻くように一夏などの生徒会役員達と、たまたま用事で居合わせた希が成り行きを見守っていた。
「あら、本当に来たのですね。てっきり怯えて逃げだすかと思っていました」
袴姿の真冬花が朔を挑発するように言葉を投げかけるが、朔も落ち着いたもので、
「その言葉そのままお返しします」
と、平然と受け流す。
「そうですか……ではご覚悟を」
真冬花は詰まらなそうに鼻を鳴らしドスの効いた声で呟くと、脇に置いていた薙刀袋を手にした。
二人の間に張り詰めた空気が被う。傍から見ても既に一発触発の雰囲気であったが、一夏が朔と真冬花の間に割って入り水を差した。
「ちょっと待て二人とも!」
「……邪魔です」
「兄さんは引っ込んでいて下さい」
「勝負を止めるつもりは無いが、ここは落下防止の柵が無いし所々に排水溝の穴もあって危険だ。武術勝負なら屋上では無く武道館でも良いだろうし、場所を変えないか?」
一夏は危険で勝負に向いていない屋上(普段は立ち入り禁止である)では無く、整備された室内での勝負を提案する。
しかし真冬花は、
「……何故です?」
と、真冬花は不思議そうに首を傾げた。
「だから屋上から落ちたりでもしたら危険だって――」
「ゲームにだってラウンドアウトが有るのですから、現実にも当然有って然るべきでしょう? 兄さんは可笑しなことを言うのですね」
病んだ目つきをした真冬花は歪な笑みを浮かべ、それがさも当然かのように笑い飛ばした。
「真冬花先輩、完全に目が据わってます……」
「朔ちゃんアレはやばいよ! 真冬花マジで殺るつもりだよ!」
「朔、死ぬの?」
真冬花の尋常じゃない精神状態に色を失う葵と佐鳥。希も少し心配そうな表情を浮かべる。
一方、朔は「まさか? 空手部にも勝てないような人に私は負けないよ」と、余裕である。
「では、そろそろ始めましょうか」
真冬花は立ち上がり薙刀袋から薙刀を取り出した。
日の光が巴型の刀身に反射しギラリと光る。その刀身は木でも竹でも無く、また刃引きもされていない本物の真剣であった。
「あれって、真剣……だよね?」
若干青ざめた表情で朔が葵に聞いた。
「……そのようだね朔ちゃん」
葵が神妙な表情で答えた。
「……アリなの?」
「昨日、得物は自由だってことに朔ちゃんも同意していたから、多分……」
「「…………」」
朔と葵の間にしばしの沈黙が流れた。そして沈黙の後、朔が急にすっきりした笑顔を浮かべ言った。
「……後のこと、希のこと、お願いね」
「さとりました! 今のセリフ死亡フラグってやつですよね!」
「朔ちゃん、覚悟完了しすぎだよ!」
朔の呟きの意図を正しく理解した佐鳥がなるほどと言わんばかりに声を上げると、葵もこの茶番に乗り遅れないようにつっこんだ。
「あはは、一回やってみたかったの!」
「……バカばっか」
そんな暢気な連中に呆れて、一人心の中で毒つく希だった。
「立会人は自分、天道和春が勤めさせてもらう。ルールは『相手を降参』もしくは『気絶』させた方が勝ちで相違は無いな?」
「ええ、問題ないですね」
「望むところです」
「最後にもう一度確認しておくが、二人とも覚悟はいいか?」
和春が最後に二人の意志を確認すると、朔と真冬花は互いを見据えて無言で頷く。
それを見た和春は得心した表情を浮かべ宣言する。
「では! いざ尋常に勝負! 始!」
掛け声とともに先に動いたのは朔だ。真冬花まで五メートルほどあった間合いを一気に詰め、真冬花の右腕関節を極めに奔る。
真冬花は右腕が獲られる瞬間、右足を左後方に大きく旋回させ朔を回避。右腕を獲り損なって上体が開いた朔に薙刀を袈裟懸けに薙ぎ下ろした。
――やられるっ!
見ていた誰もがそう思った次の瞬間、朔は僅かな動作で体をずらし薙刀を交わすと大きな弧を描いて真冬花から距離をとった。
「さすがにそう簡単には行かないかぁ」
感心するように朔が漏らす。真冬花は冷めた口調で反論する。
「あなたこそ今ので真っ二つだと思ったのですが……今度はこちらから行かせて頂きます!」
真冬花はそれまで自然体であった体勢を八相の構えに切り替え、一気呵成の勢いで朔との距離を詰めた。そして、右腕一本で薙刀を突き出す。
……速い!
朔は予想外の速さに驚きつつ、上体を横に反らし回避する。しかし、真冬花も朔の動きを読んでおり、右手一本で持っていた薙刀を懐に引き入れる要領で穂先を朔めがけて薙ぎ下ろした。
朔の目前に白刃が迫る。朔はぎょっとした表情を浮かべ、体を捻り迫り来る刃を寸でのところでかわす。髪の毛の一部がはらりと落ちる。
朔は真冬花との距離をとると嘆息した。
「……いまのはヤバかったです」
「逃げ足だけは速いようですね……それならこれはどうですか?」
真冬花は再び朔と距離を一気に詰め、片手で横一線に薙ぎ払う。
朔はバックステップで刀身を避けるが、真冬花はそこを狙い片腕で突き入れた。
だが薙刀が若干勢いに負け上滑りしたため、それをしゃがんで回避する朔。朔は好機とみて低い体勢で真冬花に迫り、腕関節を取りに行く。「ちっ」と舌打ちする真冬花だが、しかし慌てずに手首を返し薙刀を一気に縦にして、石突を思いっきり朔に叩き込んだ。
肩に一撃を貰い痛みで一瞬動きが止まった隙を見逃さず、真冬花は朔を思いっきり蹴り込んだ。
朔は吹っ飛び、転がった勢いでスカートが盛大にはためいた。
「パンチラキターー! って、中ブルマじゃん! スカートの中身は原則、純白のパンティって決まりがあるんだよ! 俺の中で! 例外は縞パンだけだ!」
「会長の言うとおりだよ! 朔ちゃん空気読め!」
「いや待て! スカートの中にブルマっていうのも中々捨てたものじゃないぞ! 何と言うかパンティにもスパッツにも無い意外性というものがだな――」
「さとりました。この変態はブルマリアンです。早く死ねば良いのに!」
「……バカばっか」
スカートの中がブルマだったので、悔しがる一夏と葵からブーイングが上がった。
朔は咄嗟にスカートを押さえた。そして、頬を赤らめながら一夏たちを睨みつけ、「勝手に見ないで下さい!」と朔は抗議するが、一夏たちには梨の礫である。
「……死合中にどこを見ているのですか」
真冬花の呟きにはっとした朔は瞬時に真冬花に視線を戻すが、次の瞬間、袈裟懸けに薙ぎ払らわれる刀身が目に入った。
……やばっ!
朔は何とか直撃を避けようと左腕で側頭部をガードする。
刃が朔の左腕を捉えた瞬間、朔は薙刀の進行方向に盛大に吹っ飛んだ。
ギャラリーからは悲鳴が上がる。
朔は屋上の縁に当たり停止すると、左腕を押さえてよろよろと立ち上がった。
刃を受けた左腕の制服にはすっぱりとした裂傷が走り、その隙間から見える白い柔肌から赤い血が滴り落ちていた。
「思っていたよりも傷は浅いようですね。刃を受ける瞬間、自ら横に飛びましたか?」
真冬花は朔に逃げられないように牽制しながら間合いを詰める。
「あはは、ご名答です。それでも少し切れたし、凄く痛いし、制服も駄目にしちゃいました。高価かったのに……」
朔は苦痛に耐えながらもおどけた様子で軽口をたたく。
「さて、後ろは屋上の端で一歩下がるとまっ逆さま。前は刃で後が無くなりました。勝負ありましたね。降参したらどうですか」
真冬花は朔の目の前に刃を突き付け、降参を迫った。
「朔ちゃん、もう無理だよ。これ以上怪我するところなんて見たくないよ、だから……」
葵も心配そうに朔に呼びかける。
……だから降参? 副会長になって希と学園生活を営むことも諦めろってこと?
朔に怒りが走る。
葵に心配されるのも腹立たしいが、なにより、朔の希に対しての愛情を否定されたように感じたことが腹立たしかった。
朔にとって希との楽しい学園生活は夢にまで見た願いである。しかし、真冬花や葵の言うとおり負けを認めたらそれもおじゃんである。つまり真冬花も葵も希を諦めろと言っているに等しい訳である。
勿論、二人はそんな事を考えて降参を勧めている訳では無いのだろうが、朔にとっては同じ事である。
確かに既に勝ち目が薄く、これ以上続けても怪我を増やすだけだろう。だから勝負を諦めるのが最善という事が解らないほど朔も馬鹿では無い。無いが、それでも希との楽しい学園生活を簡単に諦められるほど朔は物分りの良い人間ではなかった。
つまり、元より朔にこの千載一遇のチャンスを諦めるという選択肢は無いのである。
……とは言え現在の情勢が明らかな劣勢であるのは事実だ。しかも相手は真剣の薙刀である。普通なら逆転の糸口も掴めないところだろう。
しかし、朔は普通ではなかった。
……本当は使いたくなかったけど、そうも言ってられないか……。
「勝負はまだ、これからですよ」
朔は覚悟を決めて薙刀越しの真冬花を射抜く。
「はっ、往生際が悪いのですね。では、望みどおり刃の錆にして差し上げましょう!」
真冬花は全てを言い切らないうちに、薙刀を袈裟懸けに薙ぎ下ろした。
誰もが朔の最後を覚悟したが、刃先は朔を捉えず空を切った。
「なっ、消えた!? ――がっ!」
真冬花は捉えた筈の朔が目の前から消えたことを瞬時に理解できず驚愕していると、薙刀を薙ぎ下ろしたためにがら空きになった右横腹に強い衝撃を受け、その場にがくりと崩れ落ちた。
「ごめんなさい。手加減したつもりだけど、あまり調整効かないから……」
真冬花は薙刀の柄を杖に膝をつき、声のほうに目を向ける。その先には申し訳無さそうな表情を浮かべた朔が立っていた。
「……どうやって?」
「縮地? ……とか言う技っぽいので回りこんで、勢いのまま叩いただけです」
「……一昨日、空手部部長を沈めたのも……これですね……」
「そうですね。あの時は全力で叩き込みましたけど」
「……はは、私には手加減ですか……優しいのか、それとも馬鹿にしているのか……」
真冬花は痛みをぐっと堪え、朔に覚られない様に薙刀を握り直す。
「馬鹿にしているわけではないんですけど……」
朔は困ったような表情をして、視線を真冬花から逸らす。その瞬間、真冬花の瞳がきらりと光った。
……今です!
真冬花はその隙を待っていたと言わんばかりに、薙刀を短く持って体当たりのような捨て身の特攻をかけた。
朔が真冬花の動きに気が付いた様子は無く、視線も逸れたままである。真冬花は今度こそ自らの勝ちを確信する。
――しかし、
「二度も同じ轍は踏みませんよ」
朔の呟きが真冬花の耳朶を叩く。
朔は縮地でさっと身を翻し真冬花を回避すると、がら空きとなった背中に掌を叩き込んだ。
その勢いで吹き飛ぶ真冬花。
次の瞬間、ギャラリーから悲鳴が上がった。
朔も悲鳴を上げなかったにせよ、吹き飛んだ真冬花を見て焦った。なぜなら、屋上から宙に体が投げ出される真冬花が目に入ったのだ。
真冬花は自身が負けた事をぼんやりと認識した。
真剣の薙刀を使ったにもかかわらず、無様に膝を付き、捨て身の攻撃もあっさりとかわされたのだ。負けたことは悔しいが、当然の結果だと納得は出来た。
真冬花の双眸に地面が映る。人を呪わば穴二つ。卑怯にも素手の相手に真剣の薙刀を使ったのだから、無様に負けて無様に死ぬことは当然の結果だと真冬花は思った。その刹那、後ろから引き寄せられ体をぎゅっと抱かれた事に気が付く。
真冬花は何が起きたのが解らずにぼんやりと視線を向けると朔が自分を包むように抱いていたのが瞳に映った。
朔は屋上から宙に投げ出された真冬花を反射的に縮地で追い、後ろから抱きとめていた。
屋上から投げ出される真冬花と、悲鳴を上げる希の姿を見た瞬間に体が自然と動いていたのだ。
そして、自由落下を開始する朔と真冬花。
朔は咄嗟に下方向を確認すると、目下に植え込みの花壇と花壇に覆い被さるように枝を広げている木が見えた。
……いける!
朔はそう確信すると、真冬花を右腕一本で抱きかかえ、落下の途中に左手で木の枝を思いっきり掴む。枝が大きく撓り、朔の手から枝が外れるが幾分の速度の軽減を得た。
そして枝を掴んだことで朔と真冬花の体が入替わり、そのまま植え込みの花壇に朔を下にして墜落。幾層にも撒かれたばかりの腐葉土がぼふんと舞い上がった。
衝撃と真冬花の重みで朔の息が一瞬止まったが、思ったよりも墜落時の衝撃が弱い事に朔は疑問を覚えつつ、空に向いていた視点を周囲に移す。すると、花壇の側には腐葉土の袋を持った園芸部の女子が唖然としてこちらを見つめていた。
……ああ、彼女は昨日の昼間の……それで地面が……。
どうやら土作りのために腐葉土を花壇に撒いていたらしい。
朔は納得して、ふうと一つ息を吐き出すと、努めて明るい声で花壇横の女子に話しかけた。
「ねぇそこのキミ、ちょっと校医を連れてきてくれないかな?」
朔の言葉に我に返った女子は「あっ、わかりました!」とだけ言うと慌てて校舎の方に駆け出していく。
朔が去っていく女子の姿をぼんやりと眺めていると、それまで朔の胸に顔を埋めていた真冬花が恐る恐る顔を上げた。
それはまるで今にも泣きだしそうな顔だった。
「はは……もう動きたくないけど、まだ、続きします?」
朔は微笑みかけながら問いかけた。
真冬花は小さく首を横に振ると呟いた。
「……どうして?」
真冬花は自分がどうして助けられたのか解らないらしい。もっとも、朔もなぜ助けたのか解らないので、軽い口調で答えることにした。
「んー、わかんないです」
屋上から「朔ちゃーん! 真冬花ー! だいじょうぶー?」と、葵の声が響いた。
朔は「大丈夫だよー」とだけ答えると、真冬花に一つウインクを送った。
「私の負けですね」
真冬花はそう呟くと安堵の表情を浮かべ、再び朔に身体を預けて目を閉じた。




