第十一章 闇黒の聖典 -10-
鳴り響く試合終了の合図。
何が起きたのか、正直よくわからなかった。
致死判定が出ている。
審判は、コンスタンツェさんの勝利を告げていた。
「──成る程」
ダンバーさんが、背中を押さえている。
つまり、コンスタンツェさんの短剣の次元刃は、背後から出てきたんだ。
細身の剣の斬撃で前方からの攻撃だけ意識をさせておいて、するりと背後から致命の刃を突き立てる。
やはり、油断ができない人だ。
しかし、聖騎士の手の内を見れたのはよかった。
あれを初見で食らったら、ぼくじゃ呆気なく負けていたかもしれない。
治療が終わったので、着替えて引き揚げる準備をしていると、コンスタンツェさんが控え室に戻ってきた。
「おめでとうございます。──あのダンバーさんを嵌めるとは凄いですね」
「そやけど、あてはアラナンはんに似たもんの気配を感じましてん。どうですやろか」
「えっ、ぼくですか?」
「そやで。いつも考えながら戦こうとるやろ。あてと気い合うんちゃいますやろか」
確かに、いつも頭ぐるぐる回しながら戦っているけれどさ。
何か、一緒にされたくない気がするんだよね。
「まあ、考えといておくれやす。あてと仲良うした方が、お互いのためになりますよって」
色んな意味を含んでそうな言葉を言い残して、コンスタンツェさんは控え室から出ていった。
いやあ、どういうつもりだろうね。
アルビオン王国を睨んでのことではないだろう。
アルビオンじゃぼくは被征服民の子供に過ぎない。
だからと言って、ヘルヴェティアでのぼくの立場だって一介の学生に過ぎない。
事実、他の国でぼくに接触してきたところなんてないからな。
コンスタンツェさんも、どんだけ気が早いんだか。
指定席に行ってみると、今日はみんなまだ昼食に出ていなかった。
二試合しかなくて、ちょっとまだ昼には早いからな。
「アラナン、怪我は大丈夫なの?」
真っ先にマリーがぼくの傷の状況を心配してきた。
おお、ちょっと何か新鮮だね。
傷の心配をされることなんて、エアル島時代もクリングヴァル先生の弟子時代もなかったからな。
「ああ、深い傷はないから、大丈夫だよ。治療もしてもらったし、二、三日で包帯も取れるって」
「そう、よかったわ……。ほんと、あんな獣を出場させるなんて、運営も何を考えているのかしらね!」
別段、人狼が出場してはいけないということはないだろう。
特に、ヘルヴェティアは自由を謳う国だしな。
でも、ぼくを心配してくれるマリーにそれを言うのも無粋なことだ。
有難く心遣いだけを受け取っておこう。
「──で、そのギデオン・コーヘンはどうなったの?」
ファリニシュなら、知っているであろう。
常時、オニール学長と連絡を取り合いながら、油断なく警備をしているはずだ。
警備隊が確保したギデオン・コーヘンの処遇くらい掴んでいるだろう。
「警備隊の牢で捕らえておりんすよ。イフターハ・アティードの気配は、すでに消えなんしたが」
「憑依していた魔力は撃ったんだけれどさ。あれで消滅したとは思えないんだよね。逃げただけだと思う。全く、あんな芸当ができるなら、無色の貌とか言われるはずだよ。毎回顔が違っても不思議はないからね」
イグナーツの情報では、フェストに潜り込んだ聖典教団の刺客は二人、しかもイフターハ・アティードが混ざっているという話だった。
ギデオン・コーヘンにイフターハ・アティードが憑依していたということは、もう一人は恐らく憑依してない方だ。
それは安心材料だが、そいつが闇黒の聖典である可能性はまだ残っている。
そして、現状最も怪しそうなのが、消去法でオリヴィエ・クレマン・ド・サン=ジョルジュだからな。
クリングヴァル先生に限って間違いはないだろうが、午後からの第三試合はちょっと心配だ。
「まあ、それなら、後始末は警備隊がしてくれるだろう。とりあえず、ぼくらは午後に備えて昼飯にしようよ」
「圧倒的賛成なのです! アラナンが言い出さなければ、神聖術で飢餓を与える呪いを掛けようかと思っていたのです!」
いや、怖いよ!
何なの、アンヴァルさん。
そんな術何のために覚えているのさ!
「いたた……頬っぺたは伸びない……みんなアンヴァルと同じくらいお腹が空けば早くご飯になるのでふ……」
アンヴァルの頬を引っ張って心も癒されたので、観客席から移動を開始する。
昼飯はどうしても競技場の外に出ている屋台で何かを買うことになるが、わざわざ市内まで戻るのも面倒だもんな。
無論、貴族や豪商のような金持ちは、馬車で市内に戻って高級な食事を愉しみに行っているみたいだよ。
ぼくの資産も賭けで物凄い金額に膨らんでいるが、アンヴァルみたいな大食いがいたら食い尽くされかねないからな。
そうそう高い店ばかり行けないよ!
しかし、屋台に買い物に来ると、アンヴァルが物凄い人気だった。
そういやこいつ、大食いでストリンドベリ先生に勝っていたんだっけ。
全部の屋台の店主がアンヴァルと知り合いのようで、声を掛けられたり、ついでにただで一本貰ったりしている。
こいつ──いつの間に!
串焼きを頬張りながら変な踊りをしているアンヴァル。
だが、こんなんでも意外に人の心を掴む才能はあるものだ。
「アラナン、あれ美味しそうじゃない?」
マリーが指差したのは、黒髪のスパーニア人のおじさんがやっている屋台だった。
赤いスープと何かを挟んだパンを売っている。
「ニンニクのスープとスパーニア風サンドですぜ。旨いから、寄ってきな!」
見ると、スープの中には、パンの欠片やハム、ソーセージなどが入っている。ニンニクとオリーブオイルの香りがして、空腹が刺激されるな。
「じゃ、それ貰うよ」
「毎度! 銀貨二枚でさあ」
結構するな。
お祭り価格ってやつか。
まあ、旨ければいいが、不味かったらアンヴァルをけしかけるぞ。
一口啜ると、ニンニクとオリーブオイルの味の向こうにハムの旨味が溶け込んでいて、いい雰囲気を出している。
この堅めのパンにもスープが染み込んでいて、何とも言えないな。
「生ハムね。スパーニアの名物だわ」
「山のハムの特別品でさあ。このフェストのために用意したんで」
「こっちのソーセージはちょっと辛いわね。スパーニアではこんなに辛いのを食べているの?」
「おっと、お嬢さんはアルマニャックのお人かね。あの国の人はちょっと舌が繊細な傾向にあるように思えまさあね。そのソーセージだって、スパーニアじゃ普通に食べられていますぜ」
マリーは結構食べ物にはうるさい。
アルマニャックの貴族は、大抵そうだ。
ハンスやアルフレートは武人だから、余り細かいことは言わないのにね。
「あ、小竜だ! 握手して下さい!」
ベンチに座ってみんなで食べていると、親子連れの男の子が駆けよってきて握手を求めてくる。
食事中だから、本当なら断りたいところだが、子供相手じゃ仕方がない。
恐縮する親御さんに手を振りつつ、男の子に右手を差し出す。
「主様!」
唐突にファリニシュの叫びが耳朶を打った。
はっとなって看破眼を全開にすると、目の前の男の子から異様な魔力を感じる。
「ふ──ひひ。挨拶だよ、挨拶。今回は負けたが、いつでもお前を見ていることを忘れるなよ」
男の子の甲高い声で、おぞましいイフターハ・アティードの言葉が漏れる。
いつ憑依したのか。
此処で男の子を人質にでも取るつもりか。
だが、予想に反して仕掛けてくる気配はなかった。
そして次の瞬間、もう闇黒の聖典の王の気配は消えていた。




