第10話 家に帰るまでが遠足です
「ルーチェ、また食べに来てね。父さんがサービスしてくれるってさ」
うん。ありがとう。したっけね。
「またねー!」
アンジェに見守られながら、酔っぱらったミランダ様の箒に乗って帰路を飛んでいく。セーレムがあたしの服の中に潜って眠り始めるものだから、あたしはそれを抱っこして、ミランダ様に掴まる。
ミランダ様、大丈夫ですか?
「飲酒運転が駄目なのは車だけで良かったね」
ゆっくり飛んでください。あたしまだ死にたくないです。
「わかってるよ」
わっ!
言ってるそばからスピードを出して、雲を目掛けて飛んでいく。風と遊ぶようにミランダ様の箒が前へ前へ進んでいく。雲を潜り抜ければ、月と星にほんの少し近付いた気がした。髪の毛が風で揺れる。掴まるミランダ様からアルコールの匂いがする。ミランダ様がご機嫌に歌い出した。
暑い季節がやってくる
こんばんは 夏のお出ましさ
春の終わりの匂いがするんだ
ヘイ・ホー・ヘイの、ヘイ・パドレ
きらきら光る星が
空飛ぶ私を見てるんだ
ヘイ・ホー・ヘイの、ヘイ・マドレ
今夜も星が光るから
良い子はお休み
私は夜更かし
ヘイ・ホー・ヘイの、塀の上
ヘイ・ホー・ヘイの、丘の上
ヘイ・ホー・ヘイと、笑う月
(……上機嫌だな。ミランダ様)
子供みたいに無邪気だと思えば、突然真面目な顔をして呪文を唱えて、誰よりも美しい光魔法を出したりする。一日一日違う顔をするミランダ様。毎日見てるのに、毎日別人みたい。昨日は不機嫌ミランダ様。今夜はご機嫌ミランダ様。今ならこの胸に抱いてるささやかなあたしのお願いを聞いてくださるかもしれないと思って、期待を胸に訊いてみる。
ミランダ様。
「んー?」
今夜、……一緒に寝ちゃ駄目ですか?
「私は年増の鬼ババアなんだろう? 化粧の濃いババアと寝たって何も得られないよ」
……またトンカチで殴られた方が良いですか?
「そうだね。ぼかんといくかい?」
ふふっ。病院予約しておかないと。
「……どっちの部屋?」
……ミランダ様が良いのであれば、ミランダ様のお部屋で寝たいです。
「今夜は酒臭いよ」
大丈夫です。
「酔っぱらってるからお前に噛みつくかもしれないよ」
素敵。勲章ですね。
「はっ! お前くらいだよ。噛み痕を勲章だなんて言うの。アンジェなら本気で嫌がるもんさ」
……アンジェちゃん、やっぱり真面目で良い子ですね。
「お前達いつの間にあんなに仲良しになったんだい?」
図書室でわからないところ教えてもらったんです。
「アンジェは教えるの好きだからね」
ええ。先生みたいでした。すごくわかりやすくて助かったんです。
「お前の様子を見てる限り、ばちばち火花を起こすもんだと思ってたがね。……予想外だったよ。期待を裏切られた。……良い意味でね」
年も近いですし……お互い子供じゃないので。それに……なるべく喧嘩はしたくないです。揉め事はもうまっぴらです。
「だったら私にも吹っ掛けるんじゃないよ」
あれは……お言葉ですけど……あたしも必死だったんです。……ミランダ様……あたし、障害を言い訳にしたくなかったんです。障害者だから出来ない、仕方ないって……今までならそう思って諦めてました。でも、今回ばかりは本当に思いたくなかったんです。あたし、ミランダ様とお会いできて心から感謝してます。神様なんて信じてないけど、もし本当に居てあたしとミランダ様を引き会わせてくださったのであれば、これから信者になって神様を讃えます。それくらいこの環境に感謝してるんです。だからこそ……ミランダ様の側にいるからこそ、このオーディションは負けたくなかった。あたしには出来ないことが沢山あるけど、貴女に数が物を言う事を教わりました。繰り返すことならあたしにも出来ます。繰り返していればいずれは出来るようになる。それは人よりも何倍も時間のかかるものだけど、だったら人よりも何倍もやればいい。出来る出来ないじゃなくて、やって繰り返せば嫌でも慣れてくる。出来るようになるまで体に叩き込む。普通の人が百回やるなら、あたしは五千回。それくらいでやっと元が取れる。だから、寝るのがすごく怖かったんです。そうして休んでる間にも誰かが練習してるんじゃないかと思って。あたしが数をこなさないといけないのに、皆あたし以上にやってる気がして。
「だからといって倒れるまで無茶するのは違うよ」
……倒れるまで?
「……お前、倒れたの覚えてるかい?」
……いつですか?
「日曜の夜」
……あたしですか?
「お前以外誰がいるんだい」
倒れたんですか? あたし。
「家に帰ってきたらセーレムが暴れ回ってた。言ってる言葉も支離滅裂でお前がまた何かしでかしたのかと思ったら……キッチンで倒れてた」
……。
「人の家でやめとくれよ。久しぶりにひやっとしたよ」
……ご迷惑かけて……すみません……。
「ああ。反省しな」
……そっか。倒れて……丸一日寝てしまってたんですね。
「……お前は人と脳が違う。体質も違う。ルーチェ、『この業界では』障害を持ってたって関係ないけどね、いいかい。お前の持ってるものは怪我じゃない。病気じゃない。『障害』だよ。忘れるんじゃないよ。完治もできないそれをお前は手を繋いで仲良くやっていかなきゃいけない。その上でそれを言い訳にせず魔法使いにならないといけない。倍率が高い中で、お前は無理に等しい条件でやってる。だからこそ今度は対策ってもんが必要になって来る。お前の場合は特に、規則正しい生活を送るとか、ちゃんと寝るとか栄養をつけるとか。そこら辺を歩いてる人よりもうんと疲れやすいのなら、体力をつけないと劣っていく一方だよ。言いたいことわかるかい?」
……体調崩さないように、対策しろってことですね?
「薬は?」
……嫌いなんです。ADHDの薬。苦手というか……前に使ってた……ストラテラっていう薬があって、体に合わなかったのか副作用が酷かったんです。薬と言っても、結局脳を無理矢理集中させるための薬ですから飲んだからと言って完全に治るわけじゃなくて、健常者の脳の形に近づけさせるってだけなんです。だから脳が敏感になってしまって、薬が切れたら体全体怠くなって、好きな漫画も読めなくなりました。それを毎日飲まなきゃいけなくて、で……体が薬に慣れるまで、一日集中出来るどころかずっと眠たくて、ぼーっとしてる感覚が続いて、一年……使用してた時期があるんですけど、あたしの場合は……どうしても慣れなくて、飲む前より酷くなったんです。そのくせに薬代も馬鹿にならなくて……コールセンターを辞めてから薬代用のお金を作れなくなったので、それからしばらく病院には行けてません。もう、とにかく薬代が高くて。かと言って自立支援というものの手続きをすれば安くなるそうですがかなりの時間と労力を……要するに……面倒くさくなったんです。全部。
「でも必要なことなんだろう?」
だったらもう珈琲飲んでその場で凌いだほうがあたしとしてはマシです。珈琲は万能薬です。あれをがぶ飲みしたら一時的に集中出来るようになるんですよ。トイレは近くなりますが。
「……余裕ができたら一回病院を変えて行ってごらん。で、違う薬を貰って……その自立支援だかに申請出しな。専用の薬なんだから、また違うのを飲んだら変わるかもしれないよ」
……あたしもいつか行きたいとは思ってるんです。でも今は……また体調崩すのも怖いし、……魔法のことだけ考えていたいので。
「……大変だね。お前も」
でも、ミランダ様、最近魔法を使うのが楽しいんです。練習した分、魔法が答えてくれてる気がして。
「そうだよ。経験値を積んでレベルを上げていく。お前が好きなゲームと一緒だよ」
今日のオーディションの魔法も、本当に上手くいったんですよ。お見せしたかったくらいです。
「家に帰ったらやってみるかい?」
……いえ。遠慮しておきます。これ以上心に傷を負いたくないです。
「あー、そうかい。ひひっ。それは残念だよ。……今日は色々あったろうからね。風呂に入ってさっさと寝な」
……はい。
上を見上げれば星が輝く。闇の中に光を灯す。お腹にいるセーレムの整った呼吸を感じる。温かい。
ミランダ様、アンジェちゃんから聞いたんですけど、セーレムってミランダ様の使い魔なんですか?
「ああ。そうだよ」
ミランダ様なら、もっと強そうな使い魔を作りそうですけどね。
「黒猫が好きなんだよ。お喋りなら尚良い。私が喋らなくても勝手に喋ってくれるからね」
ミランダ様の魔力で作ってるんですか?
「捨て猫に魔力を注いだだけさ」
……セーレムって、捨て猫だったんですか?
「兄弟がカラスに食われてた。生き残ったのがそいつ」
……そんな過去が。
「セーレムは覚えてないだろうけどね」
魔力を注いで、長寿にしてるってことですか?
「そうだよ。私が死んだらそいつも死ぬ」
……長生きしてくださいね。ミランダ様もセーレムもいなくなったら、あたし、きっと路頭に迷ってしまいます。
「人間、誰だってそんなに脆くないよ」
あたしは人より脆いですよ。障害者ですもん。
「おや、言い訳にしないんじゃないのかい?」
今はいいんです。
「ふん。よく言うよ」
……アンジェちゃん以外にも、お弟子さんっていたんですか?
「……いないよ」
夜風が当たる。
「あの子が初めてだった」
雲にあたし達の影が映る。
「初めての弟子だったからこそ、私もはしゃいでしまってね。随分と甘やかしちまった」
……ミランダ様だったら、他にも色んな方が弟子入り交渉して来そうですけどね。
「ああ、依頼人の息子とか、娘とか、頼まれたことはあるけどね、そういうパターンなのは断ってきたんだよ。元々教える側なんか向いちゃいないし、何を教えていいかなんてわからない。それに研究時間に邪魔が入るのは一番嫌だからね。……だけど、アンジェはわざわざ屋敷にまで来たもんだからさ。それも、魔法学生じゃなくて、当時は……ただの中学生かい」
公立の中学校の制服を着た女の子が生意気そうな顔してドアを叩いて、弟子にしてくれとものすごい勢いで言ってくるもんだから、逆に面白そうだと思ってね。
……どうでしたか?
「……毎日が楽しかったよ」
私の知らない世界をあの子が知っていて、あの子が知らない世界を私が知っている。色んな話をした。色んな世界の話をした。私がアンジェの話に夢中になったり、私の話にアンジェが夢中になったり、お互いの知らない話を共有しては楽しんだ。優秀な弟子だった。優秀な助手だった。だけど、あの子は私だけしか知らなかった。他の魔法使いを見せたけれど、貴女以上の魔法使いはいないと見向きもしなかった。その姿を見て思った。このままだとアンジェの為にはならないって。
可愛い子には旅をさせよ。
大事な弟子であるからこそ、甘やかすのではなく、あえて厳しい試練を与えて経験を積ませるべきだ。
仕事場に連れて行くのをやめた。
アンジェは戸惑った。
アンジェはパニックになった。
アンジェはそれでもついてきた。
アンジェはやがて足を止めた。
アンジェは私を恨むようになった。
アンジェは離れた。
それでいい。
それで魔法使いになれたのだから、それでよかったんだよ。
「別に気にしちゃいないよ。それが私の役目だからね」
ミランダ様の帽子が風で揺れる。
「だけどなんだかね、うーん。何て言うんだろうね。……アンジェの事があってから……やっぱり弟子なんていらないと思ったんだよ」
楽しい記憶は虚しいものに変わる。騒がしかった屋敷はセーレムの声だけになる。それも何だか虚しく感じる。別に気にしちゃいない。だけどね、気にしちゃいないんだけどね、
それを繰り返すことを出来ることならやりたくない。
「……ま、セーレムがいれば、大体うちは賑やかだからね」
誰も近付かない森にひっそり建てられた屋敷。そこに住んでいたのは一匹の黒猫と、一人の光魔法使い。
「私はね、先生にはなれないよ。先生は教える立場にある。だが、何を教えればいいって言うんだい? 私の経験を言ったところでそれは私の経験さ。経験は自分で積み重ねるしかない。私は経験しかないから魔法を磨く。もっと経験して研究しないと美しい光は生まれない。弟子を作って、先生ぶって教えてる時間なんかないんだよ。本当はね」
……でも、あたしはミランダ様から魔法使いのイロハを学んでます。
「お前は知らなすぎるんだよ」
……12年も勉強してるのになあ。
「ルーチェ、お前もいつかは独り立ちしなきゃいけないんだよ」
……あたしにもいつか冷たくなるんですか?
「口も利かなくなるかもね」
……それは寂しいです。
「そうだね。でも魔法使いになったら甘えてられない。常に自分との戦いだよ。誰も尻を叩いてくれない。だから自分で叩くしかない。……あー、でもね、お前は尻を叩きすぎる傾向にあるからね、少しコントロールするってことを覚えた方が良いと思うよ」
あ、それよく言われるんです。ストピドさんは100か1しか出来ないの? って。
「お前、スイッチあるだろ」
スイッチ?
「これから喋るぞ、とか、これから魔法使うぞ、とか」
……あー! はい! あります!
「それ壊しな。いらないよ」
いや、ミランダ様、あたしもそう思うんですけどね? なんか、それをしないと舌が動かなくなるんですよ。
「だから壊れたオルゴールとか言われるんだよ」
……むぅ。
「お前ね、どうするんだい? 独り立ちしたら私はいないんだよ」
……ミランダ様がいないなんて、考えられません。
「じゃあなんだい? 一生あの屋敷で過ごすかい?」
……それでもいいかもしれませんね。
「クビにするよ。ルーチェ」
……すみません。
「魔法使いになるんだろう?」
はい。
「お前の悪いところだね。一回懐いたらずっと甘えん坊だ。お前騙されたことあるだろ」
……変な魔法教室の先生から服を脱げって言われたことと……90万ワドル騙し取られたくらいですよ。
「……」
変な教室の話はミランダ様にお伝えしましたよね?
「金の方は?」
17歳の時に。……もう返しましたけど。
「誰に」
ネット友達に。……友達じゃなかったわけですが。投資してお金増やさない? って言われて払ったら、そのまま消えました。
「お前それでよく生きていけたね」
一番辛かったのは溜まりこんだ国民健康保険の支払いでしたかね。払うっていう社会的ルールを知らなくて。無知だったなあ。
「……よく一人暮らし出来たね……」
知識は武器です。もう大変でした。学校行きながらバイト増やして。コールセンター様々でしたね。嫌でしたけど。
「パルフェクトに頼めば解決したんじゃないかい?」
あの人はADHDのこと報告した際に、あたしに魔法使いは向いてないから辞めろって言ってきたんです。だから会うこと自体嫌でした。顔も見たくなかった。
「……お前はまだ目を光らせてないと駄目だね」
あたし、ミランダ様がいないときっと今頃野垂れ死にしてたか、生きる意味も見いだせずぼーっと時間を過ごしてたと思います。
「明日は学校かい?」
残念ながら学校です。オーディションで力尽きたのに。
「疲れてるなら休めばいいじゃないか」
授業料が無駄になるから行きます。
「ふふっ。そうかい」
ミランダ様。
「ん?」
……冷たくなったら嫌です。
「……んー」
足りないことがあるなら課題をください。あたしはそれで気付く力も調べる力も身に付けてみせます。今のあたしにとって……ミランダ様に冷たくされることが……一番辛いです。
「……そうだね。お前にはそれがいいかもね。12年勉強してる分、魔法の知識だけはあるからね」
小説を書いてる分、魔法のない生活の知識もございますよ。あとアダルトグッズも。
「……アダルトグッズ?」
アルバイト先で売り場の担当なんです。……あれ、これは言ってませんでしたっけ?
「お前、アダルトグッズなんか担当してるのかい?」
はい。この間ジュリアさんも来ました。
「あの女、またお前に近付いたのかい!」
なんか、しょっちゅう来るんですよ。
「まだ結婚しようとか言ってんのかい? あいつ」
ミランダ様、ここだけの話ですよ? あたしが思うに……ジュリアさん、病んでると思うんですよ……。お仕事も忙しいのでしょうし……。
「あの女に同情なんかするんじゃないよ。ルーチェ。優しい顔を向けたら一瞬にしてつけあがるからね」
ふふっ。気をつけますね。
「それでいい」
……今夜、一緒に寝るのはいいんですよね?
「……私の部屋だろう?」
はい。
「明日寝坊するんじゃないよ」
目覚ましアラーム付けて大丈夫ですか?
「ああ。いくらでも鳴らしな。それで起きれるならね」
ありがとうございます。設定しておきます。
屋敷が見えてきた。ミランダ様の箒が森へと下りていった。
(*'ω'*)
温かいベッド。
正面にはミランダ様。
ミランダ様が気を遣ってくださり、あたしの肩にシーツをかけた。
その気遣いも、ぬくもりも、一人のベッドよりとても温かくて、あたしはついにやけてしまう。
ミランダ様があたしの頭を撫でた。
言われる。寝なさい。
あたしはふふっと笑って、甘える。ミランダ様に寄り添う。
ミランダ様があたしの背中にトントンと手を当てた。
あたしは瞼を閉じる。
お酒の匂いがする。
あたしは瞼を閉じる。
悔しさとか、悲しさとか、胸にしまい込んで、ミランダ様の匂いに包まれて、喜びでいっぱいになって眠りの準備をする。
温かい。
眩しい。
ミランダ様はあたしの光。
魔法は依頼人のために使うものらしいけど、あたしはこの人の為に使いたい。
この人の側にいるために魔法使いになりたい。
(……ミランダ様)
ちょっと、大袈裟かもしれないんですけど、
(あたし)
貴女のためなら、ぽんこつなこの命も捨てられる気がするんです。
(……とか言えたらカッコイイんだけどなぁ。ふああ。眠い……)
あたしは眠る。
ミランダ様も眠る。
夜は更ける。
明日は学校だ。
来週も学校だ。
日々を過ごして、繰り返して、
あっという間に学校祭がやって来る。




