第十一章 闇黒の聖典 -8-
虎手激勢は、竜爪破邪ほど有名な絶技ではない。
使い手の飛竜 自身、それほど多用しないせいもある。
だが、右の虎勢、左の虎勢の連打の後の雷衝の一撃は、障壁を貫き魔力を背中まで突き徹す威力を持つ。
飛竜の八つの絶技のうちのひとつなのだ。
それをぼくの胸に叩き込んだイフターハ・アティードは、吹き飛ばされるぼくを見て勝利を確信し、唇を歪めた。
手応えがあったのであろう。
実際、叩き込まれた魔力は人を容易く殺せるほどの量である。
だが、次の瞬間、胸を押さえて立ち上がるぼくを見て形相を変えた。
「貴様……何をやった。立ち上がれるような一撃ではないはずだ!」
「──大したことじゃない。雷衝の魔力が送り込まれた瞬間に、魔力喰いで喰っただけだ」
魔力が体内を貫くから絶技になるのだ。
それがなければ、ただの中段突きに過ぎない。
しかし、タイミングを合わせないといけないから、えらく難易度は高いけれどな。
そうそう連発できんよ、これほどの技が相手だと。
それでも、全部は喰い損ねた。
実際、胸は凄い痛い。
この調子で絶技を使われまくったら、正直勝ち目は薄いな。
これは、次の試合の二人に見られようが、あれを使うしかないんじゃないかな。
「ほほう、そんな方法で破るとは、本当に感嘆する! おれの虎手激勢で死ななかった人間は、お前が初めてだよ、アラナン・ドゥリスコル」
「いや、お前こそ強いな、イフターハ・アティード。クリングヴァル先生並みの強さを感じるぞ」
拳の勝負じゃ、敵わない。
人狼の立ち姿には、隙がない。
下手に仕掛けても、返り討ちに合う光景しか見えない。
ならば、もう迷っている場合じゃなかった。
「ふん、まだ何かを隠しているな、アラナン・ドゥリスコル。早く本気を出さないと、すぐに殺してしまうぞ」
拳を構えたまま、ふっとイフターハ・アティードの魔力が弱くなり、半歩後ろに下がる。
釣られて前に出ようとして、ぼくはそれが誘いであることに気付く。
下がったと見せて下がっていない。
あれはそういう歩法だ。
人狼の上体が沈む。
引き込んだところに、天を貫く一撃、通天掌を撃つつもりだろう。
これもまた、飛竜の絶技。
顎から脳にまで魔力を徹されたら終わりだ。
勇敢なる戦士で集めた魔力を体内に引き込んで、瞬間的に圧縮し、そして一気に体内に循環させる。
神の眼が開き、人狼の動きがはっきりと見えるようになる。
魔元素強化。
切り札を切った以上、此処で決着をつけるぞ!
僅かに顔を左に動かし、人狼の通天掌をかわす。
空振りで体を浮かせたところに尖火の右肘を抉り込み、後退させる。
通常なら吹き飛ぶところだが、身体能力の高い人狼はよろめいただけだ。
そこに、腕を伸ばして竜爪掌で追撃し、更に左足を踏み込んで肩口から竜尾撃の体当たりを掛ける。
流石の人狼も膨大な魔力の衝撃を食らい、たまらず地面に叩き付けられた。
それでもすぐに跳ね起きようとするところに、跳躍して上空から右拳で螺旋牙を顔面に炸裂させる。
魔元素強化の圧倒的な量の魔力が人狼の頭を貫通し、致死判定が表示された。
「勝利者、アラナン・ドゥリスコル!」
審判がぼくの勝利を告げる。
ふう、何とか押しきった。
聖騎士が魔元素強化を見て、ぼくの奥の手を見せてもらったとほくそ笑んでいそうだが、とりあえず疲れて明日のことは考えてられないよ。
結構、左手と胸も痛いしね。
魔元素強化を解こうとして、神の眼が何か違和感を感じた。
瞬間、意識を切り替えると体感の時間が再び遅くなる。
何かと思って周囲を見ると、倒れていた人狼が、起き上がってぼくに襲い掛かってきていた。
「ば──試合は終了しただろ!」
鋭い爪がぼくの背中の皮膚を切り裂く。
何とか薄皮一枚で済んだが、気付かなければ殺されていたかもしれない。
そうか、試合終了したら、致死判定も関係ない。
初めから、このタイミングでの暗殺を狙っていたのか。
再び繰り出される狼爪を右手で掴むと、回転して上に捩り上げる。
そして、がら空きの胸に抉り込まれる左肘の尖火。
更に身を沈めて右足を踏み込むと、血反吐を吐く人狼の顎に、追撃の通天掌を突き上げた。
脳を貫いた魔力が、人狼に巣食うイフターハ・アティードの魔力を撃った感触があった。
顎をぐしゃぐしゃに潰されたギデオン・コーヘンの体が、人狼から人間の姿に戻っていく。
操っていた気配も消え、もう危険はないだろう。
やっと魔元素強化を解くと、駆けつけてきた警備隊にコーヘンを引き渡し、後のことを頼む。
とりあえず、ひとつ仕事は片付けたんだ。
気分的には、もうこのまま帰って寝たいところだよ。
でも、この後のダンバーさんとコンスタンツェさんの試合を見ずには帰れないよな。
痛む体を引き摺りながら出入り口に向かうと、そこにすでにコンスタンツェさんが佇んでいた。
見たことがないほど、真剣な表情をしている。
聖騎士はぼくの顔を見ると、いつもの揶揄する様子もなく口を開いた。
「見してもろたわ、アラナンはん」
画面で見るだけでは物足りなかったのか、わざわざ此処でその眼で見ていたようだ。
「次はあての番おす。よう見ておくんなまし」
「──そうさせてもらいますよ」
ようやく、ぼくのところにも救護の人が駆け付けてきてくれる。
控え室まで一緒に行って、そこで簡単な治療をしてくれるようだ。
まあ、引っ掻き傷と軽い打撲程度だから、そこまで深刻なものはない。
服がぼろぼろになった方が痛いよ。
魔導画面を見ると、すでにダンバーさんとコンスタンツェさんが登場していた。
ダンバーさんはいつもの燕尾服で、全くぶれがない。
アングル人ってのは大体保守的だし、自分の習慣を変えない人が多いからな。
それに対して、ラティルス人ってのは情熱的で刹那的なイメージなんだが、ルウムの高官ともなるとそんな雰囲気はない。
ダンバーさんと方向性は違うが、コンスタンツェさんはやはりある部分保守的な気はするね。
ファッションなんかは進歩的なんだけれど。
さて、この戦いは興味深い。
賭け率は、ダンバーさんが二倍、コンスタンツェさんが一・七倍だ。
両者にあまり差がない。
冒険者ギルドとルウム教会という、大陸西部に深く根を張る組織の顔同士の激突だ。
どっちが勝つにせよ、そう簡単に決着はつかないだろう。
「試合開始!」
そしていま、その激闘の火蓋が切って落とされたのだ。




