076「負傷(2)」
辛うじて応急処置が終わる頃、ハルカさんは静かになっていた。
眠ったのではなく、途中で意識を失ったのだ。
けど呼吸と脈拍は問題ないので、とにかく一つの山を越えたことは小さな救いとなった。
オレたちも、やっとハルカさんの横にしゃがみ込んで一服を取ることができた。
運び込んでから1、2時間は経っただろうか。
「……なあ、ハルカさん意識無いし、そっちの事聞いてもいいのか?」
「……もう少し後でいい? ちょっと複雑な事情とかあるんだけど、話せるメンタルじゃないんだ」
「じゃ、後ほど改めてって事にしとくな。……けど、そうなんだよな」
その言葉に『謎の』ボクっ娘がうなずく。
そこで残る二人の緊張も少し途切れ、オレの隣でペタリと座り込んでいた少女の瞳から、たき火に照らされた水滴がポタリポタリと落ち始める。細い肩も小さく震えていた。
「ご免なさい。本当にご免なさい。ボクを助けたばっかりに、こんな事になって!」
声を掛ける気力も萎えそうだったが、オレもここじゃ唯一の男の子だ。
「お前のせいじゃないよ。オレ達が助けたいから助けた。そんだけだ」
「でも、でも、こんな事に。神官戦士さん全然大丈夫じゃないよ。普通なら致命傷だよ。
……それでも、弱い治癒魔法でも少しずつ直していけば持ち直すだろうけど、肝心の神官さんがこれじゃあ」
「癒しの魔法ね。……それなら近くにアテがあるだろ」
「……そうか。あの神殿なら!」
オレは自分の言葉と共に、どっこらせと立ち上がる。
少女はようやく気づて泣き止んでくれたが、オレは最初からハルカさんが落ち着いたら、一人で神殿に行くつもりだった。
そこで用意していた言葉を口にした。
「じゃあ、彼女を見ててくれ。オレが行ってくる。彼女の馬はハイホースで、まだ元気いっぱいだし脚も速い。あいつで駆ければ、明け方くらいには神官を連れて戻ってこられる筈だ」
「ウン、そうだね。……でもダメだよ、ボクが行く。ウウン、ボクに行かせて!」
「いいよ、そんな罪悪感感じなくても。オレ達が助けようと決めた結果なんだから」
「ウウン、罪悪感じゃないんだ。言いたいことはボクも分かった。けどね、ショウは神官さんの側にいた方がいいの。ウウン、いなくちゃダメだと思う。もし意識を回復した時、側に信頼できる人がいるのといないのとでは、患者さんの気持ちが全然違うんだから。それに今の神官さんは、まだ危ない状態だし」
彼女の言う通りだと思った。だからオレは、その言葉に素直にうなずいていた。
「そうだな。じゃあ、頼まれてくれるか」
「ウン、任せて。それに、ショウよりも早く戻れるから。それと万が一途中で寝ても、向こうのボクに絶対何も聞いちゃダメだからね!」
ようやく元気を取り戻したボクっ娘は、言うが早いか飛び出していった。
見た目通り、こちらでの彼女は元気っ子でもあるようだ。
「ていうか、まだどっちも名乗ってないのに、オレの名前言っちゃダメだろ」
彼女の元気にあてられて少し気が楽になったのか、苦笑と共にそんな言葉が漏れる。
ボクっ娘が飛び出してすぐ、雨が降り始めた。
この地方には珍しく、かなり激しい雨だ。部屋の中にも、天井の空いた部分から雨が入り込んでいた。
雨は小一時間で止んだけど、今度は急速に気温が低下しているのが分かった。雨の時から風もかなり強い。
ボクっ娘は、かなり苦労して走っていることだろう。
こちらは、部屋の温度を上げるには火を強くすればいいが、長時間大きな火を燃やし続けるだけの廃材を使った薪などの可燃物が無かった。
かといって、ハルカさんが寝ているベッドを燃やすわけにもいかない。
脂汗を浮かべるハルカさんの額は、怪我の影響でかなり熱かった。
井戸水で濡らした手拭いもすぐに温くなってしまう。
そこで一つの疑問が頭をもたげた。意識を失いながらも彼女の息は激しい。
(何でこんなに痛がってるんだ。まるで普通の人じゃないか)
そう。そうなのだ。『ダブル』は痛覚が切れているのか痛みを感じない。だからこの世界の住人からも敬遠され、場合によっては忌み嫌われさえする。
なのにハルカさんは、こんなに激しく痛がっている。
そこでオレは、当然というべきか次の疑問を感じた。
(彼女は嘘をついている。実は『ダブル』、つまり現代人のフリをした現地人なだけじゃないだろうかという嘘を……)
そんなマイナス思考をもてあそびつつ、オレは半ば機械的に否定に乗せた濡れた手ぬぐいを冷やし直していたが、そのせいで少し手元が狂って素手で直接彼女の手に触れる。
異常に冷たかった。
そこで念のため、体の各所に不届きな気持ちにならないように触れていく。
そして何ヶ所か触れてみて、戦慄に近い衝撃が全身を走った。
(身体がやけに冷たくなってる!)
血を沢山失ったせいか、怪我で体力を消耗したのか、それとも治療方法が不味かったのか、とにかく体温が低下していた。
何箇所か確認してみると、特に手足の先が冷たかった。
しかも周囲の気温は、この時期の夜としてはかなりの寒さ。そう寒さだった。
何しろこの辺りは北緯60度近い高緯度地方。超温暖化していようが、真夏でも場合によっては夜はかなり冷え込む。
それは今までの旅でよく分かっていた。
彼女はよく見ると、手足の先が小刻みに震えている。恐らくだけど、痛みによる震えではない。
呼吸は酷い状態じゃないのが救いだけど、すぐにも対処しないといけない。
そこでオレの中で、幾つかの選択肢が頭をよぎる。
第1案、暖炉の火を大きくする。
第2案、ハルカさんに有るだけの毛布とマント、衣服を被せる。
第3案、無理矢理起こして気付けの酒を飲ませる。
そして最後の選択肢に至ったオレは、自然と空いた左手を自分の身体の中に入れた。
(温かいよな、オレ様)
完全体育会系の引き締まった肉体を持つこっちのオレの身体は、やたらと表面体温が高い。
しかも現実と同じ16才ぐらいなので、なおさら平均よりもずっと表面体温が高いはずだ。
冬の寝床のお供にどうぞと勧めたくなるほどだ。
体で暖める案を考えつつも、取りあえず彼女が横になったままのベッドをたき火のすぐ側までゆっくり静かに移動させる。
火自体ももっと大きくしたいが、現状でも明け方まで保つか怪しい量の廃材しか無い。
かと言って、彼女が寝ているベッドを解体する事も出来ない。
しかもこの部屋も天井の一ヶ所に穴が空いていて、熱をためるには少し不向きだ。
そして冷静なオレの思考の一部は、作業しつつも既に回答を導き出していた。
多分というか、間違いなく選択すべき答えは分かっていた。
けれどもオレは、下らない、いや、しょーもない人間なのだ。自分でも、心拍数が上がって体温が急上昇しているのが分かった。
まったくもって、いつもの情けないオレだ。
早くもオレの妄想回路の一部は、これから行う嬉し恥ずかしな情景に身もだえしそうだ。
けど、自分自身でも嬉しい事に、それだけではなかった。マンガで言えば超マジ状態。
いや、こんな言葉が頭に浮かんでる時点で、やっぱり動揺していた。けど、真剣だったのは間違いない。彼女を少しでも助けたかった。
気合いを入れると、ぎこちない動きながら行動を開始する。救急医やレスキューみたいに、躊躇無く動ければどれだけよかっただろうか。
まずはオレが、手持ちの飲食用のワインをがぶ飲みする。気付け用の少量のブランデーも飲む。
なんだかこれから凍死する準備をしているように思わなくもなかったが、これでオレの体温、特に表面体温はさらに上昇する筈だ。
次に、オレ自身が上半身を脱いでいった。
そしてその次にするべき事は、既に上半身半裸なこっちの世界での簡素な下着姿となっている彼女とオレが、なるべく多くの面積でくっついてあるだけの毛布で彼女を包むだけだ。
「ああ、やっぱしょーもねーなーオレは。こんな状況で何考えてんだろ」
それだけ叫ぶように言うと、一気に行動に移した。
ぐずぐずしていたら万が一手遅れという事もありうるし、オレ自身が恥ずかしさで多分固まってしまうからだ。
そしてハルカさんを軽く抱きしめ、先に側に持ってきていたあるだけの毛布とマントを二人の上に被せる。
今の行いについては、ハルカさんに後で謝るなり、ひっぱたかれれば済む事、大事の前の小事だ。
ていうか、流石に本気で怒ったりしないだろ、と苦しそうに眉を寄せる彼女の寝顔を間近で見つつ、ちょっと弱気になる。
しかしオレは、オレ自身をちょっとだけ誉めてあげたかった。同年代の女の子とほとんど素っ裸で抱き合っているのに、理性が勝っていたのだから。
しかも、下らない妄想に近い感情よりも、少しでも彼女を助けたいという感情が勝った。
別に彼女が嘘を付いていてもいいじゃないか、と思うようになっていた。大事なのは、出自や役割ではないのだ。
当人がどう思うか、人同士がどう想い合うかだ。
彼女の苦しそうな顔を見ながら、多分オレはこのちょっとばかり過酷な『夢』の中で、それを学んだのだと思った。





