第15話 見てる人は見てる
「んっ」
見てたアーニーがぴたっと固まった。
「んぐっ、んっ……!」
あたしの指がぴくぴくと揺れる。アンジェの口の中から液体が入ってくる。あたしの喉の奥に伝っていく。あたしの指が痙攣する。胸の鼓動が早い。しかし――次の瞬間、ごちゃごちゃしていた頭の中も、追いつかなかった思考も、かけ走っていた記憶も、急にぴたりと止まり、鼓動も落ち着き、耳が聞こえ、視界がはっきりして、とても静かになった頭で目を開けると――アンジェと唇を重ねている事に気が付いた。
「「……」」
必死に目を見開くアンジェがあたしを見つめつつ、お互い大切に手を握り締め合っていた。
「「……」」
どちらともなく離れる。
「「……」」
若干気まずい空気が流れた気がした。
「……大丈夫?」
……うん。
「いける?」
……うん。
「……そっ」
……アンジェちゃん、ごめんね。
「あ、いや、私も……」
いや、あたしがパニックになってたから……。
「あ、いや、ん……」
うん。あの……。
「ん……」
「……何この空気」
次の瞬間、アーニーが頬を膨らませ、叫んだ。
「私だって、ルーチェとキスくらい出来るけど!?」
「「言わないで!」」
「キスじゃないし!」
飲ませてもらっただけだから!
「なんか良からぬ雰囲気出てたじゃん!」
「良からぬって何!?」
出てないから!
「そうやって私だけ仲間外れにするの!?」
「緊急事態だったから!」
パニックになってたから!
「わかった! じゃあ私もルーチェとキスする!」
「なんでそうなるの!?」
アーニーちゃん! ストップ!
「ルーチェが嫌がってるじゃん! やめなって!」
「アンジェは黙ってて! ルーチェは私としたくないの!?」
えっ!?
「……したくないの……?」
えっ、いや、あの、えっと、あの……!
「仲良く喋るのは後にしな!」
空から声が聞こえて、はっとして見上げる。ミランダ様が箒に乗ってあたし達を見下ろしていた。
(ミランダ様!)
「注目!」
ミランダ様が杖で指し示す。あたしとアンジェとアーニーが今にも襲い掛かってきそうなウサギを見た。
「狂暴化したウサギが暴れてる。このままじゃせっかくの学校祭は中止になるだろう。さあ、どうするんだい?」
「決まってる」
アンジェが答えた。
「怪我人が出る前にウサギ達を確保する」
「アンジェ、ただ確保するだけじゃいけないよ。確保して終わるならこんな大騒動になってないだろう?」
「うるさいなあ。貴女がいるなら貴女が治めればいいじゃないですか」
「ここはお前達の学校だろう? お前達の学校祭だ。お前達が守らないでどうする」
「貴女の学校でもあるんですよ」
「過去の話だよ。今は関係ないね」
「そういうところが嫌いなんですよ。師匠」
「答えはいくらでもある。考えてごらん」
「もう殺そう! それしかない! ウサギは撲滅した方が良い!」
「アーニー。嫌いだからって殺さないの」
「ウサギはいいの!」
「良くないから!」
「ひっ! 見て! 奥からまた来た!」
「どれだけ来るわけ!? 切りが無い!」
……でも、三人ならいけるかも。
あたしが言うと、アンジェとアーニーが後ろに下がって耳だけあたしに向ける。あたし達の背中がくっついた。
アーニーちゃん、リスの時覚えてる?
「忘れもしないよ。……ルーチェが眠らせてくれた」
数で言うならあの時よりも少ない。
「大きさで言うならあの時よりも大きいのがいて、数もそれなりにいる。大してあの時と変わらないよ」
でもあの時は二人で、魔力も底尽きそうになってて……でも、今なら……。
「ルーチェ、いける?」
いけると思う。アンジェちゃん。
「アーニー」
「ぐすん! なんで殺しちゃいけないの……? ぐすん! ウサギは世界を滅ぼすよ……。ぐすん! 全ての元凶はウサギなのに……!」
「アーニー!」
「わかったよ! ずびびっ!」
「ルーチェ!」
いつでも!
「いくよ!!」
ウサギ達が走ってきた。ミランダ様が空から見守る。セーレムが丸くなった。アーニーとアンジェとあたしが一歩前に出て、杖を構えた。
「火事と喧嘩は江戸の花」
「水火も辞さない覚悟はいいか」
「たとえ火の中水の中、ウサギに囲まれ闇の中」
「光があれば目も眩む」
「火があれば情熱燃える」
「水があれば魚が泳ぐ」
さあ、――魔法を始めよう。
「火よ!」
「水よ!」
「光よ!」
「「意識を飛ばせ!!」」
アーニーとアンジェとあたしの魔力が協調され同調していく。混ざりあった火と水と光がウサギ達を包み込む。しかしまだ溢れてくる。もっと魔力を飛ばせ。そのためにミランダ様が魔力を下さった。あたしは魔力を飛ばす。もっと。もう少しだと言い聞かせて飛ばす。アンジェとアーニーの魔力は安定している。真っ直ぐ芯の通った魔力を飛ばす。これが実力の違いだ。これがプロだ。これが選ばれて魔法使いとなった二人だ。でもあたしもついていくことは出来る。二人に置いて行かれないように魔力を飛ばす。もっとだ。もっと大きく。もっと太く。もっと強く。もっと安定して、もっと広げろ。もっと飛ばせ。もっとだ。もっと、もっと、もっと――!
あたしは深呼吸をして、お腹に力を入れた。そして、唇を噛み――魔力を飛ばした。
(まだいける!!)
思い出せ。
アーニーと初めて魔力を同調させた時。
ミランダ様と魔力を同調させた時。
お姉ちゃんと魔力を同調させた時。
ジュリアと魔力を同調させた時。
(ここで終わらない! もっと!)
いっそのこと、学校全体。
(包み込め! 意識を飛ばせ!)
眠れ!!
「「っ」」
アーニーが目を見開いた。アンジェが息を呑んだ。あたしの魔力が飛んでいく。アーニーが集中した。アンジェが深呼吸した。二人が魔力をあたしに合わせて飛ばした。手が震える。体が震える。それでも飛ばす。もっとだ。もっといける。騒ぎを収めるんだ。もっと。もっと。広がれ。もっと、いける。まだいける。もっと。まだ、まだまだ。まだいける。まだ……!
「「……っ」」
三人の魔力が徐々に弱まっていく。
「「……」」
魔法がどんどん薄らいでいき――消えた。
「「っ」」
一斉にその場に腰を抜かす。体に力が入らない。セーレムが三人のお尻に踏まれる前に逃げた。
「うわあ!」
「はあ……もう無理ぃ……」
「はあ……はあ……」
「ウサギ……まじで嫌い……」
(……やばい……何も見えない……)
コンタクトレンズをしているはずなのに、視界がぼんやりしている。セーレムがあたしの足元に来て、あたしの顔を覗いた。
「よく頑張ったな。ルーチェ。でも俺も頑張ったと思うんだ。誉め言葉を与えるのと、頭も撫でていいよ」
「すげえ!」
「アンジェさん!」
「アーニー先輩!」
あたしは顔を上げた。一瞬だけ視界がはっきり見えた。パフォーマンス会場から選抜に選ばれた五人のうちの四人が駆け寄ってきて――あたしを素通りして、アーニーとアンジェに声をかけた。
「今の見てました! すごかったです!」
「中も心配ありません! ウサギは皆気絶してます!」
「アンジェさん、大丈夫ですか!?」
ベリーが優しい顔でアンジェに手を差し出した。
「掴まってください!」
「ありがとう」
「アーニーさんも!」
「ふええ……立てないよ……」
「本当に魔法すごかったですし、綺麗でした!」
サーシャが二人に言った。
「守ってくださり、ありがとうございました!」
(……)
あたしはセーレムの頭を撫でた。
「……ぼろぼろ、だね」
「ああ。主にルーチェがな」
「何も見えないや……。副作用……かな……」
セーレムの顔すらぼんやりしてる。
「セーレム、ウサギ……寝てる?」
「ああ。ぐーすか寝てるよ。しかも、八頭身じゃなくて元の形のウサギに戻ってる」
「そっか。……良かった」
でも、これじゃあ花火見れないや。
(……今日は、早退した方がいいかも)
一人で立ち上がろうとする。駄目だ。力が入らない。あたしは立つことを諦めた。
(パフォーマンス……これでちゃんと出来るよね……)
(中止にならないで、ちゃんと出来るよね)
アンジェとアーニーが笑顔を浮かべた選抜メンバーに囲まれ、お礼を言われている。
(誰も、あたしと同じ思い、しないよね……)
良かった。
(守れたんだ)
「ルーチェっぴ! 大丈夫!?」
肩を掴まれ、驚いて振り返る。視界がぼんやりしていて見えないが、緑色の瞳に見られていることだけはなんとなくわかった。
「ぼろぼろじゃん!」
大きな声に皆が振り返る。選抜メンバーのもう一人――クレイジーが唯一近付き、あたしの手を掴んだ。
「立てる?」
「あ、……んっ、……いたっ……」
「え!? 痛いの!? どこ!?」
「ルーチェ……!」
「あ、ルーチェ!!」
アンジェとアーニーが四人を潜り抜けてあたしの前にしゃがみこんだ。
「大丈夫? 立てる?」
「ルーチェ! すごい魔力使ってたよね!? 副作用は!?」
……目が見えない。
「「えっ」」
「えーーーーー!? まじぃーー!? 大変じゃん!!」
クレイジーが両腕を伸ばし、あたしを抱きかかえた。うわっ!
「先輩方! 俺っち、この子と友達なんで、保険室に連れて行きますわ!」
「あ」
「ルーチェ」
「すぐ戻るんで先輩達会場に行っててください! まじ光の早さで戻るんで! じゃ!」
「いや、ちょっとまっ……」
アンジェが言う前にクレイジーがあたし抱きかかえたまま走り出した。
「ユアン・クレバー!」
アンジェを無視してクレイジーがとっとこ走っていく。あたしはぽかんとしてクレイジーを見上げる。ふと――クレイジーが口を開いた。
「ルーチェっぴ、ごめん」
……え?
「オーディションの時、俺っち選ばれたことに喜びすぎて、ルーチェっぴの気持ち考えずに声かけちゃってさ。すげー反省してるんだ。まじでごめん」
……謝ることないよ。あれは……あたしの方が酷い態度取っちゃったから……あたしが……、……、……あたしの方が、……ごめんなさい。
「いや、気持ちわかるよ。俺っちも去年そうだったから」
……去年?
「俺っち、アンジェ・ワイズ嫌いなんだよ。すかした顔しててさ。すんなりオーディション選ばれたと思ったら翌年は魔法使いデビューだぜ? 俺っちはまだ駆け出しクラスだってのに、あの女飛び級してデビューしやがった! まじで悔しすぎ!」
……駆け出しクラス?
驚いて目を瞬かせる。
研究生クラスじゃないの?
「ん? 俺っちは駆け出しクラスだよ」
あと一歩でデビューのクラスでしょう? 本当に選び抜かれた人達で集められたクラスの……。
「そう。でもだからと言って、上に上がれるわけじゃない。去年の査定だってアーニーしか上がれなかった」
……。
「悔しい気持ちわかるよ。努力して頑張ったのに選ばれなかった時の気持ちって、まじで虚しいし、悔しすぎてやる気失せる。胸がざわついて世界なんて滅んでしまえって思うんだ。だから……選ばれた時、目の前が見えなくなるくらい喜んじまった」
クレイジーの後ろをセーレムがついてくる。
「俺だったらあの会場を守ろうなんて思わないね。狂暴化したウサギに侵入されて全員困ればいい。ざまあみろ、って言ってると思うよ」
クレイジーがあたしを見下ろした。
「守ってくれてありがとう」
その真面目な顔だけは、ぼんやりするあたしの視界にもちゃんと認識できた。
「ルーチェっぴが入口前で守ってくれてるの、見えたんだ」
俺も行こうと思ったんだけど、中に侵入したウサギが結構強くてさ。五人でやっと仕留めた。最後はマリア先生がいいとこ全部持っていったよ。で、急いで外に行ったらアンジェとアーニーとルーチェっぴが魔法でウサギを眠らせてたもんだから。
「……でも、二人が行くまで、ルーチェっぴがずっと守ってたんだろ?」
一人で。
「まじでありがとう。こういうイベントのメンバーに選ばれたの初めてだったから、こんなことになるなんて思ってなかったんだ。ルーチェっぴがいなかったら……パフォーマンスも、学校祭も中止になってた」
あのさ、
「見てる人は見てる。現に、俺は見たから。ちゃんと」
……。
「……。……。……というわけでさ! 俺っち、ルーチェっぴがすげえ良い女ってことがわかったから、ルーチェっぴの彼氏になろうと思うんだけど、どうかな。俺!」
……それは遠慮しておこうかな。
「えーーー!? まじぃ!? 俺っち結構良い男だと思うよー!? こうやって女の子をお姫様抱っこ出来る男なんて早々いないと思うけどね! 特にこの学校は若い奴多いからさ! どうかな、俺!」
あたし発達障害持ってるから、付き合ったら大変だよ。
「え、発達障害持ってるの?」
うん。
「まじ? 見えねーわ! あははははは!」
クレイジーが大きな声で笑いながら保健室に向かって走っていく。セーレムがその後を追いかけ――空からミランダ様が箒でついてきていた。
「ディクステラ隊長。魔法石がありました」
「ご苦労」
ジュリアが辺りを見回した。
「まさか学校祭開催中の中、通報があるとは思いませんでしたね」
「怪我人も何名か出ているようです」
「治療を」
「はっ!」
「ふむ。どこから紛れ込みましたかね……」
魔術学校の中で飼ってるウサギが魔法石の影響で大暴れするなんて。
「……はたして魔法石はどこからやってきたのか……」
学校を歩く人の多さに、ジュリアが考えるのをやめた。
「ま、いずれ答えが見つかるでしょう。……じゃ、あとは頼みますね。私は見回りに行ってきます」
「「はっ!」」
「うふふ。……さて、私のルーチェはどこにいるのでしょうかねー。んふふふー!」
ジュリアが鼻歌を歌いながら歩き始めた。




